お知り合いや、友人の中に、短期間の間で以前よりも顔がやつれていっているのが気になる人いませんか?唇の色が以前はつやつやしてよかったのに、最近は黒さが目立ってきたとか、笑った時のシワが増えた様に思えたり・・・。

そこで、このような人を「東洋医学」 で「診立て」ていくとどのような状態なのか?を考えてみることにしました。

 

以前、ある情報番組で、

・氷菓子を一回に30本位食べる

⇒自宅冷蔵庫には常に40本ストックしている。

・とにかく甘いものが大好き

⇒2Lのパフェも軽く食べられる

・大の肉好き

⇒肉さえあれば満足

という20歳後半の男性のことが紹介されていました。

いくら好きでも身体に悪いこと間違いありませんよね。

なぜこの人はこれほどまで氷菓子を食べずにはいられないのか?
例えば、冬の室内で暖房器具を使用するとします。何もしないと、部屋の上の方だけが熱くなってきて、下の方は寒いままなんて経験はありませんか?この現象と同じで、人体も容積が一定の部屋だと考えれば、その中で循環が悪くなる場所が生じるのです。
人体なら、首肩頭は熱が溜まり、足腰は冷えるといった現象です。
腰痛、肩こり、首筋痛は、この循環の悪さが大きく影響した症状ですので、この人に見られる喉の渇き、喉に冷たさを求める現象も、それが原因だと思われます。


東洋医学ではこのような状態を「脾虚」と言います。

「脾」は西洋医学で言うところの「胃腸」を中心とした消化器官・その機能全体を指します。

その「脾」が弱っている状態が「脾虚」なのです。

胃下垂や猫背の人にはこの「脾虚」の状態にある人が多いと言われています。
また「脾虚」の人は甘いものを欲しがります。甘いものは本来「脾」の機能にとっては栄養になりますが、摂りすぎると逆に毒になります。

このテレビ番組で紹介された男性も猫背でした。このような猫背の人の多くは、慢性的に胃腸が弱って内臓が下垂している可能性が高いと言えます。

東洋医学では「脾」(胃腸)の働きが悪くなると、「気」(エネルギー)が正しく体内に回らなくなると考えます。「脾」(胃腸)の機能が低下して「気」が上手く回らずに滞ってしまうと、「気」の中のひとつである熱が上へと上がってしまいます。ひどい場合は吐き気をもよおします。また、本来正常な胃腸の働きに必要な熱が上に上がり不足しているところに、冷たいものの摂り過ぎや、クーラーによる冷却によって、胃腸は冷えた状態にさらされます。すると、胃腸はますます弱り、結果、消化不良、下痢といった症状になって現れることもあります。


 夏には「冷たいものを摂り過ぎない」を意識して胃腸をいたわる事が必要です。
上半身が熱く火照った様に感じると、氷菓子や冷たいものを喉に流し入れたくなります。しかしそれは身体の「気」の流れのバランスを欠いたことによる「見せかけの熱」で、実際には身体の芯は反対に冷えていることを自覚し、自制することが大切です。それが夏バテを防ぐことにもつながるのです。                    

夏バテ予防としては、
・食べ過ぎない:特に肉食ばかりに偏らない。
・飲みすぎない:ビールや清涼飲料を飲みすぎない。
 ⇒ちなみに、水分補給では、暑い外では麦茶、クーラーのきいた室内では玄米茶、いずれも常温あるいは温かいものがお勧めです。

・クーラーに当たり過ぎない:扇風機等の風に長時間当たり続けることもNGです。

⇒毎日身体を冷やし続ければ、誰でも必ず夏バテを起こします。

番組で紹介された男性にはほとんどが当てはまります。彼はお酒は飲めないですが、炭酸飲料水が大好きで何杯でも飲めるそうです。

 

冒頭のように、なんかやつれた、唇の黒ずみ、ほうれい線が深くなる、さらには猫背になってきたというのは、「脾」(胃腸)が弱ってきているサインなのです。これからますます暑くなりますが、暑いからと言って、身体を冷やし過ぎないように意識した生活を送りましょう。

.仕事(や生活)の中に、あらかじめ意図されたインプットが「場」に埋め込まれていること

.アウトプットしながら、インプットしていくこと(あるいは、インプットしたすぐそばからアウトプ ットしていくこと)

.アウトプットの結果から得た学びが、全社で共有される仕組みになっていること 

 

