いやぁ…参った…
前回のブログを書いた翌日…
父が脳梗塞で倒れました。
今年初めから、悪性リンパ腫で抗がん剤治療をしていた父。
お盆中の8月15日寛解を告げられていたのですが…
その翌日にまさかの脳梗塞。
母がすぐ救急車を呼び、ドクターヘリで搬送。
私も旦那と共に駆けつけました。
抗がん剤治療中辺りから心臓の不調を訴えていた父。
不整脈があったために、血栓ができていたらしく…
それが首のあたりにある内頚動脈を詰まらせてしまい脳梗塞を引き起こしていました。
いやぁ…参った…
前回のブログを書いた翌日…
父が脳梗塞で倒れました。
今年初めから、悪性リンパ腫で抗がん剤治療をしていた父。
お盆中の8月15日寛解を告げられていたのですが…
その翌日にまさかの脳梗塞。
母がすぐ救急車を呼び、ドクターヘリで搬送。
私も旦那と共に駆けつけました。
抗がん剤治療中辺りから心臓の不調を訴えていた父。
不整脈があったために、血栓ができていたらしく…
それが首のあたりにある内頚動脈を詰まらせてしまい脳梗塞を引き起こしていました。
私にとって、この日は特別な日。
核兵器が使われることがないように
切に願います。
お祖母ちゃんのこと、いつも思い出します。
被爆しなければ、もっともっと生きられたのになと、毎年思います。
あの日、当時3歳だった旦那様の母親は、現在のマツダスタジアムに程近い自宅で被爆。
自宅は爆風で滅茶苦茶でしたが、命は助かった義母。
しかし…
義母の叔父夫婦が営む自動車修理工場は、爆心地から数百メートルの場所。
工場は跡形もなく消え去り、叔父叔母の行方は、今もわかっていません。
被爆した義母や姉弟たちは、戦後、それぞれが病と戦いながら生きてきました。
私達夫婦に子どもができないと知った時、自分の被爆が関係しているのかと言った義母。
原子爆弾が残した深い傷跡は、今も沢山の人々を苦しめています。
二度と、原爆が使われることがありませんように。
平和記念式典の中継は、仕事の車のラジオで聴いていました。
式典の後半、遠くの方で何か叫ぶ声が入っていました。
拡声器で自分達の主張を叫ぶ声。
いつも思うんだけど…
本当に、式典の最中はやめてほしい。
私にとって、平和公園の慰霊碑は、もう一つのお墓です。
沢山の人々を慰霊する場で、本当に腹が立ちます。
式典の間は静かにしておいてほしいなと、いつも思う。
今年はまだ、平和公園のお参り行けていないけれど、お盆までに行こうと思っています。
おばあちゃん、今年も行くから、待っていてね☆