我が家のハチワレ長毛のもんちゃん♂が亡くなって1週間。
もう1週間。
まだ1週間。
長女からお花が届いた。
『もんちゃん ありがとう
悲しいけど みんな元気出すから
生まれ変わってまた幸せになろうね』
って。優しいね。
長女にも立派だったもんちゃんの最後を伝える、
「トイレは最後まで自分で行ってたよ」
と言ったら、
「えらいなー、見習って最後まで自分でトイレに行ける人でありたいな」
って…その目標はいらんと思うんだけど(笑)
次女は、
「てんちゃんが心配。ずっともんちゃんと一緒だったから…」
というのだけども、てんは亡くなった時こそもんのおでこをそっと舐めていて、お別れだと分かるのだろうかと染みたのだけど、1時間もしないうちに、もんちゃんを安置した箱にダイブしようとしていた…
箱があると必ず入る、箱好きのお転婆てん。
おいおいおい…何が入っているのかもう忘れたんかーい!
多頭飼いだと他の子が和ませてくれるので助かる。
いや和めないけども、ヒヤヒヤだったけども…。
ただ、てんは元々が対人スキルの高い子なので悲しむ息子のそばを離れなかったり、添い寝したりしてサポートしてくれた。
次女もかつててんのサポートのおかげで元気になった過去があるので次女はてんちゃん贔屓。
『相変わらず元気だし眼光鋭いよ!』…と画像を送ると
秒速で『可愛い❣️』って
びいももんちゃんの額をペロリとしていたのでさよならの挨拶だったのかな。
うっかり「もんちゃん!」と呼んでしまうと、
『え?どこ?』みたいにキョロキョロする。
名前と存在を認識してるみたいに。
おっとりしていて洋猫の血が入っているのか大きな手足を持ち、
長くてふさふさの立派なしっぽで通りすがりに人間の足に圧をかける。
呼べばトコトコやって来て「にゃ」という。
たまに声が出ないまま「にゃ」の口をしている。
海苔とちくわが大好物。
かつて飼われていた家で貰っていたのか、
保護されてからなのかは知らないけれど
ウチに来た時にはすでにそうだった。
焼き海苔を袋から出しただけでそんなに香りってするものだろうか?
普段はおとなしいのに、猫が変わる。
駆け寄って来て、
『海苔だね? 海苔でしょ?』
とにゃーにゃー大声で騒ぎ、
くれくれくれくれ!とグイグイ来る。
海苔は喉に貼り付くのではと心配なんだけど
千切って少しだけあげると大事そうに味わっていた。
ちくわも少しあげると悪人顔になりながらムニャムニャと噛んでいたな。
寝る時は私の脇腹にすっぽりとおさまり、腕にあごを乗せてしばしゴロゴロゴロと喉を鳴らしている。
夫がテーブルの上に新聞を広げると決まってどさりと寝そべって読ませなかった。
息子がしつこく撫で回すと爪を立てたりしたけど血が出るか出ないかのギリギリラインまでに留めていた…プロい。
てんとびいがいるおかげで悲しみ過ぎてはおらず、ただ、寂しくはあるのだけど。
こんなことしていたよね、こんなこともあったねともんちゃんの話しをする。
期間も短かったし最後まで穏やかだったので、
話すこと、寂しさを共有することで癒されている。
そう長くはないと言われてから、たった16日間。
大変とか、面倒とか、そういった想いはしなかった。
それでも出先で
『早く帰らないと』とか、
何かの作業に集中していると、
『あ、どこに居るんだっけ?』
と慌てたり、寝返りを打った時に押し潰してないかとハッとして目が覚めるとか、ちょっとした時に行動や思考の名残りのようなものがあって、見送るまでというのはなかなか濃厚な時間なのだなと思った。
猫は体も小さいので顔を拭いたり抱きかかえるにしても重労働ではない。
これが人間の介護となると本当に大変なことだなぁと思う。
体力、精神力、そして時間。
介護する側、される側、それぞれの時間の重みを感じる。
偏りなく、たくさんの手助けがある状況が必要だと思う。
私は考えたり感情を味わうのが趣味なので
色んなことを思うけど、元気でやってます!
では、またね!