女性誌は相変わらず「愛され○○」


愛されメークであったり


愛されファッションであったり


愛されボディーであったり



なんで、愛されなの?






マネー誌は相変わらず「もらえる○○」


もらえる年金


もらえる(得する)税金


もらえる(得する)クーポン





確かに私も若いころは、愛はインプットの量とアウトプットの量がイコールじゃないと、なんか納得いかない気がしていた



私が愛情を注ぐ分、同じ分だけ(いやいや、もっと多く)愛情を注いでもらわないと、愛じゃない!みたいな


でも、そうだろうか・・・っていつしか思うように



たとえば子ども


決して量のバランスなんて気にならない


私が愛しているのだから、それでいい


家族に対しても、友人に対しても、私が愛しているのだから、それでいい





確かに私も若いころは、国や社会は私たちの暮らしを「守ってくれるもの」だと当然と思っていた



でも、いろいろ社会の仕組みを学ぶうちにそれは間違いだと気がついた


国は何もしてくれない、いやするべきだけどそれはやはり弱い立場の人を助けるためにそのエネルギーは優先されなくちゃいけない


最近はそう思う




弱い立場の人


たとえばお年寄り、病気の方、家族の支えがない子ども


もし健康で、自分のことは自分でできて、収入がある人ならば、「○○してもらう」ではなく、「○○してあげる」にならなければ


だっていつか自分も弱い立場になるから




自助努力ってなんか寂しい感じのすることばだけれど、大人な言葉だと思う


力がある人は、自分で立つ


そして周りに手を差し伸べる



力がある人があれくれ!これくれ!じゃ力の弱い人にエネルギーが回っていかない





愛されることより愛することを考える


もらうことより与えることを考える




脱皮しないといけないな~って思う