子どもの臓器移植の法案が可決されましたね。


子どもの命を救おうという親の気持ちになったら、国内で移植で救えるものなら救ってあげたいと思うのももちろん理解できます。


私も目の前で子供が苦しんでいたら、自分の体を提供することで子供が助かるんだったら、自分の命を提供することだっていとわないと思います。


もし自分の命を提供できないのなら、きっとどんなことをしてでも子どもを助けたいって、それこそ藁をもすがる気持ちで、1%でも可能性があるのならどんなことでもしてあげたいって思うでしょうね。


一方で、子どもの脳死を宣告された親の気持ちを考えるととても臓器移植には応じられないだろうなと思います。


まだ、体も温かくて、すやすや寝ているだけに見えるわが子とどうやってお別れができるというのでしょうか?


目覚めないとしても、きっと頭をなで、頬をなで、手をにぎり体をさすってあげると思います。



私のお客様で、身うちに何年も意識がないままの方を抱えている方がいます。


転んで頭を打ってそれっきりだそうです。まだ40代の若い方です。



24時間つきっきりで看護をされ、一生けん命話しかけ、一生けん命少しでも体が硬直するのが和らぐようにと体をマッサージしているそうです。


この先何年もそれが続くんですよね・・・


それでも、穏やかな時間で満ちているそうです。


身内の方から見ると、反応がないように見えるその表情にも違いがあり、感情を読み取れるのだそうです。


看護をしていると、やはり楽しいこと、うれしいこと、そんな瞬間が訪れるのだそうです。


何より生きているだけでいい、という気持ちなのでしょうか。



難しいです。



いずれにしろ将来への道が閉ざされるより、道が開けただけ前進と判断すべきでしょうか?