前回は一番”肝”になると考えております1.についてお話ししました。

今回は2.と3.について説明したいと思います。

 

2.【アウトプットしながら、インプットしていくこと(あるいは、インプットしたすぐそばからアウト プットしていくこと)】

 

これは、「走りながら考え、考えながら走る」

といった感じです。イメージとしては、IT企業がよくやる、OS、ソフト、システムなどの製品開発をしたときに、完成させてから販売するのではなく、6割~8割程度と未完成でも、とりあえず市場に投入してみて、クレームだったり、フィードバックだったりをもらいながら完成させていく、バージョン1.02.03.0・・・というやつです。

 

従来の常識だと、完璧な商品(サービス)ができて初めて市場に出せる、という感じですが、今の時代はそれでは遅すぎるモノ・コトがたくさんあるのです。さらに、最終形の正解というものがないのが前提で、めまぐるしく状況は変わるのです。今は完璧な「正解」よりも「最適解」を素早く出していく時代と言えるのではないでしょうか。

 

だから、従来の研修スタイルのように、のんびりと集合研修を受けるだけでは、なかなか実践にまで至りません。

 

また、練りに練って時間をかけて完璧にやろうとしても、もうできあがったときには、その機会は去っていたということになってしまう事も起き得るでしょう。だからインプットと同時にアウトプットもしていくような場を作っていくことが大事なのです。

 

3.【アウトプットの結果から得た学びが、全社で共有される仕組みになっていること】

 

これは「組織で学ぶことの意義」であると言えます。

理解しやすくするために、AIをイメージしてみてください。AIの凄さは、“試行錯誤”を素早く実施し、それを即座に共有できるところにあります。これは、1WAYと5WAYとでは、単純計算でも精度や効率に5倍の違いが出ることがわかります。従業員1人が、1WAYのしくみしかないのに、能力を上げようとするとどうなるでしょうか?

1人の狭い視野で「とにかく自分が頑張ります」という精神論に陥ってしまうだけでしょう。

 

これではなかなか今の時代には付いていけない・・・。だから「学びの共有」により「自分だけの知恵だけではなく、多くの他の知恵・ノウハウをいかに共有し合えるか」がますます重要になっていくと考えるのですが、多くの企業では「教え合う」文化はまだまだないのが現状ではないでしょうか。

 

以上が、これからの時代に企業が再構築するべき人財育成のポイントです。

 

最後に、3回に分けてお話しした一連のトピックである「人財育成改革」は、根本的には、教育の「効率」の問題についての内容ではないと考えてます。どちらかと言うと、

今まで巻き込まれなかった従業員が自然に巻き込まれていくための工夫”

の必要性についての方が大きいと考えています。結果として「効率化」されていくということを狙っています。学習(勉強)のことですので、従業員の関心や意欲が大きく影響してしまいますから・・・。

人は、興味のないことを強制されるよりも、興味を持ったことの方が、学習が進み、学んだことを使おうとしますよね?だから、「“教育の何を”改革すべきか?」を間違ってはいけないのです。そこが最重要だと考えます。

 

今回言いたいことは、「いかにして、ただでさえ忙しく多様な価値観を持つ人たちの学びの効果を上げるか」です。

 

 まず、1.【仕事(や生活)の中に、あらかじめ意図されたインプットが「場」に埋め込まれていること】です。

 インプットが場に埋め込まれている」と書かれています。これは、勤務時間の削減圧力と人手不足により、みんなが忙しい。よってこれからの時代の“学び”のポイントとなるところです。 

この表現には、次の2つの意味が込められています。 

ルーティン業務・作業の中にも、“意図した学びの機会”を作り散りばめておくということ。

もし、ルーティン業務・作業と学びが分離していたら(通常のやり方)、忙しくなっている従業員は「業務で一杯一杯、忙しくて学ぶ時間などない」ということになりがちです。前回「これからは今までの倍の知識を得ていかないと、時代についていけない」と言いました。多くの識者たちによると、これからの企業は、,ますます知識を高度に磨いていって、より一層の価値創造をしていく必要がある。「企業あるいは働く人の学習」こそが、それに直結するものであるということです。ということは減らしてはいけないのはもちろん、質・量ともに高めていかないといけな い 

だから、ただでさえ忙しいのに、学習時間は増やさないといけない・・・。これを確保しようと思ったら、今までのやり方では時間が足りずダメだということです。

 

