今朝の読売の人生案内では、津波の時に祖母を助けることができなかったと悔やむ大学生の女の子からの相談が掲載されていました
逃げると途中の坂道でおばあちゃんが「もう走れないから、先に」と言って一人で逃げたのだそうです
その3日後大好きだったおばあちゃんが遺体で見つかり、体育館で「魚市場の魚のように転がされて」いたと、手紙では書いてあります
その手紙には、「おばあちゃんを見殺しにしてしまった自分。どうすれば償えますか?助けてください」と結ばれています
かわいそうに
おばあちゃんは、絶対この女の子が助かったことを心から喜んでいるはず、でも本人にしたら、つらいだろうな
私も先日大槌の町に行きましたが、フラットな土地で海からも近く、高台の避難所となる山は見えはするけれど、とても走って行ける距離じゃない
町の道路は細く、みんなが一斉に車を出したらたちまち渋滞で身動きできない
あの場所にたっとき、私も本当に逃げられるか?逃げられないだろう・・・・そんな気になりました
大きな波が襲ってくるという恐怖の中、おばあちゃんと手を取り合い逃げ、途中で動けなくなったおばあちゃんと押し問答のすえ泣く泣く別れたその現実、やるせないです
そんな人が多いんだろうな
昼間の町は老人と乳幼児が取り残される
働き手は町の中心部にに出ているだろうから生活の場には力のない人が残されてしまう
人は人とのお別れをきちんとしないとなかなか次に進むことができません
大切な人の、「その後」を見届けないと、気がかりなままです
町の復興も大切ですが、時間がない、埋葬場所がない、そもそも遺体がない、という心のつらい状況をなんとかしないと
津波に流された遺体は傷みも激しいという話です
渦巻き状の水の力に流されるので衣服ははぎ取られ、体もゆがむのだそうです
また家族がみつからないままの人も、海の底にいるのか、がれきの下にいるのか、と思ったら居たたまれないでしょう
それでも残った人は生きていかなくちゃいけないんですね・・・
この女の子のおばあちゃんのように、自分の命を差し出しても孫を助けたいという気持ち
きっとこのおばあちゃんは、お孫さんの誕生を心待ちにし、産まれたころから見守り、おさんどんをし、時には孫とけんかもし・・・ずーっと心からの愛情を注いできたのでしょう
誰かを愛おしいと思う気持ちは尊いですね
この女の子が、心穏やかに、成長していかれることを願わずにはいられません