ノデアの作品の鑑賞方法&ノデアの芸術論
僕の作品のおすすめの鑑賞方法を書いておきます。
作品をこう見てくださいとは今まで言った事がないのですが、
あえて、固定観念でアートを見ている人達に書かせていただきます。
よくアートは目で見て感じると言います。
が、僕の作品のおすすめの鑑賞方法は「目で見ずに感じよう!」
です!
僕の個展会場にお越しになり、その空間で目を閉じてそこのエネルギーを
感じていただきたいのです。
僕の表現方法は、空間全体を使っています。
作品は空間の一部であって、エネルギーの増幅装置として考えてます。
なのでこの場所にこの形・色が必要だからと言う配置になっています。
よく僕の個展でもその空間に見えてる物(作品の一部)だけ、見ておられる
方がいます。(そういった方がほとんどですが^^;)
そして目に見えてるものだけ見て、まだ僕の作品は未熟だな等と感じておられる
方もおられると思います。
僕の作品を作る原点は、その人それぞれが自分を見つめ、本当の自分を知る事で
幸せになっていく・・・
その手助けが出来るような作品を作る事です。
僕はその人その人にそれぞれ宇宙があると思っています。
僕の作品を見ることで、その人が自分の宇宙を発見してくださる事を期待していま
す。
まだ僕の作品も未完成部分が多いですが・・・
「愛ちゃん」にしても上記の理由で制作しております。
製作者が世界を限定するのではなく、その作品をきっかけにそれぞれの人が
いろんな創造をする・・・ と言う願いを込めています。
作品から響くものがないと言うお言葉をいただきました。
僕の個展に実際にお越しになった方から、そう言った声は聞いた事がありません。
僕の作品の構成は、中心になるものを鑑賞者にゆだねています。
歴史に残る名作は、その作品の前で目を閉じてもその作品からエネルギーが
送られてきます。
以前あるお方が、僕の個展会場に入った途端、すごいエネルギーを感じたと
おっしゃってくださいました。
そして自分はそのエネルギーをあなたにお返しする事はできませんが、
このいただいたエネルギーをずっと忘れずにこれから生きていきます。
とおっしゃってくださいました。
僕の作品は現在のところ、実際の個展会場でしか味わう事はできませんし、
僕がセッティングしなければ成立しません。
またその空間でのあなた自身によって初めて完成に近づきます。
人類は本質を見抜くもうひとつの目を、退化させてはいけません。
*このブログでやってきている絵日記は、あくまで作品の一部です。
少しでも多くの方のきっかけに出来ればと思ってやっています。
ノデアの覚悟
録画しておいた「おくりびと」と観ました。
ボロボロ泣いてしまいました。
海外でも高く評価されたのがとてもよくわかりました。
この映画には、現在の日本人の忘れているココロが込められています。
親と子、たとえ一緒に暮らせなくても、(子はいつか親から巣立っていく
ものです。)思いは必ず伝わる!と感じました。
子は親の思いをいつかは受け取り、そのまた子へココロを伝えていきます。
ラストのシーンはまさにこの通りではないでしょうか?
大切なのは、ココロであって、ココロがないと生命は続いていかないと
言う事です。
この映画では、僕と亡くなった父とを思い出させる場面があり、
とてもココロを打たれました。
人は、生命は、物質的に繋がっています。
なのにココロが繋がっていないのは、不自然だと思いませんか?
昨日、僕はお世話になっているギャラリーに行き色々お話をしました。
現在の芸術家に対する状況・あいちトリエンナーレ等についてです。
以前僕とお話をしてくださったあいちトリエンナーレの事務局の方
(愛知県美術館学芸員の方)が倒れられたそうです。
原因は多分、行政・民間へのストレスではないでしょうか・・・
具体的な話をしますと、たとえばあいちトリエンナーレの一環として
ひとつの企画に対し100万円の予算が出るのだそうです。
その企画を実現化させるのには、その企画にもよりますが、ひとりですべてを
やったとしても最短2ヶ月、最長は無制限、そして材料費は最低でも30万、
最大は無制限となります。
当然やる本人(何人かでやればその人数)は、その準備期間は他の仕事に付く
事は出来ません。
そうして準備した企画に対し、予算の100万円が支給されたらそれでもう
「ご苦労様でした。」です。
なかには、元々していた仕事をやめてがんばった人もいます。
予算100万円では足りないくらいの費用をかけた人もいるかもしれません。
しかし行政の世界では、終わったらもうさよならです。
行政の人達も義務でやっているだけだからです。
いいものをやろうとがんばった人に対して、日当等の手当てもでないのです。
これでこの国のココロは守られますか?
何が言いたいかと言うと、行政は民間の声で動きます。
民間の一般人のみなさんが問題なのです。
アートなんて金儲けに必要ない、アートなんてなくても人は生きて行ける・・・
ほんとにそうでしょうか?
この世を作ってきているのは、人間の創造性です。
創造性=アート=ココロ
僕はこれを伝えるために生きています!
「現代美術は難しい、わからない」と言う声をよく聞きます。
僕は難しいとかわからないとか思われるような作品はアートとは思っていません。
一部のマニアックな、オタク作品だと思っています。
「愛ちゃん署名」を立ち上げて、あまりにも愛知県のみなさまのアートに対する
無関心を思い知らされました。
「ならいい作品を作れ!」との声もあるかと思います。
ですが、現在のこの世界は儲かればいいっと言う考え方で出来ています。
地道にココロを伝えようと活動を続けようとすればすべて自腹になります。
今のこの世が物質世界である以上、アートにもお金がかかります。
僕が以前から、またこのブログで訴えてきている「ココロを通貨にする」
と言うのは、その作品(ココロ)を見てその人がもらったココロに対して
価値をつけたらどうかと言う事です。
残念ながら、現在のこの世の中はココロを無視して作られています。
僕が毎日描いていた絵日記は、失業手当のおかげで描けていました。
ココロを大切にしたいと思いながら、現在のこの世の中はお金がないと
何もできません。
例えば、とてもセコイ話ですが、僕の絵日記の画像を見るのに1人100円
負担していただき、1日100名の方がみてくだされば僕は毎日絵日記が
描けます。
僕がそんなレベルに行ってるのかと言う問題もありますが・・・
もちろん、こんなセコイ事をしたいとは思ってません。
儲け主義にとらわれておられる方、また最近はエコがはやっていますが、
創造性=アート=ココロが一番の近道だと思ってみてはどうでしょうか?
ひとりでも多くの方がもっと本当のアートにふれてくだされば、この世界は
必ずよくなっていきます!
そしてアート活動の重要性を認識していただき、活動をする人が思いっきり
制作に打ち込めるような環境づくりに気をむけていただきたいのです。
現在の僕は、毎日月曜から金曜まで1日10時間、足は歩きっぱなし、手は
見えないような速さで動かしっぱなしと言うような仕事をしています。
僕の頭の中には、実体化できずにそのままになってる作品が数え切れない程
あります。
もし制作に思いっきり打ち込める時間と資金があれば、それらの作品を皆様に
お見せする事ができます。
このままそれらの作品をこの世に残す事も出来ずに、僕がこの世からいなく
なったら・・・・・
「おくりびと」をみて、
僕の感想は、戦わなければいけない!
っです!
閉鎖するなどと(以前にも言ってますが^^;)言ってしまい自分の甘さを
感しました。
「おくりびと」はそんな甘ったれた僕に勇気をくれました!
これからも、僕はこのブログで訴えていきたいと思います!!!
よろしくお願いいたします!!!!!!!
こんな長い文章を最後まで読んでいただいた方、
ありがとうございます!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
やはり閉鎖
以前から思っていたのですが、ネットと言うものに嫌悪感がでてきています。
ネット上だけの人付き合いの怖さ、誰が見ているかわからない怖さ、最近とてもそれ
がストレスになってきました。
僕は芸術家なので作品を作る事はやめませんが、創作活動を続けるのにこのブロ
グは必要か?
と思い始めています。
一番の原因は変わらない人間です。
僕は人間が嫌いです。
表面だけでみんな生きています。
ネット上ではみんな本当の自分を隠して、表面だけでやりとりをしています。
僕は仮面をかぶった人同士のこうゆう、つくろったやりとりが大嫌いです。
人同士は本当の自分同士で付き合うべきです。
ピグなどにどっぷり浸かってる人もいますが、仮面をかぶった世界で現実逃避して
るだけです。
僕はこのような人達に考えてもらいたいと思い、このブログを作ってきました。
一部のあたたかい方々に出会えたのは、とても感謝しています。
しかし今後、さらなる僕の活動をしていく上で
生の実物の作品からしか渡せないエネルギーを伝えるためにも
これ以上このブログを続けても無意味かもしれないと思っています。
なのでこの記事で最後になるかもしれません。