愚かな少年 | 愚かな少年

愚かな少年

この物語はある一人の少年がやらかしてしまったバカ話です

愚かな年   

   第5章 イジワルな神様

   1、

 彼がバカなのではありません。
 ぼくがバカなのです。
 ぼくは自分のことを、フツウの人間、あるいは、凡人だと確信しております。
 唯一の長所といえば「素直」だということくらいです。
 しかも小学二年生の時です。
 高校生の白のハイソックスとローファーに憧れていたころのことです。
 みなさんも、もうおわかりかと思います。ぼくは文科系の人間です。もっと素直(ほらほら出た出た「すなお」)申し上げれば、文科系の脳みそも理科系の脳みそもない、頭の中がスッカラカンの人間なのです。
 お父さんとお母さんには申し上げありませんが、仕方がありません。
 ですから、ムリなものはムリなのです。付け加えて言えば、やってはいけないものはできないのです。
 イラク戦争の際の国会で、あの、小泉純一郎元総理だって、野党側の自衛隊を派遣する地域が危険であっては人命に関わり問題がある、という質問に、総理は、
「どこが戦闘地域で、どこが非戦闘地域なんて、今、私に聞かれたって、そんなことわかるわけないじゃないですか。私は率直に申し上げてるだけです。知らないものは知らない」
 そう答弁されていたことを、ぼくは明確にそして鮮明に憶えています。
 それとまったく同じです、
「ムリなものはムリ」なのです。

 小学生のときの理科のとある実験でのことです。
 よくおぼえているのは、窓外の空に雲ひとつなかった快晴の日だったことです。
 理科の実験でのことですが理科室ではなく教室を使いました。
 教室の半分に全員の机と椅子を移動して、ある実験をすることになりました。
 四十五人の生徒は五人ずつ九つのグループに分けられました。
 ぼくの入ったグループは、男子がぼくともう一人、そして女子三人のグループでした。
 実験は大きなタライの八分目ぐらいに水を張り、そしてお茶などの缶のフタのような容器に、I 字型の磁石を入れ、先に用意しておいたタライの中にその、I 字型の磁石の入った容器を浮かべ、その容器がどんな反応をするのか? それを観察して結果を見るのが、趣旨でした。しかし、ぼくと同じグループのもう一人の男子(彼は、マナブという名前だったのでみんなからは、マブ、と呼ばれていました)が、タライの水の上で何が起こっているかを超人的な観察力で見続けていました。
 そして、その実験終了後、タライの水を水道に捨てに行ったり、机と椅子をもとの位置に戻し、各自、自分の席につきました。そして、実験の結果を発表する時、
 『正解はS極は南を向きN極は北を向く』
 だったのですが、実験中ずっと磁石の入った容器がタライの〈ヘリ〉の方へ〈ヘリ〉方へと漂っていったのを、マブはしっかりと観察していたので、実験の結果をノートの三行を使って、自信満々の文字で

『はじっこによる』

 と書いていました。

 この章のはじめに

「ぼくはバカです」

 と言いましたが、この実験の時もとんでもないバカさ加減に拍車をかけ、この実験は、この質問は何だったのか? 何を観察しなければならなかったのか? まったくわかっておらずマブのノートをカンニングして、自分のノートにも、

『はじっこによる』

 と書きました。

 神様はイジワルだ、とぼくはその時はじめて知ったような気がします。
 なぜか?
 それは、実験の結果がどうだったか答えるよう、先生に指名されたのがマブだったからです。
 マブは、

『はじっこによる』

と自信満々に答えました。次の瞬間……、教室中に大爆笑の渦がわき起こりました。
 しかし、何度も申し上げますが、本当のバカはぼくなのです。
 ぼくはマブのノートをカンニングしたにもかかわらず、自分のノートに書いた、

『はじっこによる』

という文字を、マブのことを笑いながら、消しゴムで消しました。
 もはや「最低の人間」ですよね。
 マブ、笑ったりして本当にごめんなさい。
 ぼくたちは「素直」で「純粋」だっただけですよ。
 いつか、同窓会とかで再会する機会があったら、一緒にビールでも飲みながら、このバカ話をして大笑いしましょう。

 それでは、もう一つ、理科の実験にまつわるバカ話をお話ししましょう。
 それは、ぼくがもう少し成長した小学五年生の時です。
 日本全国の、当時の、小学校がすべて同じだったかはわかりませんが、ぼくが小学四年生から五年生に進級した時のことです。
 四年生の終了式の時です。
 その時、
「こいつが担任の教師になることだけは絶対にイヤだ」
 と思っていた〈シーフード〉というあだ名の、デブでハゲで気色悪いヤツが不幸にも、ぼくのクラスの担任になってしまったのです。新しい友達がきっと増えるに違いない、と楽しみにしていたのに、小学五、六年の二年間を、そいつと顔をあわせて、イヤな思いを毎日しまくりながら、学校生活を送らなければならなくなってしまったのです。
 何度も同じことを言いますが、神様はイジワルなお方です。

   2、
 
 五年生になってしばらくしてからのことです。いや、もう六年生になってからのことでしょうか? またしても、理科の実験、の時のことでした。
 どんな季節だったかなんてどうでもいいことです。
 ぼくがどんな服を着ていて、どんな気分だったか? そんなこともどうでもいいことです。
 またしても、たかが、理科の実験でのことですよ。
 ぼくがこんなことを話をしているのは、その、シーフードと呼ばれていた教師が嫌いだったからです。
 みなさんにも、そう言う「教師」、いましたよね。
 まずシーフードは、
「服装の乱れは心の乱れ」
と言うルールを、学級会で話し合ったのではなくて、独断で決めつけたのです。
 ぼくが鮮明に覚えているのは
――ジーパンをはいてはならない。というものでした
 二十年以上も前のことですが、なぜ、ジーパンをはいてはいけなかったのか? 
 それは、シーフードが豚のように太っていた(いて)その「ブタセンコー」がはけないから、と言う理由からでした。
 つまり、自分がやりたくてもできないことを、生徒たちがすることは、気に喰わない、ということでした。
 そしてまた別の日の、理科の実験、でのことです。
 運が「よかった」のか「わるかった」のか、それはわかりませんが、ぼくはその理科の実験の授業を病気で欠席してしまいました。
「えーと、この前の実験の……」
 シーフードの粘りつくような声、今、思い出すだけでも吐き気がします。
 その実験の授業を欠席したぼくに、実験の結果、なんてわかるはずないに決まってるじゃないですか。
 シーフードは
「答えがわからなければ手をあげなくてもいい」
と言ったので、ぼくは、何問も何問もずっと手をあげずにいました。
 そして最後の質問の時です。
 当然、ぼくに答えがわかるわけがありません。
 しかしその時、ぼく(教卓のななめ前の二番目がぼくの席でした)が一問も答えられないことは、エゴイスト、のシーフードには納得できなかったのでしょう。
 その時、ぼくの前の席のマエダ君がぼくの方をふり返り、小さくかすれた声で
「爆発する、爆発する」
と呟いたので、ぼくは、あーそうなんだ、と思って、手をあげると、シーフードはぼくを指名しました。
 やっぱり神様はイジワルです。
 ぼくは、マエダ君が教えてくれたとおりに、

「爆発する」

 と答えました。
 シーフードは
 「お前それ見たのか!?

 と大きな声でぼくをどなりつけました。
 マエダ君のうそ……。
 実験の授業を欠席したぼくを指名したシーフード……。
 そのあとのことをぼくは忘れることができません。
 覚えているのは、ぼくが人生ではじめて、

 「学校なんてイヤだ」

 という感情を抱いたことです。

 みなさんは、この時のぼくの気持ち、わかっていただけますか?


                         <つづく>