泣きながら生きていこう! | ノラとハナウタ

ノラとハナウタ

自分の最強の味方は自分じゃない?
色トリドリの自分を楽しんで行こう!

言わなきゃ分からん!

とはいえ、言えないから自分に刺さってしまったものが抜けないまま残る。

言えるくらいなら言ってるし、

『これは結構メンタルに来ててヤバいかも…』

と自覚してるから余計に言えないこともある。

 

でもね、そこをあえて言いたい、

なるべく吐き出して生きて行こうよって。

 

言いにくい、愚痴っぽいかも、変なふうに受け取られたら辛い、理解されなかったら立ち直れない…

とか、不安もあるとは思う。

 

1人目が理解してくれなかったら深く落ち込むのもわかる、

でもそれもでも2人目、3人目と諦めずに探して。

自分に寄り添ってくれる誰かを。

 

もう昭和の刷り込みとか、しょーもないことは切り替えて行きたい。

 

我慢は美徳じゃない。

強くならないといけない訳じゃない。

 

結婚、出産が女の当たり前みたいに言われたかないし

育児は女がすることみたいに、なんでも母性に寄りかかることも、

女なら、男ならみたいなものも、もういらなくない?

 

生き方は自分で決めていいはず。

出来る人がそうしたらいいし、

出来ない人は手を借りたらいいし、

何か問題が起きても

近しい人たちが理解してくれてたらそれでいいはずが

外野の方が小うるさいのは昔からよね。

 

疑うべきは正義なのかもしれない。

その正義感、大丈夫?って。

 

この正義感から来る怒り、本当に正しい?

って、自分に問うことが。

 

 

あのさ、

冷静さを欠いた正義感は、ただの攻撃

だと思うんだよ。

 

誰のために言ってるの?って思うことあるじゃない?

自分のストレスをぶつけて来てたり、

これぞ常識と言わんばかりに責め立てたり。

カッコ悪いっつの!

 

本当に相手のためなら落ち着いて伝えることも出来るだろうし、言葉を選んで伝えるでしょ?

大切に付き合うこと、向き合うことをしたいと思えるのは、私がおばちゃんだからでしょうか。

 

 

誰かが亡くなってから、自ら命を絶ってはいけないとか、

残された人の気持ちを考えろとか責める人がいるけれど

それが言えちゃう人はさ、

きっと死の近くまで行ったことがないのだと思う。

 

もしくは、想像力の欠如。

 

そんなのさ、

ぜーーんぶ、考えてるよ。

行きつ戻りつして、ずっと考えて、

迷惑かけるかも、悲しませるかもってずっと考えて生きようとしたよ。

 

ただ、それを超える瞬間がある。

そこに瞬発力とタイミングが合えば誰しもやりかねないこと。

 

だから、残された人たちは自分を責めないでねと言いたい。

なぜ気づかなかったのか、何か出来なかったのかと悔やむけれど、

大切な人の前では笑顔を作れるし、

それは簡単に見破れるものでもなく、

本当に自然に振る舞える。

どれほど悩んでいたとしても。

 

友達、恋人、親も、パートナーも、

もしくは、子供もいたのにとか言われたら

その人たちどう思う?

 

自分が居たのにブレーキにならなかったのかと一生悲しむわ。

 

ブレーキにならなかったんじゃない。

ずっとブレーキになってくれていたし、

だからこそ、その時まで生きていたんだよね。

 

瞬発力とタイミングが合ってしまった時は誰にも止められないと私は思う。

 

友人が2人、それぞれの事情で命を絶った。

たくさん悲しんで、泣きながら生きて行こうと私は思ったよ。

もうカッコつけてる場合じゃないよな、他人事じゃないよって。

言葉にして、愚痴ったり泣いたりしなきゃなって。

 

強がることも時には必要だと思うし、努力も頑張ることも尊いよ、
でも、ずっとそれを守らなくていい。
 
ボヤいたり泣いたり、悔やんだり、時にはケンカもしていい。
理解を深め、想像力をもって人と向き合って行く。
 
たくさんの人との共有が大切なんじゃない。
 
たったひとりの自分のために、
自分の一番の理解者が自分であるように
大切にして生きて行こう。
 

自分を大切にしながら

人のハートも守れるようにね。

 

 
では、またね!
 
富士山もふ〜っとため息。そんな日もあっていい!
 

 

 

 

 

2023.07.13

1:00