ハイデガーの『存在と時間』1冊目ですがこちらは読み終える事が出来ました。

難解である事には変わりがありませんし、全てを理解しているわけではありません。でも、基本私にとって読書は勉強ではないので、気になる言葉や考えが見つかればそれで充分なのです。

 

とにかくカッコいいのです。意味が良く判らない本って読む気になれないと思うのですが、それでも読みたいと思うと言う気持ちに初めてなりました。暫く勉強の本を読まなければならないし、息子の所にも行ってくるので当分読む事が出来ませんが続きを読んで、そして最後まで頑張りたい(?)と思います。

 

この本はあくまでも「存在」と言う概念に拘っています。どうしてそこまで拘るのかと言う気もしますが、こんな考え方もあるのだと思う箇所はあります。不思議な本です。興味深かった箇所を少し紹介したいと思います。

 

すべての存在論は、たとえどれほど豊かで強固なカテゴリーの体系を装備していたとしても、それに先立って、存在の意味をしっかりと釈明しておかないかぎり、そしてこの釈明そのものを基礎的な課題として設定しておかないかぎり、根本的に暗がりの中にあるままであり、その本来の意図を点灯させているものでありつづける。

030 存在論の課題より

 

伝統は現存在の歴史性を根こそぎにしてしまう。そのため現存在はきわめて遠く、無縁な文化圏の哲学的な思想にとって可能なさまざまな類型、方向性、観点などの多様性だけに関心をもって、そうしたものを探るようになってしまう。こうした関心のためにみずからの土台が失われていることも、現存在は覆い隠そうとしてしまうのである。

063 伝統のもたらす源泉の忘却

 

そういえば以前ニーチェの本の抜粋版みたいなのを読んだ時に『善悪の彼岸』も読んでみたいと思った事がありました。

すっかり忘れていましたが、ハイデガーを読み終えたらそちらにもちょっと目を通してみようと思います。

 

『存在と時間 1』、ハイデガー著

中山元訳、光文社、2015年