新しい居場所が決まってからの出来事と心境を書いていきます。

 

本当は違う場所に綴った方がいい気もするのですが、

新しい場所を準備するパワーが今はないので、とりあえず。

 

 

新しいポジションが決まった翌日。

自転車で転びました。

鉄柵に自転車ごとぶつかり、身体が飛びました。

倒れたのは道路側ではなかったので車に引かれることもなく、

飛んでドスンと落ちたので擦りむくといった外傷もなかったのが、不幸中の幸い。

ただ、大きなあざが三か所。

そして、一番大きかったのがサドルを通じた足の付け根への衝撃。

今も強い痛みとして残っています。

足の付け根の筋肉って偉大ですね。。

3週間過ぎた今も、全快には至っていません。。。

 

 

これがどういう意味なのか、考えて、決めるのは私です。

 

その瞬間のことを責めたり悔むことは不思議とせずに終わりました。

ですが、些細な動きにも連動して生じる痛みが辛かった。(今も辛い)

自由に動くことがままならないイライラ。

このまま痛みが残ったらとマインドが脅してきます。

痛みは日によって違うし、

安静にはしていられないので、動かし過ぎて治癒を妨げている日もあり。

ようやくこの数日で、痛みはあるけど何気ない動作が自然に出来てきました。

 

 

解釈のひとつとしては

浄化しきれなかったモノが身体の方へ出てきたという見方。

しかも、足の付け根とは、第一チャクラ。

その領域内にある、これからは持っていけないものを手放す、

やりがちなことを、やらなくてもいいと分かること。。

 

以前の私なら、新しい環境に全力、精一杯の力を注いでいたはずです。

張り切るってやつです。

でも、今回は、身体が言うことを聞きません。

気力が60%ぐらいに削がれているので、

無理しないし、いいことも思いつきません。

最小限の力で、そこに居る。

そんな日々でした。

 

怪我のおかげで

お気に入りの桜スポット巡りが出来なかったし

会いたい人と会う機会も繰り延べにせざるを得なかったりして、

ベクトルが決まったと思ったのに、順調とはいきませんでした。

(エゴの思い通りになんて、行かないのですよね。)

 

それでいい、そうするのがいい

ということだったのかもしれないなと思います。

 

でも、どんな解釈でも、それが真実かどうかは不明です。

なので、正しいかどうかも決められません。

謎のままにしておきます。

 

 

今回の変化は、

活動の場を移すとか、新しいステージだとか、新しい扉が開いたとか

周りの人にいろんな言い方で祝福してもらいました。

有難いことです。

 

しかし、一方で、自分の中ではどこかしっくり来ません。

 

初めは、脱皮して張り付いていた硬い殻が取れて

ふにゃふにゃしてる感じだったのですが

慣れてくると、中身の構造とか、成り立っている物自体が入れ替わっているというか、

前と違う感じがするのです。

以前がどんな感じだったかの感覚も薄くなっています。(怖い)

今までこだわっていたものに一切関心がなくなっているというか。

 

言ってもらった言葉たちは

変わりのない自分がいて、舞台が展開・スクロールして移動するとか

変化のない私が、これまでとは違う新しい世界に身を置く

そんな風に感じるのですが(言ってくださった人の意図とは別です)

今の私の状態はそうではなくて。

 

あれ、なんだか、私、違う人になったかもしれない

ぐらい、違うのです。

 

痛みのおかげで、

「リセットしたし次の目標を探して頑張る!」といった気持ちもわかなくて

今を成り立たせる、持たせるためにしか心が動かないというか。

 

大体において、目標とか理想がなくなっているというか。

以前はヒーラーになるにはどんなことをすれば良いのか、と考えていた気がします。

それより前は、今の仕事ではない、本当の私のやりたいことをみつけなきゃと焦ったり。

 

今は目の前にある、その事に取り組む、それで良いと思っているから

やり直しになっても落胆しないし、慌ててやり遂げようみたいな気を揉む事もなくて。

 

それは、自分で作り上げてきた”何の誰それ”

というブランドを守るとか保持する振る舞いとは真逆のこと。

すごく気楽です。

何かを目指して、未来のために頑張るんじゃなくて

今に安住する、そういうことか、と気づけています。

 

何のためにそれをやっているのか

純粋に、単純に、見えてくると、面白いですね。

 

長くなりました。まとめもないけれど、これで終わります。

 

最後まで読んでくださった方、ありがとうございます。