「誰も傷つけたくない」という思いの裏にある、自分の本当の気持ち。 | うっかり女子でもちゃっかり生きる♪ADHD不注意優勢型・雨野千晴☆いつもココロはあめのちはれ☆

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頭の中が多動なADHD不注意優勢型・37歳で診断された超うっかり者の私でも、毎日楽しく生きられます♪失敗しても大丈夫♥自閉っ子&ADDタイプ兄弟子育て中シンママです。うっかり女子でもちゃっかり生きる私の日常を綴ってます(^O^)/

ご訪問ありがとうございます!
はじめての方は、「はじめに①」「はじめに②」の記事から読んでいただけるとありがたいです(^O^)/



☆☆☆



アメブロがメンテナンス中なので、レポ第2段の前に一本別のゆるい記事を。





昨日アップした、華愛さんの記事。


書き終わったとき、私はかなりいいものを書けたという満足感でいっぱいでした。




「いいもの」って、私にとってはどんなものを指すかっていうとね。



○そのとき私が感じた、《楽しさ・悲しさ・辛さ・おもしろさetc.》といった感情を、どれだけ臨場感を持って再現できるか、ということ。



○書いていくなかで、自分の中に気付きが生まれること。



○対象への愛が込められていること。






そういうところがクリアされてるものが、私にとっての「いい記事」なんですね。



自己満足を満たす基準。(°∀°)b






それとは別に、記事を書くにあたって大事にしていることが、ひとつだけあります。



それは、《読んだ人が傷つかない》ということ。





これはね。ある意味では、不可能なことだとは思っています。




自分の考えを500%の自己開示で書いている以上、私の考えと反対の思いを持たれる方がいて当然だと思ってるし



心の深い部分を書こうとすればするほど



読み手の中にある傷みたいなものを共鳴させてしまうことが増えるだろうとも思います。




それでも、できるだけ自分の書くことでは誰も傷つけたくないと思ってしまう。

特に、書かせていただいた方に対しては、なおさらそう感じています。





かさこさんがね。さだまさしの記事を書かせていただいたときに、


「プライベートな会話ややりとりを書くときには、対象者に確認をとることが大事」


と教えてくださいました。



それは、「僕は良いですのですが、気にされる方もいると思うので」と、私の今後のためにアドバイスをくださったんですね。




なんですけど。私はそのアドバイスをメールでいただいたときに、号泣してしまいました。



かさこさんに、嫌な思いをさせてしまったんだと思ったんですね。




それで、そのメール読んだ瞬間に「さだまさしシリーズ」を全部非公開にしたんですよ。




でもその後で、かさこさんは「僕のは大丈夫ですよ!」と再三おっしゃってくださって。(それでお言葉に甘えて、記事は公開に戻して今に至ります)



それで。今、かさこさんが最初にアドバイスくださったメールの文面を読み直しても、全然私にたいして「心外です」みたいな、そういうニュアンス、かけらもないわけです。





私、記事を書かせていただく方には、

「今日うかがったお話の中で、書かない方がいいことはありますか。」

とお聞きするようにしているのですが




それでもこんなに過剰に反応してしまう自分には、何かあるなって思いました。





人を過度に「傷つけたくない」って思うって、


それは「自分が傷つけられたくない」ってことなんだろうなぁ、と思いました。





私、ずいぶんと自分のこと、相手のことを信頼できるようになってきたなぁって思ってたけど



まだありましたね。



持ってる持ってる。



「誰にも、ちょっとも傷つけられたくない」

ってやつ。そんなん出ましたよ。(・∀・)






それでね。

華愛さんの記事が書き上がったとき、
自分では「いいものができた‼」って思ったけど



華愛さんはどう思われるだろうか…って、すごく不安になったんです。




あの記事内で使用したイラストは、すでに会場で仕上げてあったので

華愛さんにお見せして、ブログ記事をそのような方向性で書いても大丈夫か、すでに打診させていただいてたんです。




その時華愛さんは、

「全然大丈夫ですよ‼」

と笑顔でオッケーしてくださっていたのに。それでも心配になってきてしまって。


それで結局、下書きも見ていただくことにしたんです。





文面を華愛さんに送らせていただいて、お返事が来るまで、なんだか私は生きた心地がしませんでした。




だってね。私、好きな人にしか会わないって決めてるから、私の記事に出てくる人、みんな「好きな人」なわけですよ。




もし、その方に嫌な思いををさせるような文面になってたらどうしようって思いました。



もしそうだったとしたら。



謝ればいい。失敗したり、間違ったりしてしまったときには、謝ればいいんだって、夏目さんもかさこさんも、おっしゃっていました。




本当にそう。自分が本当に愛を込めて書いた文章なのなら、何か不備があっても、真摯に謝れば気持ちは届くはずだとも思う。





それを分かっていながら、尚もこんなに私の中で恐れがあるのは

子ども時代に経験したことが、まだ根深く自分の中に残っていたのだなぁと感じました。







前にどこかで書いた気がするのですが

小学生のころ、私は幼馴染みのお友達に、絶縁状をもらいました。たぶん、小学校6年間で、10回くらいはもらったんじゃないかと思います。同じ友達に。





内容はね。

「あめちゃんは我が儘すぎます。もう一緒に遊びません。」

みたいなのね。あなたのこことこことここがダメです、みたいな。






それ、ある日急に渡されて、次の日から徹底無視されるの。


で、ほとぼり(?)が冷めて、また仲良くなって、しばらくしたらまた絶縁状を渡されるという。(´∇`)








そしてね、私はその手紙。

実家の押し入れに、未だにとってあったんですよ。(笑)





それをね。


昨日棄てましたよ。






そしたら、華愛さんからは、こんなメッセージをいただきました!





(TДT)♥



泣きましたね~、これ読んで。


華愛さんが、私の記事を、「ファンレター」って言ってくださったこと。



私がいつも誰かのことを書くときには、そんな思いを込めていることが、ちゃんと伝わったのだなぁと思って。


うれしかったんです。




恐れを棄てて、書いて良かったなぁって思いました。




って、「恐れを棄てて」なんて書いてもね。

やっぱり「できることなら、誰も傷つけたくない」という思いは、まだ手放すことが出来ずにいます。





ということは、やっぱり「誰にも傷つけられたくない」という私の思いは、まだまだ私の中で根深いものなわけです。




それでもね。


そんな思いを持ってる自分に気づけたことは、大きな一歩かなぁと思います。





もっともっと、自分を信頼して

もっともっと、相手や世界を信頼して

いつか気がついたら、握りしめていた不安や恐れを自然と手放していた






そんなふうになれたらいいなぁと思いました。









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