今この瞬間に世界が終わるとしたら、あなたは何をする? | うっかり女子でもちゃっかり生きる♪ADHD不注意優勢型・雨野千晴☆いつもココロはあめのちはれ☆

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頭の中が多動なADHD不注意優勢型・37歳で診断された超うっかり者の私でも、毎日楽しく生きられます♪失敗しても大丈夫♥自閉っ子&ADDタイプ兄弟子育て中シンママです。うっかり女子でもちゃっかり生きる私の日常を綴ってます(^O^)/

今日、この記事を10時までに上げたいので
絵文字とか写真とかいろいろなしで文字だけブログですが
それはあとで入れるとして。
 

タイミング合う人に読んでもらえたらです^^

 

 

今、この瞬間で世界が終わるとしたら?
私は何をしたいか。

3月6日からこれに↑挑戦していました。


よく、余命一カ月と宣告されたら何がしたい?とか
今日1日が最後の日だとしたらどうする?とか


そういう質問は今までも聞いたことがあって。


で、そうすると


今まで行ったことがないところに行きたいとか
(私はウユニ湖行ってみたいの)


貯金全部つかってぱーっとするとか

遠くに住んでる大事な人に会いに行くとか
 

いろいろあると思うのだけれど


「今この瞬間が最後」

 

って言われたら

そういう、
「いつもはできていないけど本当はやりたい、人生が終わるとしたらの一大イベント」
みたいのは選択する余地がなくて


特別な何かじゃなく、今この瞬間に自分ができることで

やりたいことを思い浮かべませんか?


私がこれをはじめて、最初に気が付いたのは

「私、自分の顔を全然みてない」

ってことでした。



私はADHD・不注意優勢型なのですが


見通しを持ったり、時間を守ったり、そういうことが苦手で

もともと「今ここ」の瞬間にやりたいことをやりがちな脳タイプなのですが



だからこそ、それで失敗したりうまくいかなかったり怒られたり


そういうことも多かったわけです。

 


なので、洗顔とかも超てきとう

極力時間をかけずに省けるところははぶく
 

というのがデフォルトになっていたのかなと思いました。

中学生の頃とか、もっと鏡の前に
いる時間がながかった気がする。



で、時間省けるところって

だいたいが自分に関係するところなんですよね。


仕事に行く時間は決まっているし
子どもたちを送り出す時間も決まっている
お弁当が必要な日はそっちが優先

人が関係していることほど優先順位が高くなる。



そうすると、


自分の顔をていねいにあらうとか
自分の飲みたい飲み物をていねいに選んで淹れるとか

ぜんぶ、省く対象になる。そこは、人に迷惑をかけないから。



化粧も全然してなくて


そういう自分が、「そこに頓着しないキャラ」として

自分ではそれはそれで気に入ってるつもりだったけど

そうじゃなかったんだな
後回しにしてた、省いてたんだっていうことに
気が付きました。


そこからまずやっていこう

そう思って、ていねいに顔を洗ってみたんだけど
気が付くと、しゃしゃしゃ!ってやっちゃってる(笑)

歯磨きも、「タスクを済ませる」という意識しかなくて
こんなに雑に、やらされてる感、ただただ虫歯になりたくないから仕方なくやる
ってやってたんだなって気が付いた。



けっこう私は、自分がやりたいことを一番に
好きなことを選んでやっているっていう自負みたいなものがあったのだけれど
生活の場では、それができていなかったってことに愕然とした。

気が付けば、おなかにいつも力が入っているの。

それは、

遅れないように
間違えないように

ということや


もっといいものを作りたい
この期限までにこれを仕上げたい
 

そういう気負いの部分も関係しているのかもしれないけれど

気が付くたびに、力を緩めるようにして1日をすごした。

力が入っているということすら
41年間、今まで気が付いたことがなかったんです。


で、次の日は

福祉の現場の仕事が入っていたのだけれど



最近昼食の介助のお仕事も
担当させてもらっていて


ひとり一人、必要な道具や食べ物の状態
介助が必要な部分がちがっていて

その日担当したAさんは


「早くたべたい!」という思いがある方なので

いつもお待たせしちゃいけないということを

一番にやっていた。

この事業所では「その人がどうしたいか」を
サポートすることをすごく大事にしていて

だけど、前の日に「いまここ」を
自分でやっていたからか、



その日はなんだか

「とにかく急いでお待たせしない」
というところ以外のものが見えてきて


例えば、それまではお椀の中におかずとご飯を入れて
スプーンで口元に運ぶサポートをしていたのだけれど


Aさんが食べたいものを
指さすようにしていることに気が付いて

そのほかの場面で今まで一度も指をさすという動作をされているところを私はみたことがなかったのだけれど
それは単純に「転倒しないように」とか「ごはんが口からこぼれないように」とか

そっちばかりに意識が向いていたからかもしれない。



それで、お椀にいれるのをやめて

お弁当の箱をそのままAさんの前において

Aさんが今何を食べたいか
に注視するようにしたのね。


さらに、Aさんは自分ではすくったりできないということだったのだけれど

いろいろ、Aさんと一緒に「いまここ」にトライしているその時間で
フォークに刺したものはご自分でサポートなしで口の中に入れられることがわかって


さらに、「これ食べたい!」っていうものに関して
もしかしてご自分で刺せるかも?

っていうアイディアがふっとおりてきて

フォークの向きを下向きに、順手でもっていただいて
一緒に刺すところをサポートしてみたら


食べ物をご自分で刺すというところを一緒に動作することができたの。



それは、他のだれも見ていない、Aさんと私だけ二人の間のやりとりで
すごく小さな、一瞬のできごとだったのだけれど

私の中ではすごく大きなことで


Aさんの「いまここ」を一緒に共有させてもらったような思いで
ちょっと泣きそうになりました。



で、

 

今まではそういうふうなことをやってみよう とも思いつかなかったのは


やっぱり、何かあったらいけない
失敗したらいけない
他の職員みたいにうまくやらなくちゃいけない
手帳を持ってる私に任せてもらえた仕事なのだから

みんなと同じようにやらなきゃいけない

っていう思いがあったのかもって思った

いまここ を自分に実践して、

自分がゆるんで自分の感覚にアンテナがたっていたからこそ
Aさんの「いまここ」も

共有させてもらうことができたのかもしれないって思った。

それは、他の人にとっては
小さな日常のひとこまだけれど

私にとってはすごく大きなことで

日常の中にこそ、自分を顧みて自分を変えていく
ポイントが存在するんだって思った^^