かわいい女子が明朗快活にしゃべるだけで、最強になる社会が来るとはおもわなんだ。

 

ようつべが「好きなことをしていきていく」みたいなかんじで売り出したのが2013、4年あたりか、

自分が当時一緒に仕事をしていた美大生にようつべによってあたらしい影響力がきている、みたいなことを熱弁していた。

(かといって、ユーチューバーになりたいとは思わずに、いまだ2000年ぐらいから表現の価値観は変わっていないが)

 

ニコ生が2011年あたりに始まっていたが、まだまだアンダーグラウンドな世界。

 

ブログこそはそれこそもっと前にあったし、ツイッターだって2006年あたりに始まっていたが。

 

やはり動画の影響力が強いんだと思う。

 

2018年あたりの高校生が、その世界を知って、そこの世界を利用していくのはほんま強い。

学歴社会は滅んでいる。

(滅んでいない)

 

覇権を握っているのは、動画できらびやかな世界を演出できる、インフルエンサーだ、・・・なのかもしれない。

そして、やはり経営者側にまわって、上前をはねる役のほうが、莫大なお金は手に入れられない。

タレントや動画はあくまでも有名になるため、ブランドをつけるため、

幸せになるためには、お金を集める側にまわって、集金しないと世の中そんなにバブリーじゃない。

 

 

 

 

そして、スマホで一億総勢、高画質を閲覧も作成もできる時代。

ルッキズムは正義すぎる。

 

僕らまだ2次元制作者の世界では、かろうじてルッキズムで仕事の良し悪しが決まらない分、助かってるのか、

それとも、世の中はまだ、ルッキズムに支配されてないのか、あくまで動画の世界だけなのか。

 

 

電車男がネット掲示板の創作のポジだとしたら、

みーちゃんはネット掲示板などで語られるエピソードのネガだと思う。

 

ネット掲示板は2010年ごろ前までは、散々極端なエピソードが語られた上で、吊りでした、みたいなオチになるが、

今や、そんな様式美はなく、

創作なのか、リアルなのか、はたまた啓蒙活動なのか、ステマなのか、特定の集団を叩くためのマイノリティーなのか、ノイジーマイノリティーなのかわからない。

 

「ウソをウソと」みたいな言葉もあるが、もはや、まじで真実はわからないと思う。

 

 

ただ創作なら、別にホントでもウソでもいいじゃねって思うが、

最近はマンガは大部分の大人も普通になじむし、また、思想的なものをマンガにすると、なぜだか真実味がわいてくるんだから、こわい。

特定のものをバッシングするのに、文章、言葉だけじゃなくて、マンガでその文章、言葉にたいして、

絵で多数の人を書いて「そうだそうだ!」みたいな文句を描けば、あら不思議、みんなが同意見というリアルさを得てしまう。

 

ただ、みーちゃんは気になっている。

自分が人生の多感な10代の終わりに、世は援助交際ムーブメントがあり。

村上隆の「ラブアンドポップ」や桜井亜美の「イノセントワールド」に触れ、

10代女性の価値観と世界、みたいな作品により触れたからだ、

 

また、別ベクトルとして

BSマンガ夜話で「岡崎京子」にも触れ。

有名なキャッチコピー、「マンガは私小説になった」にも多大な影響を受けた。

 

みーちゃんは、その歴史の流れのなかにある。

 

当時は自分の意見を世にはなつ手段は限られていたが、

今はすべての人間は自分の意見を主張できる。

あまつさえ、自分の意見が世の中に対して絶対であり、気に食わない人間に鉄槌をみたいな動きをSNS上で可能で、

 

たぶんラブアンドポップ、イノセントワールド、岡崎京子に時代とは、なにか同一線上では語れない気がする。

 

ただ、最近作者も美大出身ということを聞いて、テーマやネタは置いといて、

たぶん画力や表現者てきには、まあそれなりのエリートというか、技術や感覚はもっていして、あの完成度になっているのだろうとも思う。

 

前々回と思ったことが被った。

 

 

 

 

最近動画界隈ではやっているショート動画。

いや、上の動画は流行ってるってわけじゃなくて、みんなみんなショート動画作るよね、見てるよねって話。

 

今や技術職じゃない人間でも気軽に編集、誰でも編集。

 

先日師匠とカットの尺のことで、言い合いになったりした。

 

その道50年と20年ぐらいの映像制作者が尺で言い合ってるなんて崇高に見えて、

世間ではそこら辺の人でも映像を作って、編集してる。

 

上の動画もどれだけの予算、どれだけの人間、どれだけの時間、どれだけの機材を投入して動画をつくってるのかは知らないが。

まあ見れてしまう。

 

おそるべきショート動画。

 

むかしはもっとお粗末で見れたもんじゃないものもあったけど、今はそこそこ見れてしまう。

 

ファーストカット、物を置く女性。

36フレームのカット尺。

 

24コマ換算だと1+6もない。

それだけ、何をしてるか伝わってるし、次のカットにもつながってちゃんと見えてる。

構図もいいし、画質もいいし。演者もまあいい。

 

