のちのち。

のちのち。

なんてことない毎日を過ごす介護職のブログ。週末に休みが取れたときには、たいていどっかでサッカーを見ています。            

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知り合いが、こんなことを聞くわけですよ。

「私が介護の仕事をやったら、できるかな?できると思う?」
「どういう人が、介護の仕事に向いていると思う?」


まあ、その人は、ほんとに転職しようというわけじゃなく
“ついでに聞いてみた”だけなんですけどね。

そうして考えてみました。
「どんな人が向いているのか?」ってこと。
ひとつ前のブログに書いていたこととも合わせて。

そうしたら………
よくわからなかった(笑)




よく、「人間が好き」とか「お年寄りが好き」とかいうのが
“介護の仕事に向いている”と言われたりしますが
これって、とっても不十分で、的を得ない条件だと思うのですよ。

「人間が好き」ってどういうことなのか、ワタシにはよくわからないし
(「人間が嫌い」であれば、そもそも生きていくことが大変そう)
「お年寄りが好き」かどうか、よくわからない人も多いと思うし
(いまの若い子なんてわりとそうじゃなかろうか)

女のひと
男のひと
ざっくばらんな人
丁寧な物腰の人
底抜けに明るい人
おとなしい人

いままで一緒に仕事をした中でもいろんな人がいましたが
「この人、向いてる」とか「向いてない」とか
考えたことがなかったのでした。
「ああ、あの人はこういうときにとってもいい話しかけ方をするなあ」とか
「あの人はこういうときに利用者さんとすごく楽しんで過ごせる人なんだなあ」とか
それぞれのいいとこが合わさって、ひとつの“職場”になってたかな、と。

ま、わたしが誰かを採用するような、そういう立場じゃなかったからかもしれませんが。



これからもきっと
“介護が必要な人”って、どんどん増えていくんですよね。
そうしたら“介護をする人”だって、きっと、もっと必要になるんですよね。

であるならば
「コレコレこういう人でなくてはならない」ってこと
あんまり、ないんじゃないのかなあ、と思うこともあります。

お年寄りだって、静かな人から賑やかな人、
いろんな方がいるのだから
介護する側が、みんな同じような性質の人だったら
正直、ちょっと、気持ち悪くないですかねえ。

お年寄りだって、ワタシらのことをすごくよく見ていますもんね。
「あの職員さんは、こんな感じの人」ってちゃんとわかってて
ちゃんとその時々で、それに適した相手を選んで話しかけてるってことも、たくさんありますもんね(笑)



もちろん、ワタシたちのは、“シゴト”ですから
持つべき知識は持っていなくてはならないし
やることはきちんとやらなければいけないし
自分の中にたくさんの引き出しを持たなくてはいけないし
それぞれが、ぜんぜん違う介護をやっていい、というわけじゃないですけども。


いろいろと、ごちゃごちゃ考えてみた結果
基本、「ひとの話を聞かない人」は、キビシイかもしれないけど
「こういう人が向いている!」というのって、ないんじゃない?という、なんともピリッとしない結論になったのでした。

ああ、よく考えたら、これって
介護に限らず、どんなシゴトでもそうなんですけどね(汗)

でも、そうじゃなければ、介護って
限られた人にしかできない“職人芸”みたいになってしまうじゃないですか。
それじゃ困るんじゃないかなあ…と、ワタシは思ってしまうんですけど。
どうなんでしょうね。

資格を持っているからには“職人芸”じゃないとね、と思っているひとも、たくさんいるかもしれないしなあ。



最近、よくみる車のCMで

「ハロー、リッターなんとかかんとか」(←なんだっけ?)

と、香里奈さんが(←でしたっけ?)微笑むのがありますが。

あれを見るたびに思い出すのが、穂村弘さんの短歌です。

「ハロー 夜。ハロー 静かな霜柱。ハロー カップヌードルの海老たち。」

それからというもの、夜勤中に、この歌をふと思い出したりします。
いまのような寒い時期だからかな?

