Love Letters

Love Letters

a love letter to someone.

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早いものだ。
この5年で、結婚したり、子供が出来たり、デブになったり、ハゲになったり。
どうだい、そっちは変わったかい?
俺と同じ年の彼の笑い顔が好きだ
くしゃくしゃっと、まるで子供のように笑う

今、彼は苦しみながらも自分の進みたい道を進んでいる
苦しみは俺なんかじゃ想像もできないだろう
自ら進んでその苦しくも険しく、
果てなど見えぬその道を選んだ彼は、日々迷っていると思う
迷っているから、たまに間違える
間違えたときは、もちろんかっこ悪い
でも、その道を選んだ、足を進めた彼を
俺はすごく尊敬している

たまにだらけるところも知っている
実はいい加減なところも知っている
実は女が大好きなことも知っている
何か制約がないとなかなか頑張れないことも知っている

たぶん彼自身も、彼のそういうところを知っている
迷いながら、苦しみながら、自省しながら
それでも自分の選んだ道に、しがみついてあがいて
もしかしたら何度も諦めかけてるのかもしれない
もしかしたら現実から目を背けることもあるかもしれない

それでも日々生きていかなきゃいけない
それでも日々楽しく生きていきたい

そんな思いからくる、
決意と
覚悟と
達観と
諦観と
楽観と
悲観と
希望と
絶望と
賢さと
バカバカしさ
が入り混じった、彼の笑顔は本当に魅力的で
俺は大好きだ
彼女との出会いはもう10年以上前
なんだかいつのまにかすごく仲良くなってた気がする
当時は彼女無しでの生活は考えられなくて
何人かの仲間たちと、ホントにいつも一緒にいた

誰でも青春時代の思い出っていうのは
色んな色と、色んなキラキラがあるだろうけど
俺にとって彼女は間違いなくそんな素敵な要素の一つ
彼女がきっかけで世界が広がった

昔からすごく頑張り屋で、恋にも遊びにもバイトにも
いつもひたむきで前向きだったその姿勢に
すげーなぁって思っていました

幸せなことに、きっと彼女からも俺はわりと大事に思われてて
色んな話をしてきたと思う
頼りなく、子犬みたいだった彼女がだんだん成長していく姿は
とても微笑ましく
ほんの少しだけ寂しく
とっても嬉しいことだった

今はたまに連絡取ったりするだけになってしまったけど
それでも繫がっていられるキズナに感謝
数年ぶりに突然会っても
そんなにブランクを感じない関係に感謝

いつだったか彼女から手紙をもらったことがあった
いわゆる女子校生的な「頭のワリー文章」だったけど
すごく素直に飾らず書かれていて
彼女の伝えたいことは溢れるように伝わる素敵な手紙だった
そういう文章も書けるんだって見直したのを覚えてる

歌舞伎町、渋谷センター街、たまに吉祥寺
彼女との思い出はそこら中に転がってる
恋心が生まれなかったのがまったく不思議なくらい
そんだけ一緒にいた、一緒にいれたこと
これは間違いなくすごいことで
その事実だけでも俺には宝物なんです

きっとこれからもどこかで、何かで繫がっていられるだろう
それだけは確信しています

どこに行ってもアイドルなようだけど
俺にとっては今も変わらず横浜で初めて会った時のままだぜ

ありがと
※ただ記録と記憶に残しておくためだけが目的の日記です。

4月2日、同居人で無二の友人の松井大輔がカナダで雪崩に巻き込まれて亡くなりました。

4月3日に、ブラボーのたけるくんから知らせを受け、絶句しました。言葉が無いとはまさにあのこと。何が起きているのか、何も考えられませんでしたし、当然にわかには信じられませんでした。
その日のうちに親しい友人と連絡を取り、夜は仕事を切り上げて集まりました。まだ、悲しむ暇も実感もありませんでした。
ドッキリであって欲しいと思っていました。
頼むからドッキリであってくれと思っていました。

