・『日本書紀』では,卑彌呼を神功皇后に擬しています.

したがって邪馬台国は奈良盆地内の大和にあったことになります.

これが最も古い邪馬台国の畿内所在説です.
 

・新井白石は倭人伝の記述を根拠にして,畿内説だけでなく,九州説所在説にも理解を及ぼしました.自ら2つの説を提出し,邪馬台国所在地論争の火を付けました.
 

・その後のことになりますが,本居宣長は,卑彌呼は熊襲の女酋長のたぐいだ,と決めつけています.そうだとすれば,邪馬台国九州説ということになります.

・畿内説と九州説が,同時代(1910年代)における明確な論争となったのは,白鳥庫吉(東京帝大)と内藤湖南(京都帝大)からでした.ここに始まる論争はそれから100年以上も経過した現在でも解決していません.

・倭人伝には,倭に派遣された魏使の帯方郡からの旅行行程の里程のように,経由地が次々に記述されています.大雑把に言えば,九州説ではこの里程記事を信用し(ただし1里の長さは60-70mという短里),畿内説では1里の長さや方位の記事に誤りがあるので信用できない,としています.
 
・両論が並立し決着が付かないときは「議論の出発点に戻る」でしょう.畿内説にしろ九州説にしろ,「倭人伝」の記事から始まっています.里程記事内容を信用する,しない,これより先に検討すべきことがあります.

 方位はどうやって測ったか,距離はどうやって測量したか,

すなわち3世紀中ごろの中国における「測量法」を知ることが

問題の出発点でしょう.