まだ暗い時間、ゴミを捨てるためにちょっと扉を開けたとき
植え込みの中に、霜柱が見えたりするのですよ。

あー、ワタシが中でバタバタしてたこの夜に
空気はしんしんと冷えて、地面の水が凍って、土を持ち上げたりしてるんだねぇ

と、ひとり静かに感動したりして(笑)

まあ、その感動も、中のバタバタに、すぐに紛れてしまうんですが。



うちの施設、夜勤はひとりなので
というか、夜中、建物の中に職員がひとりだけになるので
何かあっても、すぐに助けてくれるひとはいません。

介護の仕事をしていればアタリマエなのかもしれないことでも
あまりに続くと、ちょっとしんどくなることだってあるし
ショートステイならではのいろんなこともあって
正直、きーっ!もうどうしたらいいのかわからん!と思うことも、なくはないです。
(もちろん、穏やかな夜もあるんですけど)

そういうとき、ちょっと外を見たり
ちょっと手を止めて記録をさかのぼって読んだり
(何かのヒントにしようとしてるのではなく、気分転換として)
そうすると、霜柱が光ってたり、月がきれいだったり
同僚が書いた、面白い記録にちょっと笑ってしまったり

そうしていると…オオゲサな言い方ですが
いまはひとりだけど、孤独なわけじゃないっていうか
冷静になれるわけですよね。自分の気持ちが。

や、でも、霜柱くらいで気分転換するの、単純ですかね(汗)




数日前からニュースでやっている、施設での虐待の話。
あのようなことは、あってはならないことだし
やってしまったことを、かばうことはできないです。

彼らのこともぜんぜん知らないので、こういうことを言っていいかどうか

でも、彼らは自分からそんなにかけ離れた人ではないはずだ、と思うのですよ。

彼らがそれぞれ単独でああいう行為をしていたのか
グループでそういうことをしていたのかもわかりません。
でも

「あの人たちはヒドイ人たちで、そもそも介護の仕事をするべきじゃなかった」
「あんな人のせいで、真面目にやっている大勢が迷惑する」

ということで片づけてはいけないのではないかなあ。


だからって、どうすればいいのかはわからないんですが(汗)



でも、もしかしたら彼らには、あとで思い出して
笑っちゃうようなことはあったのかな、なかったのかな、と、考えたりはします。

ワタシが
霜柱がゆっくりと土を持ち上げる冷たい空気から、壁を隔てて
暖房のきいた部屋の中で、キーキーしてる自分を想像して
おもわず、そのギャップに、自分の滑稽さに笑ってしまう、みたいなのが。



またまた久々でございます……。

もはや、開店休業状態のブログを自分で見るのもしのびなく
何年も開けていない押し入れを覗くような気持ちで来てみたら

なんと、訪問してくださる方がいまもちゃんといらして
さらに、毎日のようにペタをつけてくださる方までいらして

ごめんなさいごめんなさい。
ありがとうございます、ほんとにありがとうございます。
毎日とか1週間にいちどとかは無理ですが
自分のペースで復活していきたいと思います。



雪だるま  雪うさぎ  雪だるま  雪うさぎ  雪だるま  雪うさぎ  


でもって
いまの職場でいいんだろうか?と悩んだりもしましたが
やっぱり来年もいまの職場で働き続けよう。と、決めたこの頃。

秋→冬への気温差は、
やっぱり、お年寄りにはこたえるのでしょうか
さいきん、ちょくちょく泊まりに来られていた方の
入院だったり、訃報だったりが続いています。

悲しいニュースがたくさんあった年の終わりに
こんな話でごめんなさい。

でもね
訃報を聞いて、わたしが思い出すのって
いつも、そのひととの楽しかった時間とか
おもわず笑っちゃったこととかなんですよね。



あれは中秋の名月、まんまるい月がでていた夜。
あの日、夜勤だったわたしと、ばーちゃんたち数名とで
夕ごはんのあと、窓から月を見てました。

「きれいだね~」
「雨ふらなくてよかったね~」

…みんなで口々に言い合っていたところで
ふと、かたわらのIさんを見ると
Iさんの視線だけが、ちょっとヘンなんです。

たしかIさんは、視力があんまりよくないはず。
「きれいだね~」って言ってるけど、よく見えるなあ
よっぽど今夜の月は明るいんだなあ、って思ってたけど
なんか、ちょっと、違う方向見てないか??