仕事は、今もあまり身が入りません。
しかし忙しく日常は過ぎ行き、連日連夜の撮影の忙しさが救いになっていたのも確か。
大ちゃんの葬儀や、キャスト主催の追悼式、僕ら主催の誕生日会にも、何の力添えもできませんでした。
この時ばかりは自分の仕事を心底恨みました。
でも、彼が常に「うまくいくように祈ってる」と言ってくれていた仕事だったので、逃げるわけにはいきませんでした。
苦しくて苦しくて、どうしたらいいかわかりませんでした。
それでも、日々は過ぎていきました。
たくさんの友人から励ましももらいました。
毎日メールをくれる友達もいます。
それももちろん支えになりました。
4月4日には、エリが来てくれました。
すごく、救いになりました。

毎日仕事終わりに、睡眠時間を削っても、1時間でも2時間でもいいから家に帰ることを目標に仕事をしました。

4月10日、大ちゃんが日本に帰ってきました。
この頃には、信じたくないけれど、信じないわけにはいかない状況や事実が少しずつ積み重ねられてきていて、毎日ただただ「いやだなぁ」と考えていました。
まだ、ドッキリじゃないかって思っていました。

4月12日、昼過ぎまで仕事をして、衣裳部に喪服を借り、品川駅で金髪を坊主頭にして新幹線で名古屋へ向かいました。
大ちゃんのお通夜が小牧市で執り行われました。
たくさんの花とたくさんの人とたくさんの涙でいっぱいの、悲しい式でした。
大ちゃんのご両親や弟、妹とも初めてお会いできました。
ご挨拶だけで、何の言葉もかけることができませんでした。
どんな言葉をかけたら言いかわからなかったし、どんな言葉も頭に浮かんできませんでした。
ただ、涙が流れました。
夜はいつもの仲間と、飲みました。
いつも通りであろうと、頑張りました。
いつも遅れて参加してくる大ちゃんは、来ませんでした。
色んなものを、酒で飲み込みました。
何か現実で、何が嘘なのかわかりませんでした。

翌13日、大ちゃんの告別式でした。
前日同様、たくさんの人がお別れを告げに来ていました。
最後のお別れで大ちゃんの顔を見て、本当に、ウチのソファで眠ってしまっているときと同じ顔をしていて、でも生気は感じられなくて、お父さんが「起きないんですよ。何度起こしても。何とか起こしてやってくれませんか?」と呟きました。
「はい」としか言えませんでした。
それ以上の言葉は出ませんでした。
ただ、涙しか出ませんでした。
いつまでもそばにいたかったけれど、会場にいたたくさんの人が同じ気持ちだったので、席に戻って色々な人のお別れを見ていました。
会場ではcharaの「やさしい気持ち」がBGMで流れ始めていました。
また涙が止まらなくなりました。
会場のアナウンスで「今流れている曲は、大輔さんが好きだった曲です」みたいなことが流れて、みんな嗚咽を漏らして号泣していました。

ご両親の計らいで、出棺の際、棺を持たせていただきました。
大ちゃんにしては重くて、色んな思いがこもって、この重みなんだなぁとぼんやり考えていました。

火葬場まで付いていき、大ちゃんが焼けちゃうのを待って、収骨にも参加しました。
僕と成沢さんで腰骨を拾いました。
成沢さんが「あいつ自分もコンパクトになっちまったなぁ」と呟き、みんなで少し笑いました。
大ちゃんは骨になってしまいました。
でも、まだドッキリかもしれないと思っていました。
それから東京に帰り、何人かの友人たちが僕らの部屋に来ました。
「死んだモン負けだよ」と言いながら、大ちゃんの部屋に入りました。
少しでも大ちゃんを感じられるものをみんな探していました。
みんなは帰ったけれど、達矢は残ってくれました。
達矢には救われました。
カンも「きばれよ」とたった一言だけど、メールをくれました。
この日の夜も涙が流れ続けました。

また忙しい日々が流れ始めました。
僕は大ちゃんのために何も出来ず、ただただ「いやだなぁ」と思いながら仕事をしていました。

4月16日の追悼式に友人代表で挨拶を頼まれました。
僕は仕事でいけないことを伝えたら、カンが「手紙でも良いから書けないか。俺が代読するから」と言ってくれました。
仕事の合間を縫って寝ないで書きました。
何度書いても満足のいくものなんか出来やしませんでした。
絶対に満足なんかしないこともわかりました。
大ちゃんのことは、文章になんかできませんでした。
何とか見切りで出来たものをカンに見てもらいました。
「オッケーじゃん」って返事が来ました。
後は任せようと思いました。
当日、志村が読むことになったと聞きました。
志村が読むなら別な内容だったなぁと思いながらも、後は任せようと思いました。
行きたかったです。
いけなくて本当に残念でした。
会が終わったあと、何人かから「良かったよ」と感想をもらいました。
ほっとしました。
大ちゃんの顔に泥を塗ることにはなりませんでした。
本当に良かったと思いました。

