8時を過ぎた、渋谷。
 相変わらず、人通りが多い。
 昨夜、加賀たちに拾われた場所に、1人で立つ、なつき。 夜空には、少し欠けた月が浮かんでいた。
 『 アメジストには、月の女神と酒神が関係している 』
 正岡から聞いた話しが、なつきの脳裏に甦る。
? ????? ?
 胸に小さく光る、アメジスト。
 因果な事なのかも知れない。 ???月が嫌いな、なつき。 気に入った青年からもらった、アメジストのネックレス???
 小さな宝石を指先に持ち、なつきは、夜空の月を見上げた。
( 欠けた分が、修一郎さんの分かな??? )
 そう思うと、今日の月は、少し気に入る事が出来そうだ。
 見えないが、全部が嫌いではない。
 小さなため息を尽き、足元の歩道を見やる、なつき。 その視界に、黒い革靴が入って来た。
? 頑張ってるな? ?
 斉田だ。
 今日は、舎弟を連れていない。 1人だ。 なつきは、無言で挨拶をした。 肩から下げていた、いつものピンクのトートバッグから幾らかの金を出すと、斉田に渡した。
? 昨日の、アガリか ?
 斉田は、金を確認すると、着ていたスーツの内ポケットにそれを入れ、茶色のメガネの奥で笑うと言った。
? しっかりな ?
 斉田は、そう言い残すと、どこへとなく姿を消して行った。
( 斉田さんの過去は、どんなだろう???? )
 おそらく、それを聞ける機会は無いと推察される。
 組の幹部と、束ねるシマで仕事する、一少女??? なつきから見れば、斉田は1人であるが、斉田から見れば、なつきは、大勢いる人間の中の1人だ。 稼げば、それなりに目は掛けてくれるであろうが、普通にしていれば極端な話し、なつきなど、どうなっても構わない存在であろう。 斉田が、なつきに自分の身の上話しをする可能性など、今のところ皆無に思われる。
( 斉田さんの過去を知ったところで??? あたしの生活には、何の変化も無いわよね )
 自分で思い付いたにも関わらず、妙に冷めた心境になる、なつき。
 無邪気な少女の想いと、夜の女の顔が同居する、なつきの心??? 時々、自分で、自分が嫌になる時がある。
( 明日辺り、カオリに会いに行こうな )
 なつきは、そう思った。

 昨晩と同じ時間、加賀は、なつきを拾いに来た。
 黒いBMWに乗っている。
? やあ、待っててくれたんだね ?
 左ハンドルの運転席窓ガラスを開けながら、加賀は言った。 車内からは、軽いポップスが聞こえている。
? 拾いに来てくれる、って言ってたからね ?
 先日の祥子のように、開けられたドアに右腕をかけながら答える、なつき。
 少し、『 しな 』を作り、左手で髪を触る。 自分ながら、妙に色香が付いたように思えた。
? 乗りなよ ?
 加賀は、空いている助手席のシートを、右手の親指で指しながら言った。
 車道側に回り、車に乗るなつき。 黒皮製のシートが、車内のエアコンで冷やされ、ひんやりして心地良い。
 車は、軽いエキゾーストを吹かしながら、夜の町へと走り出して行った。

 加賀は、優しかった。 ベッドの上でも、食事中のイタリアンレストランでも???
 行動も、常に紳士的で、常識的。 どうやら、『 カタギ 』のようである。 現在、知り得る知人?友人の全てが『 裏世界 』に属する人間であるなつきにとって、普通の生活を営んでいる加賀は、新鮮だった。
( どうして加賀さんは、離婚したのかな )
 素朴な疑問が、なつきの脳裏を過ぎる。
 ???ルックスは、申し分無い。 生活も安定しているし、収入は平均以上と推察される。 会社では、何人もの部下を持ち、それなりの地位を確保しているようだ。 離婚した妻は、何が不満だったのだろうか???
( 仕事本位で、家庭を大事にしなかったのかな? )
 多少は、あり得る様子だが??? それだけでは、離婚には至らないだろう。
 若干17歳のなつきには、それ以上の想像がつかない。 とりあえずは、最高の『 お客 』である。
 なつきは、加賀と頻繁に会うようになっていった???

