洞察優位の恩恵
読んだよ、読んだよ、読み終えましたよ!
『HSP 強み de ワーキング~洞察系 共感系 感覚系』
皆川 公美子 (著)
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読み終えた方がほぼほぼ言っていると思うのだけど、
『こういう時って、こうも考えられない?』
というのがあちこちに散りばめられていて読みやすく、優しい本だった。
押し付けでも、こう出来なきゃダメよでもなく、
『こう考えたら動きやすくない?どうかな?』
と隣で聴いてくれているような内容。
『HSPってなに?どうなってる訳?』
は、始めの方に丁寧に解説されているので、そこを読んだらあとは実践的な部分で
『コレ、私、自然とやってるかも!』
とか、自分が止まりがち、固まりがちな場面のところを付箋を貼りつつ読み進め、
後から何度でも自分に染み込ませて行けたらずっとラクになれるのではと思う。
私がHSPについて学び始めた頃は、
『あれ?私ってHSPにしてはずいぶんとやさぐれてない?』
という疑問があったのだけど、また改めて読んでみると、自分を生き延びさせる為に守りまくって生きて来たんだなぁと思った。
やさぐれてると色々と便利だったんだよなって(←どんな)
HSPテストで言えば当てはまらないのは3つ。
痛みに弱い←幼少期は弱かったとは思う。歯医者さんとか行きたくなくてよく橋の欄干に掴まって(歯医者さんが橋向こうにあったので)ぎゃおぎゃお泣いていた記憶があるし。
ただ、それに対応する親がもう捨てる勢いで烈火の如く怒るわ罵倒するわなので、きっと怖がるとか痛がることを諦めたんだと思う。
今ではピアスも自分で開けるし(震えながらではあるが)、手術後に『私の腹筋どうなった?』と思いつつ、そろそろと足上げをしてみたり、大丈夫だという確認のために痛みは堪えて実験する感じ。よって、今は痛みに弱くはない。
空腹に弱い←好きなことをしている時は空腹でも全然平気。それくらい好きなことに対する執着がすごいと私は思う。
たとえば空腹で食事に行こうと出掛けて、レストランの隣が工具売り場だった場合、先に工具売り場に行くし、そこから数時間見てても平気だと思う。なんなら皆さん食べて来て下さいと言って、そのまま勝手に帰って欲しいくらい(←結構ひどい笑)。
コレもまた、黙って食べなさいとか、うるさいとか言われてたのであまり『食事を楽しむ』という感覚が育たなかったのかも?
根が真面目だと『大人になったからもう楽しもうよー』という風に変わればいいのに、ずっとそれを守って来ちゃったのかなとも思う。
親や先生に内気な子だと思われていた←世間体重視の親なのでモジモジしてたらドヤされるわ人前で貶されるわなので明るく挨拶とか?なんかそういうのは出来ていた。
HSP要素はあっても育つ環境の中で自動的に自分で矯正をかける部分は誰しもあるんじゃないかなと思う。
良心的で繊細であったはずが、
『なんでそこまでするの?バッカじゃないの?』とか
『そんなの気にしてるのアンタだけよ』とか、
『くっだらないことを良く覚えてるよね!?』とか?
言われ続ければ、どういう話しをするとそう言われがちなのか自分の中でリサーチしていたり、相手の性格、傾向、表情から読んで、そういう状況を作らない、作らせないようにイメージを自分の中に叩き込むとか。
(心優しきHSPさんは黙ることを『悲しく選択した』というイメージなのだけど、私はやさぐれているので『じゃあもう言わない、教えない!』みたいな感覚)
完全防備でそこに居ることは可能だったので、それが身につくとさほど傷つかない。
そして、『早く気づきなさいよ!』と過去の自分に言いたかったのは『みんなが自分ほど状況が見えてない、理解してない』という部分。
みんながみんな自分と同じように分かっているのにも関わらず、なんでそんなことが言えるのか、そんな行動が取れるのかがさっぱり分からなかったので、『あえてのその言葉?』みたいにショックを受け過ぎていたし、『分かってて言えるって相当いじわるじゃない?』とも思っていた。
私はHSPじゃなくて、ただのおばかさんだったのかしらとも疑うくらい
『なんだこの状況⁉︎ワケ分からんな…』
と不思議でいっぱいだった。
洞察系だったので考えるのは大好きだし、図書室では江戸川乱歩、テレビは推理もの、刑事ものが大好きだったので推理は自動的にするものだった。
あと、カンにものすごく頼っていた部分もある。
第六感とか体感?
共感して、
「分かるわー!大変!それはそうだよね!」
と一気に同じ感情になって怒ったり悲しんだりはするものの、
「なんか変じゃない?」
と思ったら警戒して良く見る…というような。
不思議と気の合う子、理解出来る子は周りに居たので場を選んで解放もしていて、時々自分の中で混乱してやらかすことも結構ありつつ、なんとかやれていた。
傷つきから自分を守るのは当たり前
HSPさん特有の『素直にバッサリ傷つく』という場面で、私はさらに思考を広げがち。掘り下げがち。
もちろん、『自分が悪いんだな』で終わらせるのは得意だったし、自分が悪いなら自分が反省するだけで済んで、周りは悪くないので、『はいはい、じゃあそういうことで!』(←この言い方からして素直さのカケラもないのだけど)と思えば一旦は収まる。
多分、弱すぎるので、強がって逆に振り切ることをしないと自分が保てない、守れないからそうしていた自覚もある。
頭を使って、いろんな考え方、見方をして、相手だけが悪いでも、自分だけが悪いでもない落とし所を一生懸命に探して納得していた感覚。
「ひどーい!」
なんて言われると、
『私ってそんなにヒドい人なんだ…』
と、すごく自分に刺さってしまい、一瞬にして申し訳ない気持ちになるのだけど、
『待て待て待て、ふだん私は黙って我慢してますよ?なんでたった1回で大騒ぎするかね?こっちはたった1回言い返す為に99回は黙ってると思うが?』
と、自分を抱き起こし、
『ふっざけんなマジでーーー!』
と思いながら黙る(←結局、言い返せてない)とか。
「こういう時には任せて!」と思えるし、