4月21日、大ちゃんの誕生日会の前夜祭と称し、友人たちが集まりました。
当日のメインスタッフを務めてくれる大ちゃんのことが大好きなみんなでした。
カラオケ大会でした。
みんな頑張って楽しんでいました。
僕は頑張りきれず、楽しめず、仕事の疲れのせいにして、途中で帰りました。
4月22日、仕事を抜けて撮影に参加せず、大ちゃんの誕生日会に行きました。
いい会でした。
大ちゃんのことが好きな仲間たちが集まっていました。
みんな頑張って楽しく明るくいい会になりました。
会の最後に、大ちゃんの卒業式のときのVTRが流れました。
うる覚えですが「人は死んだら終わりです。それまで周りの人たちとどういう関係を築いていくかが大事です。うまいことやってください」っていうようなことを言ってました。
正直、アホかと思いました。
でも、「死んでもうまいことやら無いといけないな」と思いました。
2次会になって、また僕は頑張りきれず、仕事のせいにして途中で帰りました。
「いやだなぁ」と思ってしまいました。

毎日毎日「いやだなぁ」と思っています。
もう帰ってこないのは、
もう会えないのは、
もう声が聞けないのは、
もう遊べないのは、
もう掃除してもらえないのは、
もう合コンできないのは、
もう無人島いけないのは、
もうサバゲできないのは、
もうマホラ行けないのは、
もう、もう、もう、
「いやだなぁ」と思っています。

それでも毎日過ぎていきます。
大ちゃんが無くなって三週間以上が経ちました。
明日からも毎日が過ぎていきます。
僕は忙しく仕事をして、家の掃除をして、部屋の換気をして。
GWにはご両親がまた東京にいらして、少しずつ大ちゃんの荷物を片付け始めます。
いろいろなことが少しずつ進んでいきます。

まだまだまだまだ、前向きにはなれないし、頑張ろうとも到底思えないけど、それでも毎日過ぎていきます。

だんだん「いやだなぁ」と思う回数も減っていくのかと思うと、また「いやだなぁ」と思います。

大ちゃんに対して思うことはたくさんあります。
mixiの大ちゃんのページも何度も何度も行って何度も何度も日記を繰り返し読んでいます。
そのたびに「いやだなぁ」と思います。


まだ僕は過ぎ去ったことに出来なくて、「ありがとう」とか「頑張るよ」とかイマイチ思えないけど、思えるように頑張ります。
「いやだなぁ」と思いながら。


※読んでしまった方、すみません。
まとまりも無い乱文な上に救いようの無い内容ですみません。
コイツがいないと僕はだめになる
コイツのいない時間は、割とつまらない
でも、そんなこと思ってるなんて
悟られたくないから僕は頑張る

大学の同期で、仲良くて、一緒に色んな馬鹿やって
他のみんなとかわらない大事な友達だけど、
コイツに認められると、心底嬉しい
そのために、僕は頑張る

極度のSで、言うこときつくて
理屈ばっかりで、しかもへ理屈も多くて
細かくて、基本的に上から目線で
でも実はものすごく友達思いで優しくて
そんなところをたくさん見たいから、僕は頑張る

すごく器用で何でもできて
すごく頭が良くて何でも知ってて
すごく行動力があって、実行力もある
でもたまに抜けてるところがかわいくて
そんな所をフォローできるように僕は頑張る

僕にとって家族と同じくらい大事な存在で
僕の人生をとっても豊かにしてくれていて
僕のことをすごくよくわかってくれていて
僕のことをいつでも応援してくれて
僕の尻拭いをいつも嫌な顔せずしてくれて

感謝の言葉を表現するすべを僕は持たない
書いても書いても足りないし
いくら伝えても足りないけれど
僕にはこんな素敵な仲間がいることを
すこしでも多くの人に知ってもらいたくて
久しぶりのラブレター