よせばいいのに
「Iさん、月、どこらへんに見える?」と尋ねたワタシ。

はたして
Iさんが「あれだよね、きれいだねえ」と指さしたのは
施設の真ん前にある、ファミレスの看板でした(笑)

ああ、アレはねえ、たしかにね
きらきらしてて、なんか丸っこいし
月に見えるかも、と、ちょっと納得(笑)



これは、親に聞いた話なんですが
ワタシは子どもの頃、パチンコ屋さんの電飾がとても好きで
(うちの田舎にはあるんです、きらぎらしい、でっかいパチンコ屋さんがたくさん!田んぼの真ん中に!!)
車に乗っているとき、パチンコ屋さんの前を通るたび
「うわあ~!あっか~い!きれいだね~~!」って大騒ぎしてたらしい(汗)

自分の子どもの頃とちょっと似てるなあ、なんて思って
でもIさん、真剣にあれを月だと思って見てたわけで
夜勤中、何度も思い出し笑いしてしまったのでした。

そんなIさんも、先日とつぜん、自宅で亡くなりました。


鳥取出身で、鳥取がとても自慢で
「鳥取出身のHさん」って呼びかけると上機嫌だったHさんも
今日、亡くなったと連絡がありました。



なんていうか…その……、はっきり申し上げて
いろんな意味で“手のかかるばーちゃん”だった方々でしたが

思い出すのは、楽しかったこととか
笑っちゃったことばかりです。

これから、中秋の名月とか「鳥取」の文字とか見るたびに
IさんとかHさんのことを、ワタシは思い出すのかな。

なんていうか、とつぜん亡くなったって言われても
自分たちで看取ったわけではないし
「なんだか信じられない」ような気持ちのほうがつよいけど

こうやって、ときどき思い出して笑って、
もうあの人とは一緒に笑えないんだなあと思うのを繰り返して

「もういない、ずっといない」ってわかるんだろうな。


武藤さんは、ご夫婦でお泊まりされていました。

でも、うちの施設にはいわゆる「夫婦部屋」
つまり、ふたり部屋がないんです。(ぜんぶ個室なもので…)
もし、がんばってベッドを2台入れたとしても
今度は歩くスペースがなくなるような気がします。

なので、部屋はお隣にしましたが
相部屋にはできないのです。



そもそも、武藤さん夫婦のケアマネさんによると
「お互いに依存しすぎるところがあるので
 少し離れてみる生活もしてみたら…」とのこと。

まあ、そういう場合もありますよね
…なんて思いながら
おふたりの姿を見ていると

「おい、ここはどこなんだ?」
「○○○(施設の名前)よ。ここに入院してるの。○日までいなきゃならないのよ」←ちょっと違う、けど、だいたいあってる
「□□(息子さん)は来たのか?」
「さっき来たのよ…もう帰っちゃったけど」←来てない来てない


夫は妻を、家を、いろんなことを心配し
妻はとにかく夫の心配につきあい
しまいには

「おい、今日帰れるのかどうか聞いてきてくれよ」
「もう!知らないわよ!アナタが職員さんに聞いてきなさいよ!」

妻、ちょっとキレました(汗)
あわわ。



でもね
夜、寝るときに、部屋でひとりになると

 「タカシさん、いないのかしら」
のち「お隣で休んでいらっしゃいますよ」
 「えー!大丈夫なの?ちゃんと息してる?アナタ、見に行って!」
のち「…えーと、具合が悪いわけじゃなくて…夜だから…」

