いやぁ…参った…




前回のブログを書いた翌日…




父が脳梗塞で倒れました。





今年初めから、悪性リンパ腫で抗がん剤治療をしていた父。




お盆中の8月15日寛解を告げられていたのですが…




その翌日にまさかの脳梗塞。




母がすぐ救急車を呼び、ドクターヘリで搬送。




私も旦那と共に駆けつけました。




抗がん剤治療中辺りから心臓の不調を訴えていた父。



不整脈があったために、血栓ができていたらしく…



それが首のあたりにある内頚動脈を詰まらせてしまい脳梗塞を引き起こしていました。

↑父の血管画像。右下の映っていない血管が詰まった内頚動脈。


普通、内頚動脈みたいな大きい血管が詰まると、上の画像の右側の血管は、詰まって画像に映らず、真っ黒になるはず。


でも父の場合、偶然詰まった側へ血管が繋がっていて、血流が止まらなかった。



不幸中の幸いでした。


倒れた1週間後にはリハビリ病院へ転院。

現在もリハビリ中です。



今は、運動麻痺は、残っていないようですが、失読失書の症状があり、読み書きが困難な状態。


普通に話せるし、人の話も理解できているのに、読めない、書けない。


時間はかかると思うけど、少しずつ、回復してくれることを願っています。




しかし今年は色々あるなぁ。



因みに旦那様、先週風呂でイスから立とうとして滑って…


肋骨骨折笑い泣き


肋骨曲がってるって言われ、ヒビ入った感じです。



職場でその話したら、みんなから

夫婦揃って風呂で骨折じゃね!


って言われました(^_^;)



私も去年職場の風呂で滑って骨折したからなぁ。



考えてみたら、去年から色々重なってるのっち☆一族。


私が手首骨折したあと…
姪っ子が遊んでる途中転けて足を骨折

甥っ子は遊具から落ちて頭切って救急車で運ばれ…

父の悪性リンパ腫からの…

母事故って肋骨と胸骨骨折…

そして父の脳梗塞


で旦那様肋骨骨折



重なる時はほんと重なる。




気を付けて生活していかなきゃなぁと思います笑い泣き









今日は終戦の日。

旦那様の実家へ墓参りに行き、おかあさんと家族3人でランチへ。
天ぷらと刺し身を楽しんで、デザート!
家族3人で外食できる幸せを噛み締めました。



帰りの車の中で、終戦の日の話に。

義母は当時の記憶を色々と話してくれた。
原爆が落ちた時の断片的な記憶…


居間にいて、隣の部屋に赤ん坊の弟がいて、両親は縁側にいて…


爆風の瞬間の記憶はなくて、母親が姉の名前を叫んでいた事。


避難する時、近くの橋を怖くて渡れなかったけれど、兵隊さんが手を繋いで渡ってくれたこと。


終戦後に毎年、平和公園にお参りに行っていたこと。


誰が亡くなった場所かわからないけど、家族で同じ建物前に毎年献花してお参りしてたこと。


父親の姉弟は、皆原爆で行方不明になり、見つけられなかったこと…



3歳の母の記憶。



戦後、ずっと目を患い通院している義母。


最近は、私たちが思っている以上に視力が低下。


白いものや光が昔から苦手。

眩しくて目が開けられないと言います。


カーペットや家具が汚れているのに気付けない。



義母の視力が悪化するたびに、被爆がなければ違ったのかなと思います。
原爆だけじゃない、あの戦争で、奪われた沢山の命や、平穏な日々。



そして、生き残った人たちのこれまでの歩み…

戦後生まれの私達には計り知れない想いがあると思います。



二度と、戦争の惨禍が繰り返されないように…


祈りました。
平和公園、今年は12日に行きました。



義母とも話をしたけど…

観光客が増えて、昔とは随分変わったなぁと思います。


どんなに時が経ち、様子が様変わりしても、私にとって平和公園は、お墓と同じ感覚です。



時代や人の流れが変わっても、平和への思いを伝えて行きたい。


今も世界中で続く戦争がなくなり、一日も平和な世の中が戻ることを祈ります。




私にとって、この日は特別な日。




核兵器が使われることがないように




切に願います。 




お祖母ちゃんのこと、いつも思い出します。

被爆しなければ、もっともっと生きられたのになと、毎年思います。






あの日、当時3歳だった旦那様の母親は、現在のマツダスタジアムに程近い自宅で被爆。



自宅は爆風で滅茶苦茶でしたが、命は助かった義母。




しかし…




義母の叔父夫婦が営む自動車修理工場は、爆心地から数百メートルの場所。



工場は跡形もなく消え去り、叔父叔母の行方は、今もわかっていません。




被爆した義母や姉弟たちは、戦後、それぞれが病と戦いながら生きてきました。




私達夫婦に子どもができないと知った時、自分の被爆が関係しているのかと言った義母。




原子爆弾が残した深い傷跡は、今も沢山の人々を苦しめています。




二度と、原爆が使われることがありませんように。







平和記念式典の中継は、仕事の車のラジオで聴いていました。


式典の後半、遠くの方で何か叫ぶ声が入っていました。


拡声器で自分達の主張を叫ぶ声。


いつも思うんだけど…


本当に、式典の最中はやめてほしい。



私にとって、平和公園の慰霊碑は、もう一つのお墓です。



沢山の人々を慰霊する場で、本当に腹が立ちます。


式典の間は静かにしておいてほしいなと、いつも思う。





今年はまだ、平和公園のお参り行けていないけれど、お盆までに行こうと思っています。





おばあちゃん、今年も行くから、待っていてね☆