ほんとは一番に書きたかった相手だけど
なんか照れくさくてさ
きっと茶化されるだろうし

でも改めて思う
コイツのためなら
僕は何だってする
そう思えることが
今僕にとって
一番の希望で
一番の幸せで

ありがとう

明日もロケで早いので
また書きます
しんちゃんへ

改めて、結婚おめでとう。
それがどんな形であろうと、あなたの幸せを強く強く望んでいます。
それがどんな形であろうと、あなたの選択を強く強く支持します。

今まで「しんどー」と呼んできた僕は、あなたのことを何と呼べばいいだろ?
今さら「いくこ」とか「いくちゃん」なんて気恥ずかしいからねぇ。
付き合いの年数でいうと何年?
14、15年か。
すごいね。
人生の丸半分近く、僕の時間にはあなたがいたことになる。
大学で出会った友人や、社会に出てからの友人よりもずっと長い間、僕の時間にはあなたがいます。
そう考えると、改めて、すごい。
学年も、性別も違って、家も近いわけでもない。
“縁”だ。

あなたと僕は、

飲みに行ったりしました。
カラオケにも行きました。
一緒に勉強もしました。
靴を隠したこともありました。
ケンカをしたこともありました。
迎えに行ったこともありました。
一緒に寝たこともありました。
長電話したりもしました。
MAHORAにも行きました。
スノボにも行きました。
髪を切ってもらいました。
DVDを貸したこともありました。
Tシャツを貰ったこともありました。
酔っ払わされたこともありました。
酔っ払わせたこともありました。
慰めたこともありました。
慰められたこともありました。
支えたこともありました。
支えられたこともありました。
好きになったこともありました。

何かマジで「青春時代」っていう今や誰も使わなくなった古臭い言葉があるとしたら、
その「青春時代」に僕の身に起こうるべき全てのことに、あなたは関わっていました。
すごいね。

人が生きていく上で、本当に特別な出会いというのは数少なくて、
それは性別も関係なく、恋愛感情だとか友情だとかっていう言葉で表せるほど単純でもなく、
なんつーか、たぶん他の誰かに説明してもきっとわかってもらえないような、
そんなもんだと思います。
僕にとってあなたは、そんな感じです。

元気で明るくて、しっかりもの。
楽しむことが大好きで、楽しむことに貪欲で。
声が大きく、涙もろい。強がりだけど、甘えん坊。
夢も野心もでっかいけれど、たまにサボったりする。
努力の人。人の気持ちのわかる、優しい人。
酔っ払うと、めんどくさい。
人として尊敬できる、数少ない人。
僕にとってあなたは、そんな人です。

これからも、その認識は変わらないけれど、
お互い結婚して、子供ができて、年を経るごとにその物理的な関係は変わっていくのでしょう。
でも、それもまた一興。
僕もあなたに負けないように、いろいろとがんばろうと思います。
幸せになるために、仕事を続けるために、笑顔でいられるために。
だから、1年に1度でも、2年に1度でも、頻度は別にどうでもいいから、たまには会いましょう。

引越しの準備で、あなたから貰ったメモや書置きや手紙の束を見つけ、
僕はあなたに手紙を書いたことがあったろうかと思い、書いてみました。
誰にもナイショの、手紙です。だから、メールです。ごめんね。
では、また。
結婚おめでと。
最大の敬意と感謝と愛をこめて。
幸せに、幸せに、幸せに。
いったい何を話せばいいんでしょう?
友人、というか悪友を代表して挨拶、とか言われても、何を言ったらいいのかわかりません。
僕の知っている松井大輔、彼は言葉で説明するにはあまりにも強烈で、個性的で、そして偉大です。
何かエピソードを選んで話そうにも、それぞれが魅力的過ぎて、選ぶこと自体ができません。
なので、やっぱりありきたりなことしか、言えません。
みなさんの知っている松井大輔は、どんな奴ですか?

頭がよくて何でも知ってて、
行動力と実行力があって、
優しくて思いやりがあって、
お祝い事とサプライズが好きで、
照れ屋で、
几帳面で、
収納の鬼で、
何でもかんでも効果音をつけて、
車とかバイクとか乗り物が好きで、
いつも自分は正しいと思ってて、
おしゃべりで、
くだらないことが好きで、
笑顔と寝顔が可愛くて、
寝起きが悪くて、
すぐ風邪を引いて、
常に先のことを考えていて、
段取りが上手くて、
みんなのために何かするのが好きで、
Charaの歌をお世辞にも上手いとはいえない物まねで歌って、
ラップの歌を自分流にアレンジして、
トマトが嫌いで、
シーザーサラダが好きで、
ウィルキンソンのジンジャーエールが好きで、
BOBAミルクティーが好きで、
鍋は好きだけど部屋に匂いが付くのがやだって言って、
意味のわからないお役立ちグッズをたくさん持ってて、
いつもみんなの写真ばっかり撮ってるから自分の写真はほとんどなくて、
女の子にモテて、
寂しがりやで、
流行りのタレントの名前を知らなくて、
楽しみなことの前日はすぐ眠れなくなって、
スキーが好きで…
ほら、切りが無い。
この辺にしときます。

そんな大ちゃんと一年ほど前から一緒に住んでた僕は、ブラボーのたけるくんからこの理解不能な知らせを聞いて、まぁ、未だに100%は理解してないんだけれど、色んなことを考えてます。

あいつの誕生日会はどうしようとか
大ちゃんの生きてたフリースタイルスキー業界のために僕らができることは何かとか
来年の冬には「松井大輔メモリアルカップ」みたいなスキーの大会やれたらいいなぁとか
僕の職業を生かして、奴のドキュメンタリー番組企画してみようかなとか
きれい好きのあいつがいないと部屋が汚くなるなぁとか
家賃高いから一人で払うのつらいなぁとか
光熱費とかの払い込みも僕が全部しなきゃいけないのかとか
シェアしてるものが多いから、ご家族ともちゃんと相談しないとなぁとか

僕の生活に、人生に、大ちゃんは深く関わりすぎていて、すごく困っています。
色々な事を一つ一つ整理していかないといけないのだろうけど、その行為が大ちゃんを整理してしまうようで嫌だったりもして。
色んな人の人生に関わって、色んな人に影響を与えているあいつは、いなくなると本当に困ります。
でも僕は何日か前、なぜだか張り切って、洗剤とかトイレットペーパーとか生活必需品をたくさん買い込んで、部屋の掃除をしました。
本当に忙しくて、寝る暇だって全然無いのに。
大ちゃんがいた時と、僕らの部屋を変えたくなかったから。
きっと、そういうことだと思うんです。
大ちゃんが今まで僕らにしてくれてたこと。
大ちゃんがしてくれなくなっても、それで今まで以下の状態にはしたくない。
きっと僕らは自然に頑張れるでしょう。
そして改めて、あいつの大きさ、すごさを知るのでしょう。
そうやって、あいつは僕らの中に残っていきます。
皆さんも考えてください。
あいつの代わりに車出すのは俺だ、とか
わたしがいつもシーザーサラダを頼むようにします、とか
フォォォオオンとかそういう効果音係は僕がやろう、とか
カラオケいったらCharaの歌は俺に任せろ、とか

大ちゃんの抜けた穴を全力で埋めていきましょう。
何も、変わらないように。
きっと僕らがどれだけ頑張っても、
「バッカ、ちげーよ」って偉そうに修正するんだろうけど。

いつだって全力で仕事をして、全力で遊んで、大ちゃんのいなかった思い出を探す方が難しいくらいアクティブに動いていたあいつだからこそ、あいつのことを思うキーワードはいくらでもあるはず。
そういうかけがえのないものたちを、いつまでも大切にしていきましょう。

だって、あいつ、僕たちのこと、ホントに大好きなんですよ。
僕たちもあいつのこと、もちろん大好きなんだけど。


最後に、余談ですけど、
13歳の時から決めてたっていう、死ぬ間際に思うこと、
あいつは思えたんでしょうか?
僕は、思うことはできなかったと思います。
だって、あいつは最後まで「俺なら死なない」って思ってたはずだから。
「雪崩くらいに負ける俺じゃない」って思ってたはずだから。
最後まできっと、諦めたりはしなかったと思います。

身長低いくせに、生意気で、偉そうで、タフで、パワフルな
松井大輔よ、永遠に。
大ちゃんみたいな奴は、他にいないよ。
これからもよろしく。