アメブロのみなさん
ご機嫌いかがですか?
ご心身にご自愛ください。

さて、

人は人によって生かされている。


互いに慈しみをあたえ、
あたえられ、

そして

互い、信頼は年月をかけ醸成され、

ご縁に感謝する絆となる。

若い頃の、もえる恋、愛を、

互いに男女が昇華しても、

年齢の壁を、身体に実感される時

男も女もいずれは中性化され、

互いに絆を理解できる縁者として

時のながれに身をまかせ

人生を共有してきた間柄であると

認識する。

たがいに、 

辛く荷が重く、おろしてしまった

おきざりにしてしまった

逆縁の悲しみも供養して

化石となってしまう。

時を経て、

40年も時間を共有すると、

互いに、かばい支え合わないと

加齢の壁を

円滑にのりこえられないことが、

共感して、現実が肌身に染みる。

人生を共有した利害関係者として

生き方が丸い円球になるように

互いの価値観が調和、是認される。

処世をとおし、修羅場の荷を背負うと

人は煩悩の仮面、マスクをかぶり処世を歩み

修羅の表、裏がわかってくる。

人は、ひとしく、弱く、愚かであると、、、、

仮面をかぶり、人生を

歩んでいると、、、


己も人ゆえ、煩悩を宿し、仮面をかぶり

世を諦観して、寡黙になり、晩鐘の鐘なるころには、
生あるものには絶対性の無常、
そう
死への世界へとむかう。
煩悩にふりまわされ、
人はファジーな
あやふやな娑婆で仮面を被り
あるいている。
生老苦死、もがき、あがき、沈み、ヌマリ、歩いている現実、
日々のファジーなあやふさから、
そう
やがて
無常の絶対、死をむかえる。
人の煩悩の儚さを理解する、、、
そして、
徒然な日々をおくるなかで、侘び、寂を感じる、冷めた覚悟が
できてしまう。それは悟りなのか?独りよがりの独善、偽善なのか?己は未だ、未熟ゆえ、
わからない。未熟ではあるが、
自己陶冶は捨ててはならない。
そう
物事の最後は自分が判断、行動することだと、自己責任だと認識している。

さて、

世を渡るには

だれとも関係なく歩くことはできない。

人間関係には

調和された利害関係が必要で

世渡りの本質だといえる。


人は個々、生をうけ、唯一の遺伝子があたえられる。

また、

唯一の個の煩悩をもって生をなしている。

声にしても、声帯から発す声質は世に唯一、

己しかもたない声質である。

他にふたりとしていない、絶対なる声質

唯物なる個性なのだ。

生体移植もしかりだ。親の臓器を移植しても

拒絶反応が必ずおこる。

親子は自分に一番近い遺伝子持つが

生態的に別人、似て非なる存在なのだ。

親子も互いに選択できない縁なのだ。親を選んで、子を選んで、
現世に存在できない。
また、人生もちがう。

親子は互いに個を選んで、縁がむすべない関係だ。

親子個々ちがった気質、

人間性、人格をもつ
子供は親の所有物ではない。
母親は携帯ゲーム依存になり、子供を会話のない、共感をあたえない支配服従のロボットにする。
幼い時から親から共感をあたえてもらえない子がどんな人間になるか?
時代がかわり進化があるが、代償に、失われた物、心がある、ことを俯瞰してる己なのか?
親業とは?己を己で偏った独善性にぬまっていないか、これは学校教育ではできない、親の業【ゴウ】、あたえられた摂理だと認識しないと
そう
一人の人間を生み、養い、社会的に一人前になるまで育てる。
親は親業という業【ごう】があること、今を、俯瞰していただきたい。


人間関係はそれぞれ

個と個の関係が利害をなす。

親子、兄弟、夫婦、恋仲、友達、師弟、愛人、取引、雇用、利害
関係しかりである。

これらのたがいの人達との

関係性の調和があれば人間関係はしあわせだ。


あたえ、あたえてもらう

幸福感の本質は

人間関係の慈しみにある。

人間がしあわせだと思うのは

取り巻きの人間関係が

うまくいっていると実感するときだ。

お金がある。地位がある、成功がある、
財産があることより、

一番の幸福度は人間関係にある。

ややこしいのが煩悩、自我だ。

特に 仮面のマスクをつけた
男女の利害関係、互いに、慈しむ愛というより

自我エゴが愛欲へと変わる。
これが煩悩、故に執着となる。

たがいに承認を得たいという執着が強くなる。どちらかが煽り
共依存関係となる。依存症だ。

これを 愛というのか、性というのか 男女が互いに

自己承認欲を満たすことが一般的にいわれている愛という本質なのか?
お互いに溺れている、ヌマリ、
悪い関係だと互いに認識しながら、腐るか、錆びるか、コンプをもち、諦めるのか、
しかし、
ひとは、ひとしく、愚かで、
弱い、これも煩悩を持つ、ひとの
性、摂理なのか?
仮面を、被り、流されているひとが大半である。そして、無常、
一度しかない人生を終える。

愛は愛欲というエゴに変種し、
仮面をかぶり、たがいに執着にぬまる
ネガティブな共依存関係となる。
汚れた関係だ。
SEX依存症だ。
見捨てられ不安から依存症におちいる。他の薬、アルコール依存症も
依存症の本質には
幼いときに親から与えられない共感、愛着障害による不安が隠れてる、
不安からひととき逃避するために
代償行為として、依存症になり、
ヌマリから出れない
人生を縛ってしまう。
虚言症、嘘、心の障害を隠し一生、仮面を被る人生、自分に嘘をつく、他人に嘘をつく、嘘を真実にしてしまう認知の幼さ、ゆがみがある。
自分をまもるために、最期は己がヌマに沈む、そこには贖罪感はない。誠実な心がもてない障害、
怖い存在だ。

おのれのタネを自らまいた応報に追い込まれる。
それより
弱い立場の精神障害者は国から保護されたほうがいい。それが人権だからだ。

 精神障害がー仮面の真実だ。


自我を認めあっただけ執着となり、共依存性をのこし、別れられない
馴れ合いの沼に
愛欲の沼に自ら飛び込む。愛は欲へと転嫁する。
本質は人間ゆえの煩悩だ。

気力をもち執着をたちきらないと別れられない。

  煩悩が【仮面の真実】だ。

諦観し、あきらめることも大事なこと、

さもなくば

愛というまぼろしの影をしたいて愛欲へとなった煩悩執着から、

心の隅が闇となり、もがき、あがき、苦しむー

人は ひとしく、弱い、愚かである。

森羅万象 諸行無常ー
  煩悩が【仮面の真実】だ。

一度しかない人生生きることは

仮寝の宿の露である。 

その愛欲の幻の影もーいつかは無常となる。

わびしい、儚い、ひとしく愚かな人間。

人は己の未熟ゆえ、俯瞰できない。

未熟ゆえの自我、エゴが怒りとなり、

互いの心に毒となり人生で人はー喧嘩わかれをしてしまう。

怒りは心に毒をあたえる。

金、自己承認要求への執着、愛欲、貪りの執着、

たがいに執着がドロドロにヌマル

ほぐれない糸のように。

エゴと化した愛欲と心の炎症、

怒りで

儚い人の自己承認欲に咽ぶ。

人は自我エゴ、強欲をみたされないと怒りとなる。

怒りのゆくえは、病みを呼び

理由なき反抗
自ずから、白黒をつけたがる。
己の橋を燃やす。
アスペルガーのごとし、、、

中庸な思考回路から愛欲のおろかさを冷静に、俯瞰できない。

ALL  OR  NOTHING

自己中、独善的な、妄想で、マウントの自己承認で橋を炎上させる。


震え、痩せた犬、いつか路傍の隅で見た犬

愛欲の強いマウントをとる主人から

足で蹴られ、

傷つき放逐された迷い道をさまよう

犬が己の姿かと投影される。

その相手に振り回される続けると、

ゴムも、のばしきると、もとにもどらない、

人間の心にも、それと同じー諦め、開き直りがでてくる。

諦観してしまうのだ。振り回されると

カサンドラのようにー病むのだー心に傷あとがのこる。

柳は強い風にはおれない、

しかし、

根元に怒りの毒がまわり

腐りはじめると、

たおれる。強い風にたえる、しなやかな強さがある柳でも、

怒りの毒にたおれるのだ。

強欲の怒りは強い毒だ、
怒りの底には隠れた悲しみが潜在している。怒りは悲しみなのだ。
加齢者には怒りは未知への畏怖だ。

毒をはき、一言もなく、独り、 苛立ち、立ち去る。

自己愛者の自我愛欲の毒だ。


人間は弱く、

ひとしく、ただ 愚かである。

病者のように

お互いに星の光をうしない

闇夜となる。

心が病むとー人間は怒りをはく。

愚かな自我エゴに自縛される。
涙をかくしマスク、仮面をつけてかくす。

煩悩に苦しみ、迷い、悩み、

怒り、嫉妬、愚痴、嫉み、愛欲

背負った荷をおろす場がない。

煩悩はだれしも背負う荷なのだ。

荷を背負い無常の道をさまよう
晩鐘の鐘の音やまず、

小生は悟りとは無縁だ。

それゆえに、

己の未熟を愉しむ【たのしむ】

妄想がはしる。己とは、どのような人間なのか?

己の運命などわからぬ

しあわせは空気と同じみえない、内面の心もみえない。

しあわせは己と相手の心にある。

時、場所がかわっても真理は心のなかにある。
悟りは孤独になって、己とむきあえる。孤独はおそれることは
己を俯瞰できずに、他人大衆の
評価により、人生をわたることになる。己の人生の主人公に己がなれないことを意味する

ある日の夢か?

夢芝居か? リングにあがった

野暮なボクサ、己の未熟がゆえに、挑戦した幻の投影された姿だ。

夢芝居を演じるかのように

煩悩と闘ったボクサー

闘うボクサーうずくまる

ダウンだ。

うつろなボクサーにリング外のセカンドが、

タオルがなげいれる。

カンカンと、リングの鐘がなる。

  終わったんだと。

夢芝居の己にレフリーがつげる

だれと闘ったんだ己は?

耳元に咽ぶように、誰かが叫ぶ!

マスクをつけた仮面と闘った。目が覚めた。

相手の心の中にいる病と闘った。後戻りできない人生ー

涙をかくした、マスクの宿命に咽び泣く。

負けたけど。負けるとわかりながら、闘った。

あやつり、つられ、誘い、誘われて

自我の執着におぼれたボクサー

慈しみは、むくわれなかったが、

あたえた、ことに、悔やみはない

ただ、未熟だった。

愚かさゆえの蹉跌だった。

されど

悟りとは無縁の未熟を愉しみ、

得たものがあった。絆が残された。

寛容をもち、相手の愚かさを許すことをしったのだ。

古い小説にあった、己はその小説の主人公になった。

夢芝居は小説に登場した女性の夢だった。

 【されど、われらが日々】
  青い芽の蹉跌だった。
夢からさめた
祭りのあとのさびしさ

まぎらわすものなどない、

愚痴の酒もいらない、

幻が浮かぶ、儚い面影だ。

初めて会った面影、

走馬灯のような

不思議なさびしい仮面をつけた
面影だった。

たがいに執着が生んだ

愚かな怒りは、

喧嘩両成敗で水にながすしかない

時がたてば、互いに忘却され、

夢芝居となり、

風化され、無常となる。

儚い、まぼろしの影。

澄まされた経験、知恵がないと

慈しみはもどらない。

覚悟をきめ、
相手と真正面から立ち向かう、
誠実をもって、向き合うしかない。

関係の修復は手紙しかない、
手紙は俯瞰をよぶ、
己をしる機会をあたえる。
己との闘いだ。

己の自省をしたためるしかない。

ひとは、ひとしく、弱く、

愚かであるとを認識して、

仮面をとり、誠実に心をひらくしかない。

書いたからと関係修復を期待しないことだ。

世を渡る、娑婆が見えてくる。
見返りのない誠実がー心を動かすかもしれない。

人はおろかさゆえ、異性に愛を求めてはならない。
 
煩悩の迷い、自我エゴ 承認要求、

愛欲の執着が生まれ

馴れ合いは

お互い執着に病むのである。

されど

すくいはある

人に慈しみをあたえ、人からあたえられる慈しみは

絆をうみ、執着はうまれない。

執着を生む愛は自我の本質、エゴとなり

愛欲となり

病のような怒りをつくらせ、心を炎上させる

人は生をうけ、絆を生む、

慈しみをあたえる人生は

病い、怒りをうまないー
時をこえた、月日、絆は信頼をつくり、

幸福感を満たす。
縁起、因縁はまわるものだ。過去、現在、未来、

時計の針のように。
 悟りとは無縁の

 己の未熟をたのしめる

 執着からのー逃避行へ
己の道をあゆむのだ。

いま、俯瞰の旅路へ、
船出がちかずく。

白い一日 、終電のドアガラスに投影された 白い面影よ。

すまない、、、列車の窓ガラスの白い面影、後先のない、、、時の空間に置き去りにしてしまった。【私から逃げて】ー
 うつろなまなざしが愛しく、悲しくおもえた。
薄い唇が微かに動いていた、 哀愁の別れを告げたかのようにー
 列車が動き、心に暗闇をもって消えた白い面影ー。

靴音が響くホーム、声をころし目がうるむ、

咽び己の背中が震える、無常の闇にきえた白い面影ー

時雨がやんだ駅のホームから

木漏れ日のベンチの片隅で白い影

の抜け殻から青空へと鳩がとぶー

紫の羽根の色はるかな青空へと

 ー夢の世界へ飛び立つ、、、
麗しき白い影よー
さらば、白い影よ。はるかな
我が道をあゆめ、、、

☺️🎶「このブログの登場人物、ストーリーはフィクション、架空のストーリーです。」

都倉俊一文化庁長官作曲 千家和也作詞
麻生よう子先生の【逃避行】
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【午前零時の鐘】  
都倉俊一文化庁長長官作曲 千家和也作詞
麻生よう子 歌唱切り抜きで囲み、リンクをクリックしてお聴きください 。↓
 

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