のんびり書いていますよ。
どういうわけか今回も水曜日。意識してませんよホントに。
昨日はちょっとこまごました用事を。
気持ちのいい日差しもあって聞いていたのはRaphaelのevergreen。
いつもは天使の檜舞台Var.(ZeppTokyoのライヴ音源)なんですが今日は何となくシングルで。
もう20年くらい前なんですよね、この曲。
彼らが10代だった頃。信じられないクオリティ。
やっぱり華月は天才だったなあと思います。咲人が嫉妬するわけですよ←
で。それでもやっぱり音が若いというかなんというか。でもそれがいい。
その時の彼らが目一杯頑張って詰め込んだ音に少し目頭が熱くなってしまいました(お外なのでギリギリ堪えたけど)
『青のオーケストラ』にあるセリフ、「その時にしか出せない音っていうのがあるんだよ」。
っていうのを思い出した。
…ちょっと逸れた。
華月が亡くなってずいぶん経って、Zeppのライヴへ(強制連行された)。
この時のゲストギタリスト4人の中に…咲人がいた…(いやマジこれ知らんかったのよ)
私がRaphaelの曲の中で一番好きな症状3.XXX症。
これを弾いたのが咲人だった。
その日はもう何が何だかわからない感情であっという間だったけど、後からライヴ音源を聴いているうちに
「これって幸せなことだよなあ…」
って思ったのです。
勿論華月が亡くなったことは悲しい。その事実は変わらない。
でも、二度とライヴはないであろうと思っていた彼らが形を変えてとはいえライヴをやってくれた。
そしてそのサポートに今自分が一番好きなギタリストが参加してくれている。
自分が大好きな曲を大好きなギタリストが弾いてくれている。
これってすごく贅沢なんじゃないのって。
何度もライヴ音源を聴き、咲人(や他のゲストギタリストの皆さん)の、華月の音を最大限尊重しつつも自分なりの、自分のできる
音で敬意を払って弾いてくれている音がそう思わせてくれた。(因みにLidaさんやAnchangもちょっと通った奴ですw)
今思えば、この頃から少しづつ納得していたのかもしれない。
昨日昔の、華月の音で聴いたとき、ライヴ音源になかった、その時だからこその魅力が感じられた。
それは色褪せたとかそういうものではなく、この時のものはこのままでいいんだ、という一つの完成形。
きっとそれは今華月が生きていて本人が弾いても生まれない音。
彼はあの時、あそこまででよかったんだな、と思わせる音。
もう一度書くけれど、華月が亡くなったことは悲しい。揺らがない。
でも、彼があそこで亡くなっていなければ、咲人のギターで聴くこともなかったし、そこから一回りして
改めて華月の音の魅力に気づくこともなかった。
華月が弾いたものがオリジナルとするならば、咲人達が弾いたものはそれを越えようとするもの。
その構図でいいんだな、と。YUKIも声が変わり、昔のものとはだいぶ違っている。
再現なんてできない。ダブルスタンダードになるけどその二つは両立する。
面白いし、それを目にできる、耳にしていける私は幸せ者だな、と。
そう思ったとき、すっと、なにかすとんとした感じになったんです。
「ああ、やっとだな」とすっきりしました。
昔、同じ感覚になったことがありました。
これが、受け入れる、ということだな、と自分では思っています。
2回目だったので少し自分で考えた結果、私にとっては
“その人がいなくなってしまったことを悲しんだ上で、その人がいなくならなければ発生しえなかった未来に満足していることを自覚すること”がその人の死を受け入れること、だと感じているんだな、と。
やっぱり15~20年くらいかかるもんですね。うーん、あの友人はあと数年の予定だが…共有できる人間が近くにいないから消化できるきがしてねえなぁあの馬鹿野郎。
だらだら書いてすっきりしたので米研いで子供らのお迎え行ってくるかな。