妊娠6ヶ月の頃
里帰り出産を希望していたので
埼玉で産むことを決めていました
大阪で受診していた私は
先生に里帰り出産のことを伝え
問題無かった為
旦那と親で埼玉の病院に向かいました
そして、埼玉では初めて受診をして
先生から
今まで受診した先生には言われなかった?
この子は肺がない。
ここじゃ産めない。
大学病院を紹介するね。
と言われました。
え?
パニックになり涙が止まりませんでした。
今まで問題なくお腹の中で動いてたよ
それから3日後
大学病院で見てもらい30分ぐらい
動かずにエコーでずっと見られてて、
5人ぐらい先生方がなにかしゃべってました。
ですが、私には専門用語すぎて
まったくわかりませんでした
そして、動くなと…
それだけゆわれました。
診察が終わって紙を渡され
そこには
重度横隔膜ヘルニア
どうゆう病気かの説明
生存確率14%
と、書いてありました。
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簡単な説明
横隔膜ヘルニアとゆうのは
腸と肺の間に仕切りがあるんだけど
その仕切りに穴が空いてて
腸が心臓の位置にあったり
肺が押し潰されている。
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そして、先生に
切迫早産だから
すぐに入院しなきゃいけないけど
ここの病院に部屋がもういっぱいだから
他の病院を紹介するね。
と言われました。
それから救急車で運ばれて
埼玉赤十字に行きました。
その時に名前が決まりました。
これしかないって
頭から離れませんでした
そこからまた30分ぐらいエコーしました。
かなりキツくて、ずっと吐きそうでした。
先生にまた大学病院と
同じようなことをゆっていて
すでにビビらなくなってました。
現実味がなくて…
そこから24時間体制のICUに入りました。
自分的にはもう平気でそこからは
ずっと笑顔で
看護婦さんとお喋りしていました
たぶん、自分に
セーブかