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oneness

存在するすべての境を越えて、
ひとつになれますように…光り輝きますように。

チェンマイから戻って、数日経ちました。
チェンマイ~台北行きのフライトから、何らかしらの菌をもちかえったのか、
くしゃみ・鼻水・喉イタ の三拍子。
おぉぉ、やべ、もしかして締めがインフルエンザ?!
と半ベソかきながらアメリカに帰国。


関節痛・発熱の様子はないし…♪
と鼻水垂らしながら良い気になってるここ数日。
順調に回復しております。

なので、徐々に、チェンマイでの想い出を綴っていこうと思います。


まず、始めに。
何時間か前にフォトアルバムの様なものを更新したので、
よかったら見てみてください。

何から話そうか…な。
3パーツに分けようと思っております。今のところ。

1.チェンマイ観光
2.バーンロムサイでの出来事
3.孤児院ボランティアを通して

てなかんじで。
如何でしょう?笑


今回はパート1、チェンマイ観光です。


の前に!



すごくラッキーだったお話から。。。


ロスから台北、飛行機乗り替えて、台北からチェンマイへという経路で行きました。
なので、ロスから台北行きの飛行機の中には、多くの方の目的地が台北でした。
ところがどっこい、私の隣の席で本を読んでいる女性の本がタイ語だったのです。
こ、これは!とすかさず、彼女に話しかけました。
案の定、彼女はチェンマイ出身のタイ人。現在はロスの病院でICUの看護師。
タイの事、看護の事と色々話が盛り上がり、チェンマイまでの長い旅路を楽しく過ごすことができました。
その彼女が、女一人の初チェンマイを心配して、泊る予定だったゲストハウスまで車で送ってくれたのです。
右も左もちんぷんかんぷんな私にとって本当に有難い存在でした。
その後も、「元気にしてる?楽しんでる?」と電話をくれて、お母さんの様に優しく気遣ってくれました。

この順調な出だしが、まだまだ続くのです。


アメリカを発つ前から、色々な組織・孤児院にメールを送って、ボランティア先を探していたのですが、インフルエンザの流行・政府の取り決め等で、どこからも良い返事は返ってこず…。
実は、チェンマイに着いても、まだ、ボランティア先の孤児院がみつかってなかったのです。


チェンマイ2日目、たまたま入ったカフェでシェイクを飲みながら、PCを借りてメールをチェックしてると、Viengping Children's Homeという孤児院からお返事が。「是非ボランティアしにいらしてください」とのこと。
やった!!!!!と、最高潮な私とは裏腹に、チェンマイの土地勘が全くしっくりきてなく、ちゃんと辿り着けるのか不安な私。
そこで、泊っていたゲストハウスで知り合った日本人の方に尋ねてみると、自分はイマイチよく分からないから…と、タイ人でガイドとして働いている方を紹介して頂いたのです。
そのタイの方と、その晩夕食を一緒に食べ、孤児院の事を尋ねると、「もちろん知ってる!」となんとも頼もしい返事。
彼は、ガイドのお仕事とは別にボランティア団体で活動していて、この類の情報に精通してたのです。
ということで、正に、トントン拍子。


なんと、チェンマイ3日目にして、Viengping Children's Homeを訪ねることに成功!


必要な書類を提出し、その3日後から二週間ボランティアさしていただけることになったのです。


おおお。
パート1を書くスペースがなくなりつつある。

っと、こちら深夜2時過ぎ。
そろそろおねむの時間。。。


私、もともと観光目的じゃなかったので、お寺の事とか、観光スポットの事とかまったく調べずに行ったので…大したこと言えないかもしれませんが…
私が見たチェンマイという感じで、綴ってみようと思います。

ということで、今回は


パート0(ゼロ)、THE END。


(Aug. 22th, 2009)


GENIEのドキュメンタリーを見てみる in English

http://www.youtube.com/watch?v=dEnkY2iaKis

(映像だけでも十分メッセージ性があると思うので、英語がチョット。。という方も是非ご覧になってみてください)


前の文で、私たちと言葉の繋がりのようなものを書きましたが、
私が感じることをもう一つ。


もし、貴方・私に生まれたての人間の命があるとします。
私たち次第で、その子がどのようになるかということは、

きっと、決まってしまいます。
大げさな話、殺せばそれまで。でしょう。


その人その人の"基盤"となるようなものは、

主に0歳から5歳の間にほぼ確立されるといわれています。
言葉も、その時期を逃すと、
単語はある程度習得できても、グラマーの概念が身につかないといわれています。


ヘレンとGENIEの例を取り上げても、
それは明らかなのですが、
育てる側(所謂、親)の態度・姿勢でほぼ確定してしまうのです。

遺伝子の問題ももちろんあるかもしれません。
でも、私にはそれは、たまに人間の言い訳のように聞こえるのです。


五体不満足でも、愛情を十分に注げば、

ヘレンのような可能性は秘めているとおもうし、
逆に、五体満足でも、愛情を十分に注がなかったら、

GENIEのようになるという可能性を秘めていると思うのです。


優劣をつけるわけじゃありません。
ただ、罪のない子供に、悲しい思いをさせたくないだけです。
子育てだけではなく、戦争も関係してます。
家族がしっかりしていても、戦争はいとも簡単にそれを壊してしまいます。


