赴任当時のわたくし(右)と生徒(左) 敬和学園高校は、キリスト教主義の学校ですので、毎朝全校礼拝があります。礼拝でのお話はクリスチャンの先生方が担当します。クリスチャンであるわたくしにもその順番がやって来ました。


第一回目のときに、何を話したらよいのかあれこれ考えました。

そして、 「I for Keiwa, Keiwa for Niigata, Niigata for Japan, Japan for the world, All for Christ」みたいな内容にしました。


「わたしは敬和のために、敬和は新潟のために、新潟は日本のために、日本は世界のために、すべてはキリストのために」

内村鑑三先生のお言葉をお借りしました。


礼拝でのメッセージの後で、ギターを抱えて一つの歌を歌いました。五つの赤い風船の「遠い世界に」という曲でした。

あの曲の3番を歌ったのでした。


雲に隠れた 小さな星は

これが日本だ 私の国だ

若い力を 体に 感じて

みんなで歩こう 長い道だが

一つの道を 力の限り

明日の世界を 探しに行こう

明日の世界を 探しに行こう大学時代の友人(左)わたくし(右)





1970年3月27日に、新潟にあるキリスト教主義の私立「敬和学園高校」の教師になるために、新潟駅に降り立ちました。

23歳でした。もう36年も前の話です。


人生にはいくつかの岐路があるように思います。

大学4年の時に悩みました。

卒業後は、まず公立高校で教師経験を積みその後、

新潟の敬和学園高校へ行った方がいいのか?

それとも卒業したら直ぐに、新潟に行くべきなのか?


「本当に迷いに迷っても結論が出ない時には、自分にとって、より厳しいと思われる道を選択しなさい。」 と三浦綾子さんが言っていた言葉を思い出しました。


そんな迷いの中から卒業後直ぐに新潟での教師生活を選択し、

わたくしの教師生活が始まりました。


新潟には、身寄り頼りのまったくいない私にとって、新潟はすべての事が新鮮でした。


それまで東京で生活してきたわたしに、新潟の人達はまぶしく思えました。

新潟の人達の優しさが一番嬉しかったのです。

表面上はあまり、とっつきやすくないカンジのする人も実はとても温かい思いやりのある人であったり、・・・


直ぐに、新潟が気に入ってしまい、一生懸命に「新潟弁」を練習しました。


結婚後、三人の子どもが与えられましたが、3人とも妻の実家である佐賀に帰らず、新潟で出産してもらいました。

ですから、我が家の三人の子ども達は全員「新潟っ子」です。


つづく


「新潟暮らし since 1970」 http://ameblo.jp/nobu-3

nobu-3です。

2006年9月17日(日)

初めまして ひょんなことから 

アメーバの登録をする事になりました。


知人の「ぶらこさん」のブログの読者登録

をしたかっただけなんですが・・・

そのためにはアメーバのメンバー登録が

必要とのこと。


そんな訳で、メンバーにさせていただき

ました。


どうぞよろしくお願いします。m(_ _)m


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このブログでは、単なる日常の出来事を書

き連ねる日記というよりも、

気が付いたら、新潟での生活が36年にも

なっていました。

これまでの日々をつれづれなるままに書き

連ねてみようかと考えています。

連載物なんてこれまでに書いたことありま

せん。果たしでどうなる事やら・・・とっても

楽しみです。

気張らずに、気楽に気軽にと思っています。

どうかよろしくお願いします。


nobu-3でした。

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日々の日記はこちらをごらん下さい。

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nobu-3でした。