娘は重篤な状態が続いていました。
CPAPを付けていました。
小さな身体には色々な機械がつけられていました。

小児科の先生が
脳のCTを撮ったので
色々説明がありますと看護師さんが
言いに来ました。

家族で説明を聞きに行きました。
脳の部分を見ると真っ白でした‥

これは‥‥

先生「お腹の中で赤ちゃんに酸素がいかなかったので脳に、ダメージがみられます‥」と

 「まだ、危険な状態は脱していません。これから色々な困難を乗り越えなくてはなりません」と

未熟児網膜剥離というリスクも
ありますと‥


私は覚悟を決めていたので、驚きはしませんでしたが、義母、主人は次女の事を

あのまま亡くなってたら幸せだったのかも

とか言っていました悲しい 

今でも、忘れられない言葉です。


私は退院してからも、毎日毎日搾乳し

母乳を病院まで届けに行きました。

娘の体重は980gまで、一時落ちましたショボーン

小児科の先生がカンガルーケアを勧めてくださいました。


カンガルーケアとは

ママが赤ちゃんを裸のまま、母親の胸で抱っこすることです。

もともとは、NICU等で過ごしている低体重出生児に行われます。母子のふれあいが可能です。


初めは恐る恐るでしたが、段々となれてきました。

不思議な事に、生後1か月を過ぎて娘のおでこには

お地蔵さんみたいなホクロができました。




更に、その頃また脳のCTを撮りました。

小児科の先生に呼ばれ、話を聞きました。

先生が

「脳が前回真っ白だったんですが、

今回のCTでは綺麗になっています‼︎」

との事でしたポーン


私「先生‼︎ということは⁇」目汗


先生「29週で産まれた為、脳が再生したのかもしれませんね‥と30週以降にあの状態で産まれてきたら、脳のダメージは、まぬがれませんでした」

奇跡が奇跡をよび、色々な事を娘はクリアしていきました。

未熟児網膜剥離も大丈夫でした。

それでも、可能な限り娘に会いに

病院へ行きました。


ミルクの量を制限されていたので

おしゃぶりを吸わされていましたが、チューブからミルクを飲んでいたのも外れ、2か月を過ぎた頃には哺乳瓶で飲むようになっていました。

日々、成長を感じる事ができました。

今日は200g増えました\(^-^)/と看護師さんとの日記のやりとりが毎日カレンダーに体重を記録していました。


実家で産後過ごしていたのですが、

あの真っ黒なアゲハ蝶はいませんでした。

母に聞くと、不思議と次の日からいなかったのよ‼︎って

妹も娘が産まれた日実家へ来て

黒いアゲハ蝶飛んでいたの見て、気持ち悪いね‥と母に話したそうです。

虫の知らせというのってあるんだなあ‥と

この時初めて感じました滝汗


今、次女は普通に過ごしています。


妊娠中は何か、異変があったら直ぐ、

病院へ

そして、母子共に危険な

早期胎盤剥離というのがある事を

産婦人科の先生も、妊婦さんにも頭の片隅でもいいので覚えておいてほしいですおやすみ

後で聞いた話ですが、

1分1秒を争うということでした。


三女が産まれる時は

小児科の先生が念の為といって、 

分娩室まで小児科の看護師さんと一緒に来てくださいました泣き笑い

「今回は無事に産まれてきてよかった」と

言って聴診器で三女を診てくださり、

帰っていかれました泣


本当にありがとうございました

と伝えました


最初に行ったかかりつけの

産婦人科へはあれっきり

行っていません。

もし、娘が亡くなっていたらと思うと

今でもぞっとします不安