そこで、ルーティン業務の中に「学び」を“意図的かつ計画的に散りばめる”ことに取り組むことが大事なのです。だから、「場に埋め込む」という表現にしました。言い換えると、“いつでもどこでも効果的に学べるようにする”といった感じ。もちろん、研修会や勉強会など、ルーティン業務以外の従来型の学びの場も組み合わせて活用すべきです。

もし、従来型の研修の時間が取れなくても、ルーティン業務の中で空気を吸うように学べ

るようにしておくとカバーができるということになります。まず、ここがポイントです。

 

⓶「場」という言葉を使っていますが、いろんな「場」をセットしてその力を利用することです。

 

例えば、「飲み会」という「場」がありますよね?現状の社会情勢下では実施不可能ですが、今後の話の例としてわかりやすくするために飲み会を取り上げます。

飲み会で楽しく話しながら、結果的に学べるとしたら、そんな飲み会は積極的にやるべきだと思いませんか?

 

例を「飲み会」でしましたが、「飲み会をやりましょう」という推奨話ではないことは強調しておきたいと思います。とにかく、飲み会でさえも「楽しく学べる“場”」にできるなら、それは、“コミュニケーション”と“教育”の一石二鳥の効果が期待できる場ということです。普通、飲み会というと、コミュニケ ーションが目的ですが、楽しみながら「気が付いたら学んでいた、やるべきことがわかった」ってなるのは理想的です。

ちなみに、ある会社では、飲み会は、「創発の場である」と言い、各部署で飲み会を実施することを奨励しているそうです。その飲み会では、忌憚なく新しいアイデアをぶつけあい、意見交換が活発に行われるので、下手したら有料のセミナーよりも学びが多い場になっているという話を聞いたりもます。しかも、懇親だけが目的ではなく、そもそもメインの

目的は「創発すること」なのです。

 

創発とは、簡単に言うと、個々人の能力や発想を組み合わせて、創造的な成果を生むというイメージです。私は勝手に、飲み会なら実施がしやすく、手っ取り早い方法だと思っていますが、もちろんそのまま「勉強会」という“場”でもŌ Kです。

 

ポイントは“場”というものは、参加したら「楽しかったとか、人生が変わったとか、成長している実感が得られた」など、従来の堅苦しい「勉強のための勉強」という感じではなく、自然と「巻き込まれるもの」であることです。

逆に言うと、マジメで堅苦しいだけの「巻き込まれない場」では何も生まれません。だから、従来の学習塾スタイルというのは、巻き込まれづらく、研修効果が講師の力量によるところが大きいのです。なので、飲み会でも勉強会でも、

「巻き込まれるか否か」がポイントです

従来の「研修も仕事だから当然」という前提での教育は「巻き込まれるか」という点で微妙です。

 

なぜ「場の力を使う」ということにこだわっているのかというと、

意図的にそういう場を生みだしたい

と考えるからです。従来の教育の主なスタイルは、先生と生徒の主従関係でしたが「場の力を使う」とは、上下左右、縦横無尽に、先生になったり、生徒になったり、みんなで考えたりと、“場”をフル活用して学び合うことを意味します

例えば、若い人が年配者にITを教え、年配者が若い人に人間関係や気配りを教える・・・。経理が現場に数字を教え、現場が経理に商品やお客様のことを教える。そんなイメージから入るとわかりやすいでしょう。だから、ここでの「場」の条件は、

トップダウン的ではないということ

です。どちらかというと、「教え教えられ」の関係です

あと、場の力として、学びの中で使われている用語などの「共通言語」(経営理念や社是など)を日常的な会話で多用する状態になっていると強力な育成効果があります。

共通言語を使って話し合うことによって、自分と相手との解釈や理解の深さの違いに気づき、多角的に見ることができ、さらなる学びが自分の中に入ってきます。その結果、上から教え諭されなくても、“場”でのやりとりを通して、自ら「そうだ!こういうことだったんだ!」と気づきが生じるのです。

この「自分から気づく」ことが企業の至るところで起こるようになると、自主性が高く自律的な組織になっていくと思うのです(逆に言うと、この自分からの気づきの瞬間が少ない企業は、言われたことしかできない人々の組織となっていくのではないかと予想します)。

 

次回は、2.を見ていきましょう。