大槌町で被災した父の姉とその長男のお嫁さん
最近「叔母らしい」遺体があったとの連絡があったそうです
話をたどっていくと、津波の日救助された時はまだ意識があり、住所と名字を自分で名乗ったのだそうです
ただ聞きとりにくかったのか、違う名前として記録されたためなかなか遺族のもとに連絡がなかたようです
もしその人が本当に叔母であれば・・・
すでに遺骨となっているので、DNA鑑定待ちです
家族のもとに帰ってくることに対する安堵はありますが、その日の様子を漏れ聞くところでは、心がおかしくなってしまいそうです
救助されたものの、もう助かる見込みもないほどの状況だったらしいです
でも切れ切れにでも自分の名前を言ったのでしょう、ずーっと学校の先生をしていたおばらしい、気丈な人でしたから
でも、顔も体もきずだらけで誰なのかも分からないほどだったそう
いたい、いたいと言いながら搬送中に亡くなったそうです
見つかった場所ははっきりとはわかっていないようですが、どこかのがれきの下からの救出だったようです
何しろ混乱していたのでしょうから
先日までは、きっと痛みや恐怖を感じる間もなく亡くなったのではないかと、半ば自分達が納得できるようなシナリオをつくってこの状況を受け入れようとしていましたが、こうリアルな話が出てくると、心が乱れます
津波に流され、あちこちにぶつかり体も傷だらけになったのでしょう
意識があったということは傷みも恐怖も感じたのでしょう
父は眠れない様です
あれこれ思うと・・・
本当に生きるって試練だな~と思います
たくさんの人が傷つきましたね、本当に
でも、生きていかなくてはいけないわけです
叔母の最期の様子がどんなに悲惨であっても、家族のもとに帰ってきてくれるということに感謝すべきなのでしょう
また、最期の瞬間、たった一人でがれきの下に埋もれていたのではなく、だれかの手により救い出され、誰かのそばで亡くなったということによかったと思うべきなのでしょうね
いとこのお嫁さんはどこにいるのでしょう?
私が幼い頃、参列した結婚式で見たきれいな花嫁さんは?
津波から2カ月以上が経ち、今家族を探す人は、「体の一部でも」と思って探しています
それがどんなに非情なことか
でも、やっぱり家族を探したい、どんな形であろうとも探したい
試練は乗り越えなければならないもの
乗り越えるために、私がしてあげられることはなんなのでしょう?
これまでいくつかの命を見送るということを経験してきました
これからもいくつも命を見送っていくのでしょう
生きるって試練の連続です