僕は人口の少ない県に生まれた。
大きな産声をあげた女の子は、
その日から約3年後、
両親は離婚し、母の実家に身を寄せた。
(何故、女の子なのかは後で説明します)
祖父と祖母はとても優しく大好きだった。
そして、それは今の変わらず大切に思っている。
3歳から5歳頃まで祖父母の家で居候し、
6歳から母の再婚相手と暮らすのだった。
その頃の母の再婚相手は、
特に害もなく、特に印象にない。
そして、小学生2年の時、綺麗なアパートに
引っ越しをしたり、
母と母の再婚相手との間に一つの命が宿ったり。
単純に嬉しかった。が、
その時はまだ知らなかった。
目には見えない血の繋がり。
産声をあげた妹はとても小さく可愛かった。
妹が生まれると、当たり前だが、
小さい妹に両親が付きっきりで、
相手にされず、よく一人で過ごしていた。
特にこの頃は、苦でもなかった。
これから人生はガラッと思いもよらない方に
進んでいく。
母は、いつの頃からか
気性が荒く、よく手をあげてくるようになった。
髪の毛を引っ張ったり、叩く、蹴るの嵐。
痛くて泣けば、また叩かれ、
怖くて黙れば、外にパンツ1丁で掘り出され
真冬にまだ幼かった私は、叩かれる蹴られ
掘り出され、お前はいらない子だと暴言をはかれ
玄関の外で一夜を過ごすこともあった。
今で言う虐待だろう。
その頃は、親が子に手を出しても
おかしくない世の中だったのだ。
そして、それは中学まで続くのであった。
私は、他人にはわからない母の恐怖と
目には見えない私の中の憎しみを
小学校低学年で気づくのであった。
私の部屋の机には
死にたい 死にたい と
それしか考えられないのかと
思うくらい、この言葉が刻まれていた。
ベットにも、壁にも、ノートにも
ここまでたった生まれて9歳の子が、
追い詰められていたなんて
今客観視すると、娘を持つ親として、
ヒヤッとする。
大切に我が子は育てようと心から思う。
続く