最近よく読まれている小説をたまには…と思い、自分の好みをAIに伝えてピックアップしてもらった本です。
本書のあらすじは、およそ以下のようなものです。
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婚約者の真実(まみ)が、挙式を控え、突然謎の失踪をした。彼女の行方を探すうちに、架(かける)は真実の思いがけない過去を知ることになる…
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物語の構成がひと工夫されています。
冒頭にある、真実と架の短いやりとりの場面。本編の印象的なシーンを抜き出しただけのように見えるのですが、これがのちに効いてきます。
作者の辻村深月さんが仕掛けた鮮やかなミスリードですね。エピグラフ的な発想なのかな?
思いっきり引っかかってしまいました 笑
この文章のあと、まず、架目線としての〈第一部〉があります。
物語の冒頭で、婚約者の真実が謎の失踪をしてしまいますが、思い当たる理由がありません。結婚式の打ち合わせについての他愛ない電話のやりとりが最後の会話になってしまい、途方にくれる架。
彼女を必死に探す架の目を通して、純粋で誠実で守ってあげなければならないような存在だと思っていた真実が、実は他人の悪口を友達にコソッと言うようなごく普通の女性だったということや、そんな彼女が一世一代の賭けに出て、架に嘘をついていたことなどが少しずつ掘り下げられていきます。
自分は一体、彼女の何を知っていたつもりだったのだろう。
そしてまた、婚約しながら2年間も、彼女との結婚に踏み切れなかった自分は…。
そして〈第二部〉。時間が経ってどこかの土地で暮らす真実の現状かと思いきや、〈第一部〉の架パートとまるで同じ時間軸を、真実の視点から描き直します。
架にとっては他愛のなかったあの電話の裏で、真実が一体何を思い悩み、苦しみ、どんな決心をしていたか。そういった彼女の考えが1つずつ解き明かされていくのです。
つまりこれは〈第一部〉の答え合わせですね。
この構成は非常に面白かったです🎵
真実が生きてきたのは、常に周りから軽んじられがちであった友人関係や、自分たちの価値基準のみで物事を決定してしまう両親、既定路線だけの進学や就職などの世界です。
これらに囲まれた諦めモードの暮らしの中で、〈善良ないい子〉でなければ生きていけなかった真実の閉塞感と、そこから抜け出せる希望の光としての架の存在。
これは、「私なんか可愛くないし〜」と表面は自己卑下しておきながら、どうにかして明るく可愛い子たちが集うクラスの中心的なグループに入ろうと張り切ったり、受験や就職に人生のランクアップを賭けて必死に努力したりする、〈何も持っていないその他大勢〉の人間であれば、痛いほどわかる話だと思います。
たった一筋の、やっと見つけた、自分をここから救い出してくれる輝き。
だからこそ真実は、その光が揺らぎ、きらめかなくなったとき失踪するしかなかった。そういうことですね。
そして、人生に迷った真実は、震災復興のボランティアに突如参加してしまいます。
(※この設定、数年前に読んだ山本文緒さんの『自転しながら公転する』でも似たようなものがありました。そして確か『自転しながら…』の主人公は、「考えもなくボランティアに来ても、結局何も変われない」ということを思い知って帰っていきました)
このあとの展開は…まぁちょっと、真実ちゃんに甘すぎるかな?
実際には、ボランティアに行くと何か啓示が降ってきて新しい自分になれる、ということはあまりないと思います。
志が高くて賢い人間の近くにいると、感化されて自分も素晴らしい人物になれたように思っちゃいますけど、それはただの錯覚なんですよね。
人生とはもっと地味であり、1つずつ自らの力で試行錯誤しながら積み上げていくものです。
でも、本書はおそらく若い方向けの〈自分探し〉のお話なので、未来的なキラキラ✨️があってよいのでしょう😊
自分に自信がなくて言えなかったことを、相手の機嫌を損ねることを恐れずはっきり伝えられるようになるということは、人生のどこかのタイミングで身に着けておかねばならない大切なことですから。
強くなっていく真実の姿にご自身を重ねて、励まされる方も多いと思います。
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本書の核の部分について、ちょっとだけ。
【傲慢=自分が思っている以上に自己評価が高い】
架と出会う前に真実が入会していた結婚相談所の人間が、このような皮肉を言っています。面白いですね。
それはよいのですが、この後、具体的なエピソード(真実の過去の話、真実と架の女友達たちとの遭遇、架と真実のデート、架が真実に抱く違和感など)があるたびに、「この感情は傲慢である」などと説明が入ります。
そして、どんなエピソードも大体この〈傲慢〉に振り分けられてしまいます。
これは違和感がありました。
話を単純化しすぎではないでしょうか。
自分を客観視できないのも傲慢、
婚活相手に対して心の中で点数をつけるのも傲慢、
地味な女子が、SNSのアカウント名を自慢の彼氏の誕生日にして、そこで「こんな自分を選んでくれて嬉しい」と語るのも図々しくて傲慢。
本当にそうでしょうか。
何でも〈傲慢〉でカテゴライズすると、確かに話がわかりやすくてよいかもしれません。
しかしそれでは、思考停止になるように思えます。
人は、出来事や物事に言葉を与えてしまうと、それ以上深く考えなくなります。
たとえば、〈毒親〉と親をラベリングして、子供の間違いを注意しただけでも、感情的な言い方をしただけでも、すぐ〈毒親〉という言葉で話したがる人たちもいます。
本当に、ほんとうにそれは、毒なの?
〈自分の子供のよくない行為を指摘する〉ことにおいて、叱る・注意する・諭す・誤りについて説明するということと、子供の人格を潰すほどの暴力で親の考えを押し付けるということは、全く違います。
キャッチーな言葉だけが独り歩きしてしまい、その言葉だけで本書をわかったような気になってしまう。
この作品において、繊細な心の動きなどがたくさん書かれているのに、それらが読み手の心に沁みていかないのではないかと心配になってしまいました。
辻村さんのわかりやすい書き方に、読者が甘えきってしまうのではないかなー。
そんな作品でした。
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お読み下さりありがとうございます。
今時の作品もちょっとは読まなくちゃ、と購入しましたが、私にはキツかったですね😅
若い頃は似合っていたはずの洋服やメイクに「あれ?」と思う瞬間が来るように、
文章にも自分にとっての旬があるのだなと感じました。
本作は小説というより、論説文のようでした。
テーマがあり、辻村さんによる言葉の定義があり、その抽象性を補完すべく具体的な話で埋められていく。そして逐一、わかっていない読者に向けての「これが傲慢ですよ?」「この人はいけないことをしていますよ?」と念押しの説明が入り、読み手の自由にさせてくれません。キャラクターはただの駒のようでしたね。
ここ数年読んだ小説の中で、群を抜くほど読みやすく・わかりやすい作品でした。国語の教科書に掲載されていそうな話です。
私はしっかり中年になってしまったんだなぁ。
そう思いました。
それでは。