 ある夜、いつものように加賀と会い、ホテルのベッドで体を預けていた、なつき。
 幾分、まだ荒い息で加賀の胸に寄り添い、尋ねた。
? ???加賀さん??? どうして、奥さんと別れちゃったの? ?
 無言の、加賀。
 なつきが視線を上げ、見てみると、加賀はじっと天井を見つめたまま、遠くを見るような目をしていた。
( いけないコト、聞いちゃったのかな? やっぱ??? )
 なつきが、そう思っていると、しばらくして加賀は言った。
? オレは、結婚には向かない男なんだ??? ?
 なつきには、理解出来ない。 やはり、仕事人間なのだろうか。
 なつきは言った。
? ???そんな人、いないと思う ?
 加賀は、左手をなつきの頭に乗せ、優しくさすりながら答えた。
? なつきは、良い子だな??? ?
 加賀の微笑を感じながら、なつきは、加賀の胸に抱き付く。

 ???どこへも行けない自分。
 どこへ流れて行くのかも分からない自分???

 なつきは、加賀に『 同じ匂い 』を感じた。
 静かに上下する、加賀の胸の向こうに窓が見え、向かいの雑居ビルとマンションの間から、太った三日月が見える。
( また、のぞいてる???! )
 こちらを見透かすかのように、夜空に浮かぶ、月。
 なつきは目を瞑り、加賀の胸に顔を埋めた。
 月の視線から、逃れるかのように???

