nodechurdi1972のブログ

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2014年8月14日、下松市教育委員会の計らいで、希望者が校舎内を見学する機会を得ることができました。↑農協前の細い道を通って正門に向かいます。↑標語がいいですね。「笠戸島 海がキラキラ 人もキラキラ」 小さな集落なので、人間関係は良くも悪くもいろいろあるのが正直なところです。でも、子どもたちに対しては、キラキラした人でありたいですね。↑この坂道をのぼってみんな投稿していました。↑正門から校舎全景を撮影しました。15日の盆踊り前日だったので、校庭の真ん中には櫓が準備されていました。↑校舎東側が児童たちの入り口。左手は給食室でした。↑東側入口を入ったところ。窓や引き戸はアルミサッシになっていましたが、板張りの廊下や壁の質感は、僕が通っていた40年前のままでした。↑校舎東側出入り口すぐ右手に掛けられている鏡。今まで全く気に留めていませんでしたが、、、↑昭和34年4月の入学記念で寄贈されたものだったようです。55年前のものです。この日初めて気づきました。↑階段を上って2階へ。↑2階に上がると、階段状の壁に下松市の地勢模型が掛かけられています。僕の在校時からありました。↑2階東側から西側に向けて撮影。大人になった今、廊下がやたら狭く感じます。↑1・2年の教室。床の板は張り替えられていました。机や掲示物などはすべて片づけられていました。長女と次女は、この教室を5~6人で使っていたので、特段の不自由はなかったかもしれません。でも僕のころは、1・2年合計20名くらいだったと思います。それでも結構大きく感じていたように記憶しています。こんなに小さかったのかと、妙に感慨がわきます。↑校舎西側の階段踊り場に掛けられている風景画。島と本土の間の海峡だと思います。笠戸大橋がかかる前の風景は、こんな感じだったんでしょうね。↑校舎1階の廊下を、西から東に向けて撮影。↑校舎1階西にある理科室。僕の在校時から大きな変化はないようでした。↑講堂内部。学芸会で劇をしたり楽器を演奏したりした舞台が、こんなに小さかったのかと感慨ひとしおです。↑舞台の上から講堂内部を撮影。一般的な小学校の一般的な教室と比べて、同じくらいかちょっと広いくらいの大きさだと思います。やはり床板は張り替えられていました。↑舞台右上に掲げられた校訓。今さらながら、校訓があったんですね。気に留めたこともありませんでした。↑二宮金次郎の像。どこの学校にもあると思いますが、どこか年季が入っている気がします。↑金次郎像が背負っている薪の部分にご注目ください。破損しているのがわかるでしょうか。実は、僕たちが校庭でキックベースボールをしているとき、勢いよく蹴ったボールが誤って直撃。見事に砕け散ってしまいました。なお、蹴ったのは僕じゃないです。↑金次郎像の右に建てられた閉校記念碑。校歌が刻まれています。秋には、校舎の解体が始まるそうです。次に笠戸島に帰るころには、ここは更地になっているかもしれません。 笠戸島から ...