たとえば、同じ場所に傷を負ったとしよう。

見た目が
浅い傷の人もいれば
深い傷を負った人もいる。

傷の痛みは治まったが
傷あとに時々痛みが走る。





端から見たら
完治したようにみえる浅い傷痕でも、
本人にとって『おおごと』なら
それは『深い傷痕』。


端から見ても痕が残り、
目を覆うような深い傷でも、
本人にとって『たいしたことない』なら
それは『浅い傷痕』。


人はそれぞれ違う。

みんな 違う。




その傷あとの辛さや悲しみをわかって欲しくて、
言葉を探して伝わらなくて、
『もっと深い傷痕持った人いるよ』とか
『たいしたことないんだから、頑張れ』とか
悔しくて、悲しくてたまらない。



誰もわかってくれないと
『あの人よりマシかも』とか
『どうしてこんなことで悩むの』とか
『ちっぽけなことで悩む私が悪い』と
変換しやすい。







どーせ伝わらない。今は。

自分にでさえ、わからない。

伝える方法なんて、考えなくていい。
私は辛い。悲しい。腹立つ。と
ちゃんと泣く。とにかく泣く。

我慢した自分に怒る。




辛くないフリや
『こんなことくらい』にせず。







『とてもとても深い』
『私にとって、深い』

ズキズキズキズキ痛みが走る

痛い 痛い 痛い 痛い        痛いってば‼️

何でこんなに痛いのよ‼️

 そう思って良いんだ。
 そう感じて良かったんだ。
と心底思えたら、











わかった。




自分をゆるすとは
自分の気持ちをわかってあげること。




そしてわかった。

『悲しみを感じる自分は感度が良い』

『怒りに震える自分は感度か良い』

『素晴らしい感性を持って生まれた素敵な存在』

『特別仕様のオートクチュール‼️』

『唯一無二‼️』だと。



私のまま胸を張り凛と生きたい‼️

これが私の望みです。






メグセレ