アタシというHSP【5】育児ってどうよ | ノラとハナウタ

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自分の最強の味方は自分じゃない?
色トリドリの自分を楽しんで行こう!

<育児は本当に楽しいのか問題>

ここ数日は書こうと思っては下書き保存。
なんか、違う。
こんな事を書こうとは思わないなぁ、つまらないなぁ…って。
…という事で、ボソッとしたヒトリゴトだけ載せてました。
 
だってさー、『親として』とかそんなん、分かるかい!と思って。
 
前回、物分かり良さげな事を書いたけど、実際理解はするけれど、怒りもしたし、極力、社会に馴染んでくれとも思ったので、自分が胃が痛くなりながら見送ってストレスが溜まるということも多々あった。
 
自分が頑張らねばならないなら頑張れるけれど、自分ではない小さき者に頑張れというのは忍びない。
とは言え順応も大切なのでどこまで行けるかを見ていないといけないというのがストレスになる。
…ザ・責任感。
 
自分には、この子たちを無事に育て上げる責任がある…と、ものすごく思っていた。
楽しいより心配。
 
でもこれも今にして思えば誰に対する想いだったのかとちょっと疑問だったりもします。
 
子供を産んだらもう『親』になってしまい、実技は全て生まれてからなのに、なぜか世間は急に『親なんだから!』と言い出す。
あんな極端な責任の持たされ方って他に無い気がする。
 
「もうお姉ちゃんなんだから!」とか、
「もう1年生なんだから!」とか、
幼少期からあるといえばあるけれど…。
 
ほんと、くっだらない責任の持たせ方があるもんだと驚く。
 
お姉ちゃんだから?
我慢したり、幼い者に譲ったり、状況理解して甘えるなと?
 
1年生だから?
早起きして、自分で持ち物チェックして、自分のことは自分でやれと?
 
ちょっと待てと思いませんでした?
そこに至るまでに徐々に準備させてくれましたっけ?って。
 
大体が、『もうXXなんだから!』と怒る人ほど、準備の為に懇切丁寧に教えてなんてくれなくて、急にその場で言い出すからびっくらこいてしまう。
 
また始まったよ…と思ってましたよ。
なんで突然怒り出すんだろうと疑問だったし恐怖だった。
 
結婚して自分が親になり、余裕がないとどうなるか、どういう言葉を言いたくなるかを体験してみて、なるほど親も精一杯でアレだったのだろうと理解もするし、私的には気が済んだと言うか、両親の性格上、あぁなりますわねと。
 
かと言って、あの言葉はないよねと思えば自分の子供には言うまいと思う。
そして同じことを言いそうになるとゾッとしつつ、言われておいて良かったわ、自分が嫌な言葉は使わずに済んだからと安堵する。
 
だがしかし、パートナーが同じ考えなら良いけれど、自分の親の刷り込みそのままに育児に参加して来るとすんごい困る。
 
自分もそれを言われて育って来て、疑問に思わなかったの?
それ嫌じゃなかった?と聴きたくなる。
それとも、『男なんだから』の刷り込みの方が強すぎてあんまり意識出来なかったのだろうかとも思う。
 
夫は男兄弟で育って来て、一方的に怒られたり、比較されたり、強さを求められたのかもしれないけれど、それを我が家の基本にはしたくない。
 
それは過去の家のルールなんだから、ここからは『私たち』のルールにして行きたい。
…と私は思っているけど、男性のあの刷り込みに対する忠実さはなんなんだろう。
驚くばかり。
 
自分の両親に対する忠誠心。
自分の親は大切にするべき感。
そこ自分の親限定なんだ…と呆れ返るがそこに気づいていない無頓着さ(←ウチの夫達だけ?いや『夫達』て…)。
 
日本はまだまだ『嫁に貰う』って言っちゃう国だし、不思議な事に『嫁に出す親』はペコペコして『ふつつかな娘ですが…』などと言う。
 
「え、この男の方がよっぽどフツツカだから心配しなくて大丈夫だよ!お互い様だよ!」
と、横から言えたら面白いのだけど、言ったら最後、怒る人、泣く人、呆れる人、謝る人と、場がカオスになるだろう。
 
…と、そんなことはどうでもいいのにどんどん思考が進むのは洞察系あるあるなので諦めて頂きたい。
 
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子供が小さい時ってやはり怪我や病気が心配な訳だけど、『不安』な状態は精神的によろしくない。
親が見てないから怪我をした、病気に気づかなかったというのは本当にやめて頂きたい。
 
私が必死で責任を果たそうとしていたのは、そんな世間の為だったのかもと思うと心底悲しい。
また、毎度お馴染みの『無駄』と言いたくなる。
他人の目を気にするなんていう無駄な事に神経と責任感を使い、我が子と心底楽しめてなかったかもと思うと、とても残念。
 
育児が楽しいだけなんて、どんなにメンタル強い女性であっても無理がある。
メンタル強いだけなく、柔軟で、上手に夫を巻き込んで、上手に周りを頼り…って無理だから!
 
子供が大きくなって、あぁそろそろ『育児』ではなくなるなあって時にやっと、心の中で
『大きくなったね、あなた達の親になって楽しかったよー』って想いが溢れてくるのであって、途中経過なんて不安、怒り、涙、無(←無になる時、あるよね?)…と、とてもじゃないけど人様に語れるものではない訳ですよ。
 
育児が落ち着いてやっと、あの怒りも涙も、そして無も、ひっくるめて育児だった。
楽しいだけじゃないけれど、あれもアリで、ひっくるめて愛おしくも楽しい時間だった…と言えるのではと思います。
 
なので、現段階で夫とは揉めてるわ、子育てはピリピリするわで、
「私、全然いいお母さんじゃない!」
と泣きたくなってるママたちには、
『みんなそう!だから大丈夫!』
と言いたい。
 
世の中の育児楽しいとか、幸せだと言ってる人たちが嘘つきだと言ってるわけじゃなくて、髪がボサボサだろうと、親なんかやめたいと泣こうと、あーひとりになりたい!と無になってぽつねんと座ってようと、それごと育児なんだと落とし込んでいる人達なんじゃないのかなと思うんですよね。
それぞれの『楽しい』の認識のズレでしかないというか。
 
ジェットコースターを怖いけど楽しいという人たち…みたいなものかなと思う。
 
怖い人にとっては怖い。でも降りてみれば、乗った経験として見る事が出来るので、味わえて、そして無事で良かったなって思えるようなね。
 
 
とにかく、
自分、頑張ってるから、この状態(←部屋がカオス)を許す!
とか、
簡単メシや、買って済ませることを認める、利用する!
とか、大変だと思っている部分の手を抜くことから自分を慣らして行ったらいいと思います。
 
だって、そうでもしないと楽しいなんて思う余裕ないでしょ…。
 
夫が散らかってるとうるさく注意するとか、ご飯が出来てないとか、寝かせてないとか、『協力者の立場を放棄』して、そういうストレスをかけて来るのなら、別のところで手を抜かないと精神的にやられますので、ぜひぜひ、育児という長丁場をこずるく快適に過ごせるかという事も楽しみのひとつに加えて頂きたいと思います。
 
んね、さりげなーく大きな文字にしてみたよ…。
 
協力してこそ愛される夫であり、父親になれるんじゃない?マジで(小声)
 
では、
またね!
 
 
この前の虹!
ほんと、みんな誠実すぎる。
世間の言うことなんて流しましょう!