? ナッキー、大人っぽくなったんじゃない? ?
 久し振りに会ったカオリが、なつきに言った。
? そう? えへへ~、嬉しいな ?
 ノースリーブに、白いレースのカーディガン。 今日は、ジーンズではなく、ベージュのノープリーツスカートを履いている。 足元は、相変わらず、ほころびかけたミュールではあるが???
 渋谷駅前の小路を入った所にある、小さなオープンカフェ。
 今日は、土曜だ。 昼下がりの時間帯ともあって、かなりの人が出ている。
 なつきは、店の前を行き交う人々の足元を眺め、飲んでいるブルーのソーダ水に浮かぶ氷を、ストローの先で突付きながら言った。
? もう、SSじゃないんだ。 ちゃんと毎日、シャワーだって使えるんだよ? ?
? 良かったじゃん。 あたしもサッサと店辞めて、ソッチ行こうかなぁ ?
 アイスコーヒーを飲みながら答えるカオリ。
 なつきは言った。
? あたし、顔の人、知ってるよ? 祥子さん、って言う人。 その気があるんなら、紹介してあげる ?
 ???そう言えば、祥子とは、ここ一週間ほど会っていない。 シマにも立っていないし、マンションにも帰って来ていない。
( 柴垣、って言う人のトコにいるのかな? )
 『 これから、人と会うの 』
 嬉しそうに言っていた祥子の笑顔が、思い起こされる。
 カオリが言った。
? ありがと。 実は昨日、純が来てさ??? ?
 純とは、2歳離れた、カオリの弟である。 高校を中退し、塗装工務店に勤務しているらしいが、カオリは、この弟だけとは連絡を取り合っていた。
? 純クンが? ?
 グラスの氷をストローの先で回しながら、なつきが聞く。
? うん?? お母さん??? 入院したらしいんだ ?
? ????? ?
 カオリの過去は、知らない。
 なつきは沈黙した。
 手にしていたアイスコーヒーのカップをテーブルに置くと、カオリは話し始めた。
? あたしの、家出理由だけどさ??? ?
 聞きたくも無い気がするが、なつきは、無言のままでいた。
 カオリは続けた。
? お父さんが、交通事故で死んじゃってさ??? しばらくは、お母さんと純と、3人で暮らしてたのよね。 でも、お母さん??? 1年もしないうちに再婚してさ??? フツー、考えられる? そんなん ?
 なつきを見る、カオリ。
 当時のカオリは、16歳だったはずである。 大人であれば、それなりに、納得はしていたかもしれない。 だが、多感な年頃??? それに女の子だ。 当時のカオリの心情が、分からなくもない。
 なつきは、少し、頷きながら答えた。
? ちょっと、イタイよね??? そんなの ?
? でしょ? しかも、再婚したオトコ、あたしに暴力振るうのよ? そりゃ、あたし?? 反抗的だったから、仕方なかったかもしれないケド??? ?
 再婚した父親の暴力に耐えかね、家を飛び出したらしいカオリ。
 初めて聞かされた過去である。 おそらく、母親との間にも、多少のイザコザがあったと推察される???
 なつきは尋ねた。
? 純クンは? 新しいお父さんと、仲良くやってるの? ?
 再び、カップを手にし、答えるカオリ。
? 純は、男だし??? 再婚したオトコは、建築関係の仕事をずっとやってて、今、純が行っている塗装屋も、アイツの会社なの。 いいわね、男は。 『 仕事だ 』と、割り切れて。 あたしは、ダメだなぁ??? ?
 はたして、純も納得して働いているのだろうか???
 今度は、カオリがなつきに尋ねた。
? なつきは? どうして家出したの? ?
 この世界では、タブーとされている、他人の過去???
 カオリから尋ねられるとは、思いもよらなかった事である。 気丈なカオリも、実の母親が入院した事で、気が弱くなっているのだろうか。
 でも、カオリになら話しても良い??? なつきは、そんな心境になった。
 カオリの顔を見つめ、なつきは答えた。
? あたし??? お父さんに、ヤられちゃったんだ ?
? え??? ?
 さすがのカオリも、驚いた様子である。
 飲みかけたカップを口から離し、テーブルに置くと、顔をなつきに近付け、小声で聞き直す。
? ??それ??? ホントなの???? ?
? うん??? ?
 伏目がちにテーブルに視線を落とし、なつきは、小さく頷きながら答えた。
 顔を離し、大きなため息を尽く、カオリ。
? そんなんって???! ?
 なつきは続けた。
? お酒好きでね??? いつも、夜は飲んでいたなぁ??? お酒が入ると、性格が変わるの。 よく、ぶたれたわ。 そのうち、外でオンナ作って??? お母さん、知ってたケド、何も言わないの。 あたし、頭に来て、お父さんとケンカしたのね。 そしたら???! あの日は、相当、飲んでたし??? あたし、妊娠しちゃったの ?
? ????? ?
 声が出ない、カオリ。
 その後、母親に連れられ、産婦人科の病院で『 処置 』を行った、なつき。 処置室の外で、母親は、泣いていたのであろう。 その後、なつきの前に現れた母親の真っ赤に腫らした目が、今も鮮明に、なつきの記憶に刻まれている。
 屈辱感は、感じなかった。
 ただ、悲しかった。 無性に、悲しかった???
? 病院で墜ろした日の夜、家出したの ?
 ストローの先で、グラスの中の氷を突付きながら、なつきは言った。
 ???父親に、無理やり犯されていた時、部屋の窓から、月が見えていた。 見事に丸い、満月が???
? ナッキー???! ?
 テーブルの上で、なつきの左手を両手で掴み、泣き出しそうな表情を見せる、カオリ。
 なつきは、無理に作った笑顔で答えた。
? そんな顔しないでよ、カオリ。 もう、過ぎたコトだよ??? あたしは、家には帰らない。 でも、カオリは帰った方がいいよ? せめて病院に行って、お母さんに会いなよ ?
 今まで、なつきの『 先輩 』としてあった、カオリ。
 しかし、今は、その立場は逆転したように思われる。 それは、過去の傷の大小ではない。
 家出人にとって、家族を想う気持ちが現れた時点で、経験?年齢の差なく、立場は決まるのだ。 1人で生きて行く、というモチベーションは、自身のキモチによって大きく左右される。 自分の生活より優先される事項が発生し、それを認知した時期が、『 帰る 』時でもある。
 今、カオリは、それを選択する時期を迎えていた???