母は強しってよく言いますよね



あれってホントはどんな意味だろう?って思う時があります



母だから強いのか?


出産を経験したから強いのか?





私なりに思うのは、愛されているという実感が強さの源なのかな・・・と





人とのつながりのなかで、「愛されている」と実感することってどれだけあるでしょうか?



いつでも、どんな時でも、その人は私を「愛している」って、心から思えること



ふと思い出したとき、100%の愛情を間違いなく信じられること




男女の仲で・・・もちろんあうけれど、疑いのない愛というより築き上げる愛という感じかも



いろいろあったけど、一緒にいてよかってね的な


特に長く夫婦をしていれば、単純に愛情だけではないところもありますよね・・・

努力もするし、妥協もするし、それでも、うーん、もちろん愛もあります。




愛されている実感



私自身は、やっぱり子どもかな~、一番は。




愛しているというのはもちろんですが、何よりも子どもから愛されていることを感じます




赤ちゃんの時、腕の中で私の顔をじっと見つめてくれた瞬間も



大きくなって目線もあまり変わらなくなった今でも、何気ない視線を向けられる瞬間も



変わらず愛されているという実感




だからこそ、その愛にこたえなくては!と思う気持ち



私自身、もし強さがあるとしたら、やっぱりこの「愛されている」という実感があるからだと思います。


愛されているからこそ、強くなれる




子どものように無条件で母親を愛する存在ってないでしょうね。


きっと



私も子どものように、何の疑いもなく100%の愛情をむけてもらった経験って、母親になって初めてです。



男女の愛情では、ここまでの愛はきっと味わえないことかも



子どもからの愛はなくなる気がしない


けど、男女の愛は形が変わる気がする・・・





どちらも愛に変わりはないのだけれど、やっぱり違うな~





ただそこに存在しているだけで、母だというだけで子どもは愛してくれるわけですから



こんな愛され方をしたら、やっぱりこの子のために何があってもがんばろうって思ってしまいます


だから母は強いのかなって






あと、もし私に強さがあるとすれば、私は結構思い出の中の瞬間・瞬間を大事にする人なので、あの時のあの人、あの時のあの人・・・みたいな感じで断片的に「愛された記憶」を忘れないようにしています



事情が変わってしまって、関係も変わってしまったけど、あの瞬間はまちがいなく「愛されていた」ということを忘れないように



もちろん、男女間だけの話ではなく、友達であったり家族であったり、時にはたまたまその時偶然出会っただけの人だったり




いずれにしろ、私が頑張っていけるのも愛されているからこそ



愛された記憶があるだけで、なんとか持ちこたえられることもあるような気がする






雨が降っている秋の夜は、これまで暖かいかかわりをもって下さった人たちの顔を思い出してみるのも良いかも知れません。


とりあえず、あの時の愛を信じてみよう



そう思えば、また明日も新しいことにチャレンジできそうです。




愛されていればこそ