読売新聞1面に松明しの写真が掲載されている



岩手県宮古市に伝わる風習



懐かしい



松を細めに切って、それを小さい山のように玄関先に積んで、先祖を迎える行事

夜になるとあちこちの家で、松明しをするから道路沿いに松がもえるオレンジ色の火がずーっと続くのが見えた



子どもたちはそこで花火をしたな~



手でもってパチパチしたり、シューって音がする花火だったり

いとこのお兄ちゃん達が、パーンとはじけて上に向かって花火が勢いよく吹きだすような花火をしてくれた

一緒に花火に近づいて、お兄ちゃんが松明しで火がついた松を手にもって花火に着火

はなれろーって言われて、あわてて逃げて

はいていたサンダルが足からはずれてこけて泣いて



あれ、松明しする前にお墓に行くんだっけ?

提灯もって火をもらいに行くんだよね

そしてお盆の最後は朝早くにお墓に行って、そこでお供えのお下がりのゼリーとかおかきとかもらって、そこでまた花火して・・・



お盆の間は精進料理


大人の男の人達は朝から飲んでたな^^;

私はなすをしその葉でつつんで揚げて甘辛いみそをからめたお料理が大好きだった

こんにゃくのお刺身とか


子どもたちは、トランプやったりボードゲームしたり

みそっかす(って方言だよねきっと)によくされた・・・

当時中学生だった年の離れたお兄ちゃんのへや覗いておこられたり(そりゃ、そうだ)

おじさんちの急な階段から、何度も落っこちた





今年は震災の影響もあり宮古のことをよく思いだす


私にとっては本当に遠い昔のことだったし、もう何年も思いだすこともなかった

でも、忘れてはいないんだよね、ただ思いださなかっただけ



海の色や海岸線や商店街にはためく大漁旗


多分この30年近くの間、なにかあればそれらの田舎の風景が私をささえてくれたんじゃないかなって



踏切、宮古大橋、高校までのながーい坂道、バイパス沿いのお店、肉まんとか買い食いした、商店街で山もりのかき氷、なんていうお店だったのかな




正直これまでは戻りたいなんて思うことなかったけど、戻りたいなって最近思う


大変な生活をしていると思う

不便だと思う

寂しさにつぶされそうな思いだと思う


でも、そんな風につらい時、一緒にいて心地よい、心強いのはやっぱりふるさとの人なのかなって

何もしてあげられてないのが心ぐるしいけど



先日やっと大槌町のおばのお葬式が行われた

結局見つかっていないけど、お嫁さんの遺品も一緒にお墓に入れてあげたのだそう

いとことお嫁さんは高校の時の同級生だったから、当時のクラスメートもたくさん来てくれて、いいお葬式だったそうです




悲しいけど・・・なんかわかるなその時の雰囲気

あえて言葉にしない優しさとか

強調はしないけど、力強い精神力とか



そばにいて手伝ってあげたりできないけど、宮古の人達なら、きっとつらい中でも笑って頑張れるんだろうって信頼感


裏切らないって安心感



より添った時の体温なんだろうか・・・

そうだね、体温だきっと

体に触れた時の感触がいいんだ



悲しい時の表現ってやっぱり人によって違うから、こうショックなことが立て続けに起こると、他の人にね、期待しちゃいけないって思っても、やっぱり心の揺れ幅が違う人と一緒にいると、それが余計に寂しくなったりして



だから、なんとなく体温が近い人と一緒にいたいって思ったり

また触れたいと思ったり



今年はいろんなことがあった

もう8月だ