あれから7年も経ったんだ。
私は7年もと思ってしまったけど。

あの日、私は仕事が休みで、同じく仕事が休みだった父とラーメンを食べに少し離れた街へ行っていました。

帰り道、トンネルを抜けてすぐの信号でちょうど止まった時に凄い揺れを感じました。
風かな?と思ったけど、様子がおかしい。看板や信号などがグラングラン揺れていて、道路沿いのお店から次々と人が出てくる…地震!?となり、慌ててラジオをつけました。東北で大きな地震があったと…え、こっちまで揺れるの!?と。私の住んでいるところは震度5強でした。

家に着くと収納の引き出しが開いていました。物は落下はしていませんでしたが、それでも初めてのことでした。

すぐにTVをつけて…絶句しました。
私は今何を見てるの?これ本当の映像?え?え?うそでしょ?

父は仕事に行かなければということで、すぐ家を出て行ってしまいました。
1人で家にいると、何度も余震があり、とても怖かったのを覚えています。
日本が壊れちゃうんじゃないか、地球が壊れちゃうんじゃないかって、不安しかなかったです。(実は私が家を建てる時に1番大事にしていたのは"地震に強い家"です。この時の経験の影響です。)

その後、計画停電が始まり、私が勤めていた病院の地域も対象となっていて、停電になる時間帯が前日夕方にならないと分からないと言われ、何時に停電があったらどうするという計画を立てて作業をするようになりました。(最初は自家発電がなく、停電になったら電気が全く使えませんでした。)
厨房なので、窓もほぼなく、外からの明かりを取ることもできなかったので、懐中電灯で照らしながら調理をしたりしていました。
食材も小さい冷蔵庫の物は全て大きい冷蔵庫に移したり、ミキサー食や刻み食はあらかじめ刻んだ状態で調理したり、ミキサーにかけたりしました。
本当はいけないけど、早めに調理したり。(あの時、時期的にもノロとかインフル出てなくて良かったな…。)
配膳もエレベーターが使えない時もあったので、病棟の看護師さん達と協力して手で運んだりしました。
そういえば、食材が地震の影響で入らないなんてこともあったな。急遽、メニュー変えたり。

あれから7年。

あのトンネルを通るたびにいつも思い出すし、ふとした時や、毎年3月11日が来るたびに震災のことを、あの光景を思い出します。きっと、これからもずっと…。

東北の為に、小さなことでも何かできることをしよう。続けよう。

新居に引っ越すのを機に、もう一度震災グッズを見直そう。