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愚かな少年

この物語はある一人の少年がやらかしてしまったバカ話です

愚かな

<第8章> 置き去りのプライド

   1、

 少年時代のぼくのヒーローと言えば、仮面ライダー(正確に言えばスカイライダー)でした。
 ぼくが小学校に入学する少し前の三月の春。
 お父さんに仮面ライダーの自転車を小学校のお祝いにもらいました。
 少し話がそれますが、小学校の3年生になると、みんな、5段式のギアがついたカッコイイ自転車か、「BMW」と言ったと記憶していますがモトクロスの自転車に乗っていました。
 それが80年代の小学生男子のステータスでした。
 しかしぼくは「お父さんが買ってくれた」仮面ライダーの自転車の方がうれしかったし、カッコイイと思っていたので、三年生、四年生、と学年が上がると、みんな大人が乗るような自転車に乗り換えていきましたがそれでも、ぼくは仮面ライダーの自転車を愛用していました。
 そして夕方、家に帰ると、毎日のように自転車のホイールをみがいたり、チェーンに油をさしたり、とにかくぼくの一番の宝物でした。

 そして、もう一つ話さなければならないのは
 『男のプライド』の話です。

 サッカー元日本代表の中田英寿さんも、2006年ドイツ大会を最後に「プロサッカーの世界」から引退を表明した際、自身のホームページで、守らなければならないものは、唯一

 『誇り』
 
と言う言葉を使いになられまた。すなわち、

『プライド』

です。

   2、

 すみません、ぼくはサッカーが好きなので、中田英寿さんの「あの」涙を思い出して泣きそうになりました。
 
 では、ここからが本題です。

 小学生のとある放課後です。
 お話ししたばかりですが、男にはプライドがあります。これは女子には絶対理解できません。そのプライドを守らなければなりません。
 ぼくの通っていた小学校では、たぶんこれ「度胸試し」と言うものでしょう。
 ま、バンジージャンプみたいなものです。
「それができない奴は男じゃねぇ」
とバカにされ侮辱される、儀式、みたいなものが、あったのです。
 ある何気ない一日が始まりました。
 何かが起こる朝というのは特別な日は特別な日ではなくありふれた日常にやってくるのです。
 その日も何気ない普通の一日でした。
 その日の放課後、ぼくは、何もしていないのに不良グループに呼び出されました。
 そこは、ぼくらが度胸試しにしていた、ものすごく急な坂を、その道は住宅街の入り組んだ所になるのですが、その急な坂をトップスピードで降り、ブレーキを握らず,そのまま街道を突き抜け、その先の空き地まで走り切らなきゃならない、というものでした。
 坂の下には不良グループの下っ端が見張っています。
坂の下から不良グループのサインが送られてきました。
 ぼくは臆病なので、手も足も震えていました。
「ヨシッ! おめーだ、いけ!」
 やるしかない。できなきゃできないでぼこぼこされるんだから。
 ぼくは恐怖を精神力で跳ね返し、ブレーキをまったくかけずに坂を下り始めました。徐々に徐々にスピードは加速していきます。そして、道路に出た瞬間、ぼくの全身を冷たい何かが、一筋、流れました。
 予感的中。
 ぼくは白い大きな車にはねられ、自転車とともに吹っ飛ばされました。車の中から40代くらいのおじさんがでてきました。
「大丈夫?」
 ぼくは、
「はい」
 とだけ答えて自転車に乗って家に向かいました。
 不良グループの連中や、たぶんぼくの交通事故の大きな音を聞いてそれぞれの家から出てきたヤジウマがぼくの方を見続けていました。
 ぼくのお母さんは、専業主婦だったので、家にいました。
 ぼくは何があったのかを説明しました。ぼくの目から涙が出てきました。
 ぼくのけがは左指と中指の間がちょっと切れただけでしたが、これはまさに、奇跡、でしょう。ぼくの仮面ライダーの自転車はまったくの無傷でした。
「まーちゃん、痛い?」
 お母さんにそう聞かれ、ぼくは急に感情がたかぶってきて、大泣きしました。
「まーちゃん、こういう時はお医者さんに診てもらわなくちゃならないの、だから病院行こう」と言って抱きしめてくれました。
 タクシーで診療所に行き、30分も待たされないうちに、診察室から看護師さんが出てきて、数人の名前を呼んで、
「中へどうぞ」
数人の患者の中で、ぼくは、一番最初に呼ばれました。
 中へ入ってぼくはびっくりしました。
 お医者さんといのはふつう男だ、と決めつけていたぼくは驚いてしまいました。
「えーと、ながしままさるくんね、じゃあ一応レントゲンをとってみましょうか」
「こちらにどうぞ」その言葉から2,3秒でレントゲンは取り終えられました。
「ああ、ぜんぜん大丈夫だ、塗り薬を2,3日ぬればすればすぐよくなりますよ」
ぼくの声に元気はありましたでした。

 その日から一週間、ぼくは同じ夢を毎日見ました。悪夢です。
 ぼくの家はちょっと変わったいて、母屋と洗濯場が長い家のようになっていてそこを通って、お母さんは、洗濯をしていました。
 その夢の中でぼくが、洗濯場に入ると、次の瞬間、ドーン!と大きな音とともに入口がふさがれるのです。
 そして、反対側から大きな影がどんどん大きくなってきて、そして、こつ、こつ、こつ、こつ、と言う足音が近づいてくるのです。
 ぼくは毎日、恐怖にさいなまれました。
 その悪夢は、幼稚園の時にもよく見た夢でした。

 いまでもその夢のことを思い出すと体中が氷るように冷たくなります。
 本当なら小学2,3年生くらいになると、車にはねられたら大泣きするものです。が、ぼくは泣きませんでした。自分のキズよりも、お父さんが買ってくれた仮面ライダーの自転車が無事だったからです。

   3、

 話が少しはずれますが、どうか読んでください。
 ぼくの通っていた小学校に、デブで、ハゲで、チビ教師がいました。
 ぼく達が、放課後、校庭で、野球やサッカーや、とにかく遊んでいると、そのデブでハゲでチビが(ここでは、デハチとよびましょう)職員室から出てきて、体の小さい少年を威圧して
「帰れ」
と、ひとこと言って、ぼくらを学校から追い出すのでした。
 小学生に人権はないのでしょうか?

 そんなある日のことです。
 ぼくたちが放課後、一度家に帰ってから、自転車でもどってきて野球をしていると、例によってデハチが職員室から出てきて、
「オイッ!、自転車で学校にくるなっていったろ! 自転車で来たやつ、自転車で来たやつ、ここに自転車ならべろ、ここにはこべ!歩いて来たやつはこっちに並べろ!」
 そう怒鳴られて、ぼく達は自分の自転車を取りに行きました。しかしぼくの自転車は誰かが運んでくれたのでしょう、ありませんでした。ぼく達は自転車をならべました。
 そのあと、叱られ命令をきくしかありませんんでした……もう学校に自転車でくるんじゃねぇぞ!
 デハチが怖くてみんな逃げるように自転車に乗って家に帰りました。
 

 デハチはまだ大人に逆らえない少年たちに罵声をあびせ恐怖を植え付けるのでした。
 デハチの怒号と悪声でぼくたちはいつも敗北を喫するのでした。
事件が起こりました。
ぼくの自転車がありません。
ぼくは、体育倉庫の周り、屋外トイレのとなり、どこを探してもぼくの自転車がありません。
 あたりはもう真っ暗です。子どもたちが家に帰ってこないと親が心配する時間です。
「誰か運んでくれたのかなー」
と、一人呟きました。
 どこを探してもぼくの自転車はありません。
 ぼくは、あきらめて、お父さんに怒られよう、と思いました。
 しかしぼくはヒラメキました。もしかして元の場所にあるのではないか!
 来た時と同じ場所にぼくの自転車は置いてありました。
「神様、あなたはいったい何をしようとしたのですか?
 ぼくの自転車がありました。
 ぼくの中のプライドが音を立てて崩れていきました。
 ようするに、ぼくの自慢の自転車は置き去りにされたのです。
 ぼくが乗っているような自転車は「ガキ」が乗るようなもので、小学生の中学年の少年は、
「こんなダッセー自転車乗ってるヤツいねえよな」
ということです。

ぼくはこれまでの人生で4台の自転車に乗りました。そのなかでも、やっぱり、お父さんが買ってくれた仮面ライダーの自転車に一番思い出と愛着があります。
直接言うのは恥ずかしいから無理だからこの場をかりて

『おとうさんありがとう』


                          <つづく>