2025 ウィンターに向けて 牧花和 | 東京農業大学ラクロス部 男子

2025 ウィンターに向けて 牧花和


初めに、日頃より東京農業大学男子ラクロス部へ多大なるご支援をして下さる保護者の方、OB.OG、学校関係者の皆様に御礼申し上げます。



 お世話になっております、1年TRの牧花和です。



 あっという間にウィンターが近づいてきました。 長いようで一瞬だった夏の練習が終わり、リーグ戦も瞬く間に幕を閉じ、毎日が慌ただしく過ぎていっています。 気づけば、そんな日々の流れに少し置いていかれているような感覚もあります。 


 そんなあくせく進む日々の中で、「迷惑」という言葉について考えることがありました。

 私は、最近特に「自分の言動が誰かの迷惑になっていないか」を考えています。 部活でも、「今ここで私がこの仕事をして大丈夫なのか、逆に、そう思って動かないで何もしないことが迷惑になっていないか」 「私が気づかなかった分、誰かに負担をかけていないか」 そんなふうに考えることが多くありました。 

 自分のせいで誰かが苦労しているかもしれないと思うほど、気持ちが追いつかなくなっていって、取り残されているように感じ、自信もなくなり、体まで動かなくなってしまいました。 そこで、一度立ち止まって自分と向き合ってみることにしました。 

 「迷惑」ってそもそも何?
 何をもって「迷惑」って言ってるの?
 
 なぜ私は「迷惑をかけないように」と感じてしまうのかをチャットGPTに聞いたところ、 その理由として次の3つがあるそうです。 
 ①相手への配慮 →例えば「忙しそうだから相談するのは悪いかな」と感じる時
 ②嫌われたくない不安 →負担をかけて嫌われたくない、頼るのが怖いなどの気持ち 
③プライド →「自分でなんとかしなければ」と自分の弱さを見せないために強くあろうとする

 私は特に①と③が強く働いている気がしました。 
 そして、この3つの考え方は“全部いらない”というわけではないけれど、抱えすぎると自分を苦しくさせてしまうものだなと思いました。 ほどよく持っている分にはいいけれど、度が過ぎると、自分の首を自分で絞めることになってしまうと思います。 

 相手を思いやることは大切だけれど、自分を犠牲にしてまでする事ではないし、 人はお互いに頼ったり頼られたりしながら生きているのだから、そこに必要以上の「怖さ」はいらないと思います。 また、弱さを見せまいとする思いは、少しゆるめた方が生きやすくなるように感じます。 

  「迷惑をかけないように」という心そのものは大事だけれど、行き過ぎれば自分を傷つけてしまう。 私はそう感じました。 



 そもそも、人にまったく迷惑をかけずに生きるなんて無理だと思います。 それに、自分では「迷惑かも」と感じていることでも、相手からすれば「頼ってくれて嬉しい」と感じることもあります。

 私は、「迷惑をかける」ということは、 同時に「人とつながる」ことでもあるのではないかと考えました。
 特に部活のような場所は、人とのつながりが強いところで、助けてもらうことも、誰かに頼ることもたくさんあるはずです。 でもその時に、今借りた力を、いつか誰かに返せたらいい、
 そんなふうに思いながら “つながり” を大切にできたら素敵だと思います。  

「迷惑」という言葉は悪い意味で捉えられがちだけれど、実はそれ自体が悪いことではないと思います。 誰かに頼られることが、その人の存在意義や力になる事もあります。 この文章を読んでくれている人の中にも、 「迷惑をかけないようにしなきゃ」と考え続けてしまう人がいるかもしれません。 でも、必要以上に気にしなくて大丈夫です。

 私自身もそう考えるようになって、少し心が軽くなりました。
 私は頼られることが大好きなので、どんどん頼ってほしいです! 

 長くなりましたが、1年生はウィンターに向けて、お互いに力を借りて、力を貸し合える関係で、挑めたら最高だと思います! 一緒にがんばろう! 最後まで読んで頂きありがとうございます。 

 次は、1年合同チームの成城マネともすぐに仲良くなった、鬼のコミュ力の持ち主、さくらに回します。