『いつか』って、いつまで経っても
向こうからはやってこない。
想いを伝える相手が
著名な方かどうかって、関係ない。
好き!ステキ!と思ったら
そのままの熱量で、それを相手に伝える。
私は子どもの頃からそうやってきた。
1番はじめにファンレターを書いたのは
小学校低学年の頃だったか。
札幌で劇団四季「キャッツ」の公演がはじまり
見に行った私は感激して、
登場する全てのネコを
その頃凝っていたビーズで作って
好きになった役者さんに送ったのだ。
そして、お返事が来たときは、
本当にうれしかった。
SNSをはじめて
著名な作家さんや
大好きなテレビ番組のプロデューサーさんや
日常生活では関わることができない方達に
想いを伝える手段が増えた。
『伝える』って、すごく大切なことだって
私は思ってる。
それは
日常の身近な相手に対しても、
ブログや本や舞台越しの相手にも
同じことが言える。
店員さんにだって、小さな『うれしい』でも
必ず伝えるようにしている。
そうすると、相手の顔がほころぶ。
『うれしい』が増えて返ってくるのだ。
誰かが感じた本気の『好き!素敵!』は
相手に伝えることで
そこにプラスの何かを生み出す力がある
って、私は信じてる。
それなのに
なんで、この人には
伝えなかったのだろう。
子どもの頃から、いつもそばにいてくれた。
進路に迷ったとき
妊娠中のとき
旦那と喧嘩したとき
教員になって 死にたいと思っていたとき
やりたいことをやりたいように
やって行くと決めたとき
いつも私を支えてくれたのは
彼女の作品だった。
一度読んだ本を再読することはほとんどない私が
唯一繰り返し、暗記するまで読んでいるのが
彼女のエッセイだ。
彼女の作品は漫画からエッセイまで
ほぼ全てを読み込んでいる。
さくらプロダクションに入るためには
どうしたらいいのか、
真剣に調べた時期もあったほどだ。
夢はありますか?
と聞かれると、私はいつも
さくらももこと対談したい!
本を出して帯を書いてもらう!
と答えていた。
本を出す予定なんてないし
なんのつても可能性もないけれど
ずっとそう思ってきた。
なのに、私は彼女に一度も
ファンレターを書いたことがないのだ。
こんなにもたくさんのファンレターを
今まで書いてきたというのに。
ずっとそこにいてくれる気がしていたのかも
しれない。
実際にお目にかかって、
聞きたいことがたくさんあった。
ありがとう を何回でも伝えたかった。
生きてさえいれば、会えない人なんていない。
伝えられないなんてウソだ。
勇気を持って行動すれば、
可能性はいくらでも作れるんだ。
でも
死んでしまったら、その可能性は
永遠に失われてしまうのだ。
地球の碧。
人生は、有限だ。
会いたい人に会いに行って
本当に自分がやりたいことを追求し
伝えたい想いは今すぐ伝えよう。
自分で行動しないうちは
『いつか』
はいつまで経っても来ないのだから。
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眺めている時に、訃報を知った。
実践障害児教育のコラム連載ね。
実は、書く前にいつも
さくらももこさんのエッセイを
読み返してる。
こんな風に書けたら と
文体やリズムを感じてから
書き始める。
これからも、私の支えであり、目指すところ。
会ったことはないけれど
私の大好きな人。
1年前に書いた記事↓
『いつも私のピンチを救ってくれたのは
さくらももこのエッセイだった』