先日生まれ故郷である岩手の宮古に帰った時、「何とも言われぬ心地よさ」を感じた
生まれた場所
18歳まで育った場所
懐かしい風景
温かいなまり
娘もたまにしか会わない私のいとこの子どもたちとすぐに打ち解け、まるで毎日遊んでいる仲間のような自然さ
この心地よさは血のつながりなのだろうか? DNAの何項目かを共有している人間同士の安心感なのか・・・
夫婦別姓がまた注目を浴びそう。夫婦の形、家族の形が議論されてくるのかも知れない。
不妊治療を受けるカップルも増加している。子ども手当とともに、不妊治療費のけんこう保険対応なども議論されてくるかも知れない
家族って何の集合体?
家族ってどうあるべき?
私の知っているアメリカ人カッっプルで2組養子を育てている人がいる。
1組はネイティブアメリカンの子どもを
1組は、ネパールの子どもとニカラグアの子ども
実際にその子達を見たことはないのだけれど、親はいわゆる白人だから肌の色、目の色、髪の色どこを見ても違うのだと思う。
ネイティブアメリカンの子どもを養子にしたというカップルに昔聞いたことがあった。
彼女は「私たちは、家族がほしかったら。そしてそこに家族をほしがっている赤ちゃんがいたから。私たちが家族になったのは自然なこと」
家族か~
夫婦二人の血のつながった子どもがほしいというのではないんだ・・・ そんな風に思った記憶が
二組のカップルとも、どうしても自分たちの子どもが持てない事情があったので、いろいろ思い悩んだ末の決断だと思ったけれど考えさせられる出来事だった。
家族になるためには、努力がいる。だから、血のつながりがどうとかいう問題は関係ない。
そんな風にも彼女は言っていたな~
幼いかわいらしい子どもを抱きたい、育てたい
人間として素直な欲求
子どもは安全な環境で、愛情に満たされて育ってほしい
もちろん大切
でも一方親の経済的な格差によって、子どもたちの育つ環境はどんどん変わっていく
親の愛情をうけて育つ子もいれば、親の愛情をしらずに育つ子もいる。
日本ではどうしても「血のつながり」を何よりも大事にし「家族」よりも「家」に重きを置くところがあるけれど、人間の「愛」を考えればそれはあまり意味がないことなのかも・・・などちらっと頭をよぎることもある。
目の前にいる、愛を必要としている子どもを本当に愛せるのか
一人前になるまできちんと育てる責任がもてるのか
「血のつながり」よりもなにも子育てには人間としての責任と誇りが試されるのかも知れない