はたまた
「タカシさーん」と呼ぶ声がして、廊下を見たらば
ベッドから降りて、這って廊下まで出てきた妻の姿が…。
「タカシさんはどこにいるの?」

トイレに行きたかったらしく、職員の介助で無事、行けましたが。



まあ、確かに
「依存してる」と言われれば、そうなのかもしれないけど
たんに、とても仲の良い、幸せなご夫婦、のような気も…。

そもそも、あれくらいの「言い合い」って
どのご夫婦でも、けっこう、あるような気がするんですよねぇ。
ワタシはある

いやー、もう、おふたりがいらっしゃる間
いっそ壁をぶち抜いて、ふたり部屋にしたいくらいでした(笑)

短い滞在ではわからない、いろんなモンダイが
おふたりの間にはあるのかもしれないんですけどね。

ときにのんびり、ときに丁々発止とした遣り取りを見ていると
子どもの頃によくみたアニメ『トムとジェリー』のエンディング曲、
「トムとジェリー♪仲良くケンカしな♪」を思い出して、なんだか笑ってしまったのでした。
前回、

…なんていっても、もうずいぶん前のことになりました(汗)

「ブログ再開しまーす」なんて言ってから、
またまたずいぶん時間がたってしまいました。

放置していた間も、毎日のように
訪問してくださった方がいらしてて
とっても申し訳ないです。
そして、ありがたい限りです。

ありがとうございます。



春から夏にかけて
ほんとうにめまぐるしい時間でした。

日本で起こったいろんなことの影響も、ないとは言えませんが
ワタシ個人とそのまわりでも、いろんなことが起こった半年でした。

仕事は同じ施設で続けているのですが
なんだかとっても気ぜわしく過ぎていったこの時間にも
たくさんのじーちゃん、ばーちゃんたちにお会いして
いろんな話を聞いたり、話したり、笑ったりしていたはずなんですが
あまりの急流の中で、なんだか、その場面を、ちゃんと覚えていられないのです…。

自分は、はたして、この職場で続けていけるんだろうか?

とかなんとか、思った時期もあったのでした。


でも、今日は
忘れずに、家まで帰ってくることができました(笑)



はにわ はにわ はにわ はにわ はにわ




今日は、先週からずっとお泊まりしていたサエさんが
やっと家に帰れる日です。

自分から誰かに話しかけることはあんまりなく
でも、朝、車椅子に乗って食堂に来たときには
隣に座った人に「おはようございます」という挨拶をぜったいに欠かさず。そんなサエさんです。

そんなサエさんには、東北のなまりがあります。
日本全国には、いろんな方言がありますが
東北の方言は、話を聞いているこちらが和んで、おもわず笑顔になるような、やさしいトーンですよねえ。

ワタシら職員は知ってます。
サエさんは、福島の生まれだということ。

でも、いままでは「福島のどこですか?」って聞いても
「えーと………」って感じで。ちゃんと答えられなかったんです。

そして、帰る日になりました。
家まで送ってくれる車に乗りこむ直前にトイレに行き
手を洗いながら、なんの気なしに、尋ねてみました。

「サエさん、東北生まれでしょ?」
「んだ、福島だ」
「福島って言っても広いけど、どこなの?」
「うーんと……浜通り、だ」

サエさんは、あの震災以降、こちらに引っ越してきたわけではなく
もうずっと何年も、福島には帰っていません。

あの震災が起こったことで、わたしは初めて
「福島県・浜通り」という呼び名を知りました。

その呼び名を、サエさんから聞くとは。
テレビのアナウンサーの声や、新聞の文字でしか接したことのない土地の名を。


「そうかあ、いいとこだねえ。海がきれいなんだよねえ」
「そうだー。いいとこなんだあー」
サエさんがこんなに自慢するのを見ると、なんだか嬉しいです。


サエさんが、浜通りの“いま”を知っているかどうか、わかりません。
それでも、あの土地はサエさんにとって、
ワタシがさらっと聞いたり見たりするのとは大違いの
とってもたいせつな、土地の名前なんですよね。




シゴトが終わって、家に帰ってきて
ニュースを見ながら、サエさんの言葉をふと思い出しました。

サエさんの大事な土地で
あんなことが起こってしまったんだ、と、思っていました。