最愛なるおばあちゃんが
永遠へと旅立ちをしてから早
四十九日が過ぎた。
91歳と高齢者ながらも
普段から自転車を乗り回し
バスや電車の乗り継ぎも平気で
このまま100歳まで生きるのかと
見守るという優しい観点でいた矢先
おばあちゃんは旅立ってしまった。
体調不良で一時入院をしていて
お見舞いに行った時は元気でいて
孫である僕を心配してくれたり
嫁さんが病気したことを気遣い
ひ孫である娘らに
優しい笑顔を振りまき手を振った。
ありがとうね
僕の中にずっと貴女がいて
あの時にもっと話しとけばって
恥ずかしがらすに向き合って
ありがとうって言えたかな?
ホントはね
抱きしめたかったよ
でもなんか恥ずかしくってその時は
まさかって気持ちもあって
どこかホントのサヨナラ知らず
流れた時間に足りなくなった
唯一無二の人が消え去った。
やがて御葬式
お通夜と告別式が目まぐるしく
厳かではあるが何か
流れ作業な展開があるけど
哀しみと思い出が錯綜してみて
遺影や供花を見てまた
一頻りの涙が溢れ落ちた。
お世話になりました
おばあちゃんの御葬式に
お見えになられた人は口々に
「お世話になりました」と
本当の言葉を出して御霊前に
手を合わせてお焼香してくれる。
お世話になりました
なんて素晴らしい言葉なんだろう。
故人を思い出しては
変な憤りもなく手当てされたこと
優しい眼差しで助けてくれた事
時におばあちゃんが趣味で
作ってくれた干支の縫い物に
巡る一年を振り返っては
何事も無く過ごせた事や
大事があって慌てふためく
時期を思い出しては
不確かを確かにしていく。
ありがとうございます
お世話になりました。
大きな愛で
世の為、人の為に
自分が出来るお世話を
最後の最後までしてくれて
戌年の縫い物が最後の贈り物。
泣きたいだけないで
堪えるだけ堪えて
呼びたいだけ呼んだ時間も
いよいよ荼毘に付される時が来た。
今までもこの歳になっても
火葬されるという行為は
不思議な感覚があってなんとも
気持ちが言い表わせない。
ただ不思議な感覚があろうと
哀しみと感謝の気持ちは真胸あり
最後にお悔やみのお焼香で
泣いてしまうのがしばしばの出来事。
だったが。。。
あろうことか
喪主であるウチの父親が
お焼香の際にやらかした。
旅立ちの挨拶をし出棺され
火葬されるのは言わば映画で言うと
エンディングロールが流れる場面で
感動や放心して佇むところだろう。
しかし喪主である父は
哀しみが多い悲劇の場面を
ある行為で喜劇に変えていった。
喪主である父は筆頭して
お焼香を一番最初にするのだが
緊張していたのか
トワイライトゾーンにハマったのか
つかつかと焼香台に向かったまでは
良かったのだが、手を合わせ一瞥をし
お焼香を済まそうとした時に
今までの泣きたい気分を
ガラっと変える奇行をしてしまった。
それは
手を合わせ一瞥をしていよいよ
お焼香をしようとした時に
お焼香の香木(粉)を掴まず間違えて
熱々になってる炭を摘んだのだ。
掴んで間髪入れずに父は
デカイ声で
「あつぅ!!」「あちー!!」
って
ねえ?間違えます?それ?
熱々の炭と香木
間違えますかね?
そりゃあ互いに壺に入ってますが
大きさ見れば一目瞭然かと
設置されてる位置とかも ねぇ?
間違えますか?
「あつぅ!!」「あちー!!」
って言っちゃいましたね。
でもねここはさ
笑っちゃいけないところだよね
TPOに合わせて
笑っちゃいけないところだからさ
でもさ俺
気になって後ろ振り向いてさ
参列者の方々みたらさ
みんなね
手を合わせて肩揺らして笑ってたよ。
出棺され荼毘にふされてるのに
お焼香してて笑顔が出たよ。
おばあちゃんが僕にくれた
熱い想いなのかな?
笑ってさよならなんて初めてだよ
笑顔は心躍り色を変えるんだね。
ありがとう
おばあちゃん
お世話になりました。
季節はもうすぐ春です。
永遠の日に不意に
耳に入ってきた風の便り
アメージンググレースを
聴いて今日も頑張ってます。
いつかまた逢える日まで
さようなら。
