『僕はイエス様が嫌い』は、子供の目から見た「神の沈黙」を扱った作品だ。「神の沈黙」というのはキリスト教における大テーマの一つということだが、映画では比較的最近の作品として、マーティン・スコセッシ監督が2016年に発表した『沈黙』もある。前記のラジオ番組でも取り上げられ、スタジオにいた四人の批評家たちも司会者の男性も、遠藤周作の小説のフランス語版をきちんと読んでいますという勉強家の教養人ばかりだったのだが、こんなものを小説版、映画版、と鑑賞してしまったら、日本ではキリスト教徒は根絶やしにされて、まとまったコミュニティなんてもはや存在しないはず、と思ってしまうのもやむを得ない。
ただこの番組では、「スコセッシは西欧社会にあった残虐な宗教抗争を知らないかのような態度でこの映画を作った。」という批評家がいれば、「この作品の登場人物の中で一番美しいのは、どうして日本にキリスト教が必要ないのかを説明してくれる、あの日本人なのだよ。」という発言もありで、日本におけるあまりに残酷なキリスト教徒への迫害にびっくり、という反応ではなかった。
そういえば、18世紀の思想家ジャン=ジャック・ルソーも、著作の中で、ヨーロッパ人が日本から追い出されたのは当たり前だ、頼まれてもいないのに自分たちの宗教を勝手に持ち込もうとしたのだから、というようなことを書いている。誰だって親の宗教を受け継ぐのが普通なのだから別の宗教に改宗させようとするのは良くない、という意味のことも書いている。
彼自身はプロテスタントとして生まれ育ち、プロテスタント圏の故郷のジュネーヴを出てからはフランスのカトリック地域に流れ着いて、一度はカトリックに改宗したはずだ。それは良くなかった、と後で自分で考え直したのだろうか。
ちなみにだが、私はこのスコセッシの『沈黙』も見てはいない。『ぼくのお日さま』の方はうっかりと見逃してしまったのだが、この『沈黙』は、遠藤周作の『沈黙』をスコセッシが映画化する、と聞いた段階でぐったりと来てしまい、初めから見る予定に入れなかった。
作品を見もしないで云々するのは無責任なことだし、どうせ何か言いたくなるのだから見ておくべきだったとは思う。でも、歳を取ると映画の鑑賞も体力仕事になってくる。遠藤周作の『沈黙』のスコセッシによる映画化、なんて、聞いただけで心臓がバクバクとしてしまうのだ。
そういう意味で、若い人は若さのあるうちにできる限りさまざまな作品を見て、本も読んで、数をこなしておくべきだと思う。ミッシェル・ド・モンテーニュが、歳を取ったらもう学ぼうとはせずに若い頃に学んだことを使いながら生きてゆくものだ、という意味のことを書いていたと思うのだが、モンテーニュのような博学な教養人の足元にも及ばないとしても、結局、人生における理屈は同じようなものだという気がする。