僕らが作ってる映像は技術者が議論しあって、もっとちゃんと作ってるって言いたいけど、

どーなんだろなーーー。

 

これはもしかしたら、もう一個のブログで書いてもよかったかも。

 

 

 

 

gooブログ消失のため、アメーバに引っ越してきた。

 

正直、アメーバなんてキラキラしている場所にこんな垂れ流し日記サイトを移していいものかと、一瞬悩んだけど。

まあX(ツイッター)などでお気持ち表明に比べたら、ブログなんて世界の片隅でお気持ち表明するものぐらいなんじゃないかって、移ってきた。

 

gooブログはほんと場末感あって居心地はよかったけど。消えていくものは仕方ない。

 

 

ようつべ界隈の「動画編集で収入3倍!」「収入高いからキャバクラで遊び放題!」とか動画編集者がこんなキラキラする世界線がくるとは思わなかった。
まあたしかにこんだけネットメディアバブルだけど、それにしても、なぁ・・・




今のネット自己表現時代はうらやましいが、ここまでくると、何も知らない若造が今のよくわからない価値観の波にもまれなくて、ちょっとほっとする、
まあ価値観なんて時代とともに変わる物だから、今なら今で社会の荒波にもまれながら現実と真実を追い求めていたのかもしれないが

90年代の終わり学生アルバイトでブライダルビデオのカメラマンをしていたときは、
テレビ局の制作会社経験のある先輩が(その時代の)前までテレビなんて飲食領収書切りまくりでお祭りだったみたいな話をしていたが、
そういう意味ではようつべ界隈のほうがバブリーなことはあるのか?いや、なぁ・・・


桜玉吉のマンガ内のセリフ
「マンガとか小説とか、虚業で人騙してエラソーに食ってる奴は大嫌いだ!」
とか、当時ずしっとくるものがあり、先輩の俺たちの仕事は第3次産業、世の中に決して必要な仕事ではない。っていう言葉もずしっと響きながら、
「表現者」もさることながら「裏方」であり

当時「新世紀エヴァンゲリオン」のアニメを見て、この奥の映像を作っているスタッフの存在というものを意識し始めて、


ユーチューブの時代なんて、そういう価値観とはかけ離れてる気がして、それをどう差別化なのが言語化なのか、
昔の人はテレビばっかみてるとバカになる、なんてこともありながら、テレビは一時期天下をとったわけで、
ユーチューバーなんてみてたらバカになる、なんて思うぐらい、価値観のズレを感じながら、それでもだんだん市民権を得てる人間だったら、
「【完全公開】10億円のヴィラを買ったら規模が想像を超えてました」なんて動画を120万人見ていて、どんなに怪しい人だって、もう立派な正しい存在なんですよ。

ドラゴンボールでフリーザと悟空が戦闘力対決している映像でドキドキしていた自分だって、結局つきつめたらエンターテイメントなんて、そんなもんなのかって、
まあただ、悟空とフリーザは空想上の存在なのだから、リアルの現実と価値観を比べることはないが、

ユーチューバーはフィクションとノンフィクションのリアルの価値観との境界が曖昧な気がする。
そこは危険な気がするのだが、それらのエンターテイメントが今の社会に飛び出る若者たちの価値観にどう影響するか。

自分もなんだかんだで、あと20年くらいはこの世にいるだろうから、どこまで価値観の話についていけたり、表現できたりするのか、
変わりゆく価値観をどこまで見届けてることができるのか。



パニック障害持ち、コスメ・ファッションインフルエンサーユーチューバーって最強だな。

コスメ・ファッションを皮切りに女性の世の中の意見を代弁(自分のだらだらとした意見をさも代表者のように)
パニック障害で弱者の立場にもたち(何かあったら病気のせいにして)

昭和の時代だったらこの手の才能の持ち主はどういう生き方ができたのであろうか?
(テレビとインターネットではそこで生き残れる母数が違いすぎる)

なにより自己発信で世間的な価値が十分通じるようになった昨今。
自分対世界で十分に自意識とレゾンデートルが成立する。

もちろん発信することはそれにともない批判も相手にしなければならないから、
つらの厚さは必要だし、精神的な強さも必要。

精神的な病気である人間がそのリスクを背負って、世の中に対して自己発信できる場所を選んでいることも矛盾をある意味感じるが・・・
(もちろん中には世間の批判に精神的にたえられなくなり、ほんとうに自ら命をたつ人もいる)
ルッキズムとポリコレ

美しく、注目を集める。注目を集めて、人が集まる。人が集まることでお金も集めやすくする。
多くの人が美しくなったら、人が集まりにくくなる。
美しくないことに、価値を作る。
多くの人が美しいことに価値があって、そこにお金が集まることに前提になるなら、
逆にその価値観を否定。
その否定することが特権であり、特権があることによって人が集まり、お金も集まる。

マイノリティ



人類が行き詰まる

人が求め行き着く場所

平和 秩序 とは?

人々を救う
世界を救う勇者なんて存在しない。


人類(自分たちを)を脅かす存在があったとしても、それを排除して人類(他者)救おうなんて思わない。
むしろ、それを利用して、自分たちの権力を作る、もしくはその脅かす側の一員になる。

権力をもって支配する(貧富の差を作る。身分の差を作る、得をする人、損をする人を作る)


金、権力、

金があれば、自分の生活は向上する。
自分の生活が安定するなら、なにか自分に価値がほしい

権力

人から必要とされる
自分が人と違うということで称賛される
自分の力で他者を動かせる。

大金を得たとき、
1。その金を分配して、多くの人に幸せになってもらって自分が特別な人間であることを誇示する。
2.そのお金を使って、人の人生をあやつって、自分が特別な人間であることを誇示する。

自分も、自分も、お金がほしい、特別な身分の人間になりたい。
少数の特権てきなコミュニティを作る
そうなると、やはり2に近くなるのか。

多くの人間が幸せになる世界を作るより、
特定のコミュニティが幸せになる世界を目指そう。

それが人類の最終形態であり、秩序。

一億総勢中流社会はありえない。
競争ではなく、階級がある社会こそ、優遇と冷遇がある社会こそ秩序
得するひと、損する人
昔に比べると、日々人の交流は減ったと思う。

ネットというものが発達し、いかなる時間でも他社とのコミュニケーションが簡単にできるようになって。
リアルに対しての人の時間を奪うという行為に対してたぶん日本人は遠慮しがちで、

そのぶん、ネットの世界で身の回りのぐちは不平不満を唱えるようになった。

本人は同意を得たいつもり、軽くつぶやく、
そこには晒し上げたい、バズりたい、そこまで考えてない
いくらでもその責任は逃れられる。

しかし、友たちに愚痴るのと、世界中の人がどこからでものぞける場所はちがう。

それに対して、近い身内ちやそれを炎上したい人、それを快く思わない人、ニュースサイトがとりあげて、わけのわからんことになる。

そこには対立煽りも存在してくる。果たして本人がその先のことをみすえて、つぶやいたこのなのだろうか?

わたしは軽い気持ちでつぶやいた、そんな大仰にされても困る。知らんわ。という感じなのか。

かつてミクシィという閉じられたコミュニティサービスもあったが、なぜこんな開かれた場所で燃えやすいネタを投下するのか?
それはもはや、わざとしか思えない。
黎明期にはパイオニアが乱立して個性が生まれるがそれに憧れて始める後発世代は平均は上がる
一方で突出した才能は現れにくくなる。文化は成熟する程開拓されて革新的な部分が減るから
飛び抜けた才能が現れるまで時間がかかるしか待つしかない

21世紀の現在はそれ以前の時代に比べて
漫画含めあらゆる芸術コンテンツで要求されるハードルが高くなってるから
その要求水準に達する頃には大抵の人は30越えるか越えないか位の年齢になる
ただ人間の脳のピークは20代前半である生物特性には変わりがないので
それゆえに現代は天才芸術家が生まれにくく
それが人類全体の文化の発展が鈍化しつつある要因にもなっている

漫画家の独創性の話が出てるけど
これって読者の方の問題もあるかもしれんよな
独創性のある絵が(大衆に)受けない
身体がデフォルメされているような絵が受けない
だから編集とかその前後の段階で間引かれてしまう
おたく文化が昔よりも受け入れられてきた弊害かもしれない
もう目新しい表現手段は出てこない、
技術やツールは成熟しつつある。クオリティは上がっている。

しかし、人の心を動かすのはパッションだ。なにか人より思いが強くなって、映像は迫力を増すと自分は思っている。

「THE FIRST TAKE」というユーチューブサイトがあり、
「ここは一発撮りのパフォーマンスを鮮明に切り取る」という、うたい文句でアーチストの楽曲を紹介してる。

この一発撮りがどういう形で音楽を演奏、演者が歌唱しているかは詳細に明記されてない。

また、とあるアーチストの見解では、生歌唱ではなく歌唱にはピッチ調整ははいっているらしい。


音楽なんて、歌い手の歌唱力、楽器操作の技術力、もはや、そんなものなくても、機材でなんとかなる時代。
それをあたかも、そんなものには頼らず、生歌唱生演奏してるように感じるこの映像の演出。
そこがどうしても、うまいさじ加減が出ている。
正直文字通りの一発撮りも怪しいが、でも、シンプルさを追求した見せ方は非常に説得力をもっている(映像演出のね)

「もう目新しい表現手段は出てこない、
技術やツールは成熟しつつある。クオリティは上がっている。」

そこをあえて逆手にとって、ツール的な手心がきれいに見えない演出が完成されてる。
シンプルさの追求が高級感に感じる演出が徹底されてる。

書いてて思ったのは、「THE FIRST TAKE」は「モキュメンタリー」というジャンルで、
非常に完成されてるということだ。