身近なところで、今の私ができること、
それはこのように、誰かに伝えること。
それと、自分の中で、
自分がどんな命を授かろうと、大切に育てることを自分に誓うこと。


P.S.
ここに載せているのは、GENIEに関するドキュメンタリーです。
PART6まであるので、もしよかったらご覧ください。


(Feb. 24th, 2009 少し手加えました。)


The Miracle Worker ラストシーンへのリンク

http://www.youtube.com/watch?v=i-Ey0RUICT4


一年半程前、CAの短大で英語のクラスをとっていました。
私はその英語の先生が大好きだったのです。
勿論、今でも好きなので、時たま連絡を取らさしてもらってます。
南米のARTISTのFRIDA KAHLO


oneness

この写真の女性です。
彼女にそっくりの、ベネズエラ出身の先生なの。


先生が、最後の授業の時にクラスで、
この"The Miracle Worker"の映画を紹介し、

クラスみんなで鑑賞しました。
その時から、この映画は私の大好きな映画の一つです。
このシリーズは何年にもわたって取り直されてるらしいですが、
先生曰く、このバージョンが一番良い!とのことです。
なるほど…。登場人物の演技っぷりに圧巻です。
よろしかったら、上のリンクからご覧ください。


ヘレン・ケラーのことが昔から大好きで、
小学生の時から、ヘレン・ケラーに関する本を何故だか読み漁っていました。
歴史上のどんな偉い人よりも、何故だかヘレンに惹かれたのです。
中学・高校と、ヘレン・ケラー書物あさりにブランクがあっての、
大学で、こんな素敵な形での再会。嬉しいですね。
先生有難うございます。



よかったら、想像してみてください。
もし、生まれたときから、
耳が聞こえない・目が見えない 状況だったら…。
「あんよ」「まんま」「たっち」…
言葉という概念がないのです。
自分に名前があるということすら知らない。
肌に触れるもの・匂い・味覚のみ。




ヘレンの伝記に、ヘレンの家族は、

「言葉を持つ前のヘレンは野生動物のようだった。」
と記しています。
実際、この映画で、ヘレン役の女性は本当に動物のようにふるまっていました。
演技だからねぇ…と思う方もいるかもしれません。
でも、私は、この演技はそれほど大袈裟なものではないように思います。


私が上記に載せているのは、
この映画の最終シーン。
ヘレンが初めて言葉という概念を感じる瞬間。


「WATER」


ヘレンはこの時のことを書でこのように表現してます。


「突然、私は靄ついた意識の中にある何か忘れられていたようなもの、戻ってくるという感覚を帯びた感情へのゾクゾクとした心の振動を感じた。そして、どういうわけか(上手く表現できないけれど…というニュアンス)、言葉の神秘的な力が私をハッとさせた。【water】というものが、私の手に流れてくる冷たくて・素晴らしいものであることをしったのです。そのイキイキとした言葉の存在が、私の魂を呼び覚まし、光と希望と喜びを与え、自由を感じたのです」




この瞬間をキッカケに、ヘレンは言葉を覚えるようになり、
(映画の中でも、WATERと立て続けに、ground, step, bell, mother, papa, teacher…)
英語以外の言葉もマスターし、講演等の活動もするようになりました。



でも、ここで一つ私の心に引っ掛かること。
目と耳が不自由ではなくても、
言葉(所謂、人間の言葉)を身につけてないモノ。


こういう類の例は、極端なものですが。
1970年にCA・LAで発見された12歳の少女GENIE。


oneness-genie













GENIEは生後間もなく両親に監禁、12歳になるまで。
声を発することを12年間罰せられ、
発見された当時に発すことのできた言葉は

「STOP IT」 「NO MORE」
彼女に携わった研究者の方々は、GENIEのことを、
人間のようではなかった…ととあるドキュメンタリーで述べてます。

その他にもこのような、例は世界中で発見されてます。




人間は、何を持って「人間である」というのでしょうね。
人間の定義もきっと人それぞれです。
定義なんていらないのかもしれません。

でも、
今の私たちが築いてきたこの世界に、
言葉は人間として生きる手段として欠かせないものになってます。
日ごろ当たり前のように使っている道具。
だからこそ必要不可欠。
今の時代に、言葉はきっと「人間である」ということと深く関わっているんだと思います。
だからこそ、ヘレンが有名になるわけだし。
GENIEのような女性がニュースになるのだろう。


人間の可能性って不思議ですね。


もし、仮に、
生まれたときから、私が、この世界にたった一人の人間だったら…。
と考えてみて。
きっと…言葉(所謂、人間の言葉)は必要ないかも…と思うのです。
皆さんはどうですか?
ありえないことですが、考えてみると面白いものです。

これを思うと、
言葉の必要性って「他人がいること」と深くつながってるんだなと思うのです。
伝えたいという想い…、なのでしょうか。
きっと、原始時代の時の言葉と比べて、今の言葉は複雑。
だから、きっと昔に比べて、私たちの感情も複雑になってるのかな。


こ~んなことをね、ぼーっと考えて。。


言葉がなかったら、
この、「BLOGの場」なんて存在しないんだろうな…と
思想を繋げてみるのです。




(Feb. 23th, 2009. ちょっと手加えました)