ごきげんさまです。

 

あれもこれも、ブログネタは浮かぶのに、時間があっという間に過ぎていくのです。

まだまだ、 モノの管理に時間を取られているせいかもしれないですね

 

 

次男が隣の市に引っ越してくるにあたって、嫌がられない程度に準備をしました。

先に鍵を預かっていたので、部屋の掃除と、トイレットペーパーやトイレタオルを先に購入しておいて置いてきたり。

その時に「珪藻土のマットが便利だから、購入しようか?」というと「持ってるからいらない」との返事。

 

 

いけないいけない。

いらないおせっかい発動だわ、反省仕切り。

実家の母の二の舞いを演じるところだったわ。

 

昔、結婚する時に、母がありとあらゆるものを送ってきました。

それは全部母の価値観で選んだもの

 

例えば メイクのためのドレッサーは買わないと言ったら 「ドレッサーを持っていかない花嫁なんて聞いたことがない!」と言って飛騨民芸のライティングビューローを代わりに送ってきたり。←これは今でも夜Zoomやる時重宝してますけれど

 

色々「これはどう?」って聞かれるたびに「要らない」と言ってたら

作家物なら文句ないだろうとばかりに作家物の花瓶、額に入った絵、けやきの1枚板を使ったミニ椅子、麻の染テーブルランナー(タペストリー?)などを 母のお気に入りのちょっとおしゃれな民芸風小物を扱う店でどんどん送ってよこしました。

(まぁ そのお店のカモだったわけですね 笑)

 

 

 

左は母から三和織物の刺子クロス。悪くはないけど、右が好きなのー

 

「いいもの」なら置いておこうか・・と思ったけれど

私のライフスタイルに「和」の要素は少ない。

和室も床の間がないから 和のタペストリーも掛けようがない。

茶道もやっていないから、そんな風情のある花瓶は飾らない。

 

こうして 「おせっかいなおばさん」ばかり増えていきました。

なぜ私は それらのものを今まで処分できなかったんだろうと考えた時に

 

「まぁいいか」の気持ちもあったけれど

「いいもの」を持っていると 自分がセンスの有るヒトに思われるかと思ったんだなぁと。

自分に自信がないからブランドものや いいものと言われるものに弱いんだなぁと。

 

でも断捨離を学んで 少しずつ自分の「好き」の輪郭がはっきりしてきた時に

使わないで納戸にしまっている花瓶や作家物の絵が

自分の「好き」とは離れていることがわかり

それらの「作家物」に頼らなくても「私はわたしだ」と思え(まだ自信はないんですけれどね)

これからそれらの「今まで手放し難かったもの」を手放していこうと思えました。

 

幸い、前のブログにも書いた通り、幼なじみが自宅でヒーリングのお店(サロン)をやっていて 和モダンなテイストなので、先述の和のタペストリーも彼女の玄関で活躍してくれ、湯呑みも使ってくれています。

 

 

 

 

 

モノは使う人のもとへ行くのが一番幸せですよね。

私のもとでずっと日の目を見られなくてごめんなさい。

これからは胸張って使ってもらってね。