35年前の今日、私は中国北京に居ました。北京は動乱の中にありました。

 日中友好の交流団体を企画をした私は、60人の団体の添乗員として上海に入国し、西安、洛陽と旅を続けていました。日本出国前に、北京は既に戒厳令下にありましたが団長の判断でツアーを催行しました。「北京は危険な状況になりました」と洛陽に居た私に北京から連絡が入りましたが、帰国する飛行機便は北京からで北京での予定もあり、団長の判断と団員の全員の了解をえて北京行の夜行列車に洛陽から乗りました。朝到着予定の列車は遅れて昼過ぎに北京駅に到着しました。その日、天安門では

事件が起きていて、北京を離れ郊外の万里の長城へ向かいました。市内は炎上する車や銃を持った兵士や軍用車と戦車が街を封鎖していて北京は動乱の中にありました。

 万里の長城を見学した夕刻、北京駅前のホテルに安全な道を誘導され到着しました。街に人気はなく遠くから銃声が聞こえていました。安全対策でホテルの最上階に全員の部屋を確保し眠れぬ夜を過ごしました。日本への通信は閉ざされていました。

 翌朝、日本航空の臨時便が大阪へ飛ぶと連絡が入り急遽席の振り替え手続きをし、

北京空港に向かいました。街には軍隊や軍用車が多くいましたが、何とか無事に通り抜けて空港へ向かいました。空港内は北京を脱出する人々で大混雑していました。

空港内でも様々なアクシデントがありましたが、一人でも北京に残したらいけないと社運を賭けた覚悟で悪戦苦闘し、添乗員の責務を果たして全員を無事飛行機に乗せることができ安堵しました。あれから早35年、あの日を思い出しています。(ペコリ)

                                                                                                   おやじ