誤解されたくない!
『誤解』と聞いてどんな気分になりますか?
私は「ぐはぁっ!」となります。
あーほんと、誤解はされたくないわー!
と息苦しくなります。
かつては夫が急に不機嫌になり、なんだろうか…と思いつつ知らん顔していると意味不明な因縁をつけられてびっくりすることがありました。
びっくり通り越して怖かったですよね、勘違いからそんなストーリーを思いつくってことが。
そして『そんな人間だと思われた!』というショックも相当ありました。
回数を重ねるにつれ、よくもまぁそんな風に勘違いしたまま不機嫌な態度を取れるものだと驚きもするし、そもそもそんな誤解をされたこっちの方が不愉快だわと、ある日突如としてブチギレるという…アタシあるある。
最初はね、懇切丁寧に説明して理解してもらおうとしていたのですが、
「イヤイヤ、アナタさぁ、なんでいつも相手が悪い体でキレ出してるわけ?自分の勘違いを熱狂的に信じられるそのメンタルが羨ましいけど?」
と。
いちいち流れと誤解のポイントを解説した挙句、しまいには
「今後はお互いに気をつけよう」
などと、夫が『お互い様』で終わらせようとした暁には、
「毎回、自分だけじゃなくて相手も悪いと思ってるから同じことを繰り返すんだよ!勝手な思い込みで人を傷つけておいて、お互い様で済ませるんじゃないよ!」
とトドメを刺すというね…、私も成長しました(←これを成長と呼べるツラの皮の厚さは大切です)。
でも正直、人に厳しいこと言うのって、ものっすごく苦手。
自分もそう言われたくないのに相手に言うってものすごくしんどい…。
苦行かよって感じ。
言って落ち込むこと山の如し。
こんなこと言わずに生きて行きたいのになーって思います。
まー言っても気にせず繰り返せる強靭なメンタルの持ち主なのでいいか…。
うん、よしとしよう…。
HSPも言うべき時は言いましょうという修行ですな…。
…だがしかし、これが夫以外の人との間に起きた誤解だった場合、だいぶ様子は変わり、
(違う!違うんだよ、そんなつもりじゃないんだってば!)
と心の中でシャウトしつつ、状況の把握に必死。
又聞きで誤解されたことに気づいた時なんて、
(えーーーどのように誤解を解けばいいのぉー?)
と悲しく、動揺もし、何か手立てはないものかと脳ミソはフル回転。
相手と親しいのであれば、
「ごめーん!あの人にこんな風に聞いたんだけど、あの時はさ、こう思ってこう言っただけなんだよ!」
と伝えればいいし、それでも疑われるならもうアタシって案外信用がないんだなーとしょんぼりしつつも、
『ベストは尽くしたが誤解が解けないということは相手とはそれまでだったのだ』
と諦めます。
しばらくジメジメぐずぐずと引きずるものの、『いつか』理解されるかもしれないし、『いつか』が来ないなら、その程度の関係でしかなかったのだという風に。
ただ、直接説明してもダメな人って、誤解したままストーリーが出来上がっていて説明なんてもう聞いてもくれない…という場合もあります。
「あの人なら、そう思ってそう言ったに決まってる!もうキライ!」
と自己防衛から悲しみを怒りに変換して強くなってしまっているので、そこを鎮めるのは大変で、相手の望むままに頭をさげればいいのかと言いなりになれば、あーら不思議!余計に怒りが助長されて、
「え、そこまでペコペコしないといけないの?」
みたいな変な関係になってしまったりするので、『そこそこ』でやめておく方が得策だと私は思っています。
お詫びも説明もした。
でも相手が無視したりこれ見よがしに態度に出してくるならば、それはもう相手の問題です。
『自分の勝手な思い込みしか信じず、理解力がないことを棚に上げて、バカなの?』
と思えたらいいのですが、たいがいのHSPさんは自分のせいでここまでの態度を取られている。自分が悪いと思いがちですよね。
誤解は日常的に起こり得ることで、勘違いや、思い込みによって自分を決めつけられてしまうことも多々あり、『そんなんじゃない!』とすごーく言いたくなりますが、ちょっと考えてみて…
詫びても説明しても誤解したままアナタを突き放すその人って、必要ですか?
自分のことだと思うと、悲しいとか、誤解を解きたい、理解して欲しい、理解し合いたい!という部分に集中してしまうのですが、『今までの付き合い』とか、『アナタの性格、性質』、『アナタの動揺』を知っても、自分の怒りやストーリーだけを優先するその人って、相手を見ていなさ過ぎじゃないですかね?
自分が逆の立場だったら…と考えてみると、
「くっそぅ、アイツめ、そんなことを!」
と思って、
「ムカつくー!」
と思ったとして、その相手が
「ごめんねー、実はこうだったんだよー、そういう意味じゃなくって…」
と言って来たら、自分はこう受け取って、こう思っちゃったんだよね!と、親しければ伝えませんか?
そして、
「なんだよーびっくりしたよー、誤解しちゃってたー」
と笑っておしまいですよ。
多分、繊細オブ繊細側に居る方々は、『実はこう思ってムカついた!』を伝えずに、
「いえいえ、こっちこそ誤解しちゃってごめんなさい…」
とか謝りそうな匂いがプンプンするのですが(←若かりし頃は、すぐ許す仏のようなワタクシでしたがオバサンになった今では、ユーモアという武器を身につけ、
「いや、アンタさ、マジであれはないからな!」
と、『笑いながら怒る人』ならぬ、『笑いながらディスる人』が出来ております)、
人間ね、吐き出さなかったことって結局、溜まって行くと思うんです。
そしてまた同じことが起きた時、
『あの時にも許したのに、なんでまた!』
と怒りやら悲しみがまだ未消化だったことに気づき、根に持っていた自分もどうかと、自分のことまで傷つけたりしてしまうので、是非、今後は『自分はこう感じてたよ』と伝えてみてはと思います。
そうじゃない!という想い
HSPは子供の頃から『そうじゃないのに…』をたくさん抱えていて、
親の思う『普通』と比較され、
行動が遅い、
気持ちをすぐに言えない、
内向的で元気がない
…などなど。
おいおい、
慎重だから行動まで時間を必要としているだけ、
状況を慮って最善のひと言を考えてるだけ、
内向的でも頭の中は元気なんですけど?
…という具合で、何を勝手にそれが悪いみたいな言い方しちゃってるワケー?
もうちょっとよく見てくれよと思ったりしてましたねー!
ええ、やさぐれてましたからねー、ほんと、洞察系HSPで良かったわ…。
繊細オブ繊細だったらウチの親のあの口調ですからね、個性もへったくれも無くなってたと思います。
そう思うとね、理解力のある寛大な親の元に生まれていたら、とんでもないガキになっていた自信もあります(←どんな自信)。
自分の人生なのに、
自分のことなのに、
相手の意向を察しようとしてしまう私たちだけれど、
『自分がどう感じたか』
を無かったことに出来る程、自分を嫌ってはいないと思う。
自分が傷ついたことを知っているから
悲しくなったり、
生きづらいと思ったりしたのではないでしょうか。
自分の感情は自分のもの。
周りにどう見える、
周りがどう思うではなく、
自分がどう感じたかは、人にどうこう言われる筋合いはない。
主観上等!で行きましょう。
では、
またね!
【長くなりましたので『正義へのこだわり』は次回でーす】
今年もグリーンアイスが咲いた!
ピンクから白、そしてグリーンへと変わる彩りは繊細なのに、とても丈夫なミニバラ。
大好き。
2022.05.23
19:41