初めて、死を意識したのは小学4年生の頃だった。

どうにか自分の苦しさを外に出したくて、おもちゃの鍵で手首を刺したりしたけれど、何も変わらない。誰にも気づかれない。

 

前後関係はもう覚えていないが、親に「死にたい」と言ったことがある。

私はただ、どうしてそう思うのか、何が辛いのかを聞いてほしかった。

 

待ち受けたのは「お母さんもそう思ったことがある」だった。

母は続けて、電車や車に轢かれるのも考えたが迷惑になるから止めたと言った。

 

ああ、本当に手段を考えないとこんなことを簡単に言ってはいけないのだと絶望した。

結局私が聞いてほしかったことは話せず、母の話で終わったはずだ。

 

その日から、私は相談できなくなった。

本当に助けが必要な時じゃないと、ギリギリにならないと言えなくなった。

 

でも母は言う。

「どうしてもっと早く言わんかったん」

言わなくさせたのはあなただろう。

 

そんなこと、今更言ったってどうにもならない。

 

 

それなら父親に話せばいいじゃないか。

言えるはずがない。

 

なぜなら父には聞く耳を持っていない。

主観で動くタイプで、自分が正しいと思っている。

だから言うだけこちらの体力がすり減るだけだから言ったってしょうがない。

 

 

私が死を意識してから10年以上経つが、父や母は私が首を絞めたことを知らないだろう。

1回目は小学生か中学生のとき。

誰もいない家で一人首を絞めた。

けれど、苦しくて、さいごまでできなかった。

 

2回目は大学生のとき。

ベルトに手を伸ばしたい衝動に駆られた自分が怖かった。

怖かったけれど、それを首に巻くことは止められなかった。

でも、1回目と同じように、苦しくて途中でやめた。

 

それも、知らない。

 

本当は両親の子どもではないのではと疑ったことがある。

それも2人は知らない。

 

 

反抗期は反抗させてほしい。

話は聞いてほしい。

両親の感情に揺られて、顔をうかがいながら過ごしたくない。

 

私はそんな親になりたくないし、私が知っている人にそんな親になってほしくない。

 

容姿をいじるのも何も面白くない。

自分たちの不仲を子どもに仲裁させるな。

 

好きなところもあるけれど、それ以上に嫌いなところがたくさんある。

簡単に切れたら楽なのにそれができないから苦しい。

 

家族はただの血のつながりで、それ以外はなんの役にも立たない。

赤の他人の方がよっぽど私のことを分かってくれている。

 

自分の支配下に置きたいがために、離れないようにするな。

子どもは力がないから、嫌でも従うしかない。

 

 

私が縁切り神社に行きたいのは、おそらく、家族との縁を切りたいからなのだろう。

 

でも、多くの人は私の気持ちなんてわからないだろう。

 

同世代の人が家族で仲良さそうにしているのを見ると虫唾が走る。

 

 

家族という面白くも何もないものから離れられるなら別に消えてもいいと思う。

 

そろそろ自由に生きさせてほしい。

もう、私のことは放っておいてくれ。

 

帰っておいでというのなら、帰ってきたくなるようにしてくれ。

 

もしも私が消えようとしたなら、どのようになるのだろう。

何かが変わるのか?

きっと一時的に変わるだけ、一時的に。

 

私に少しの勇気があれば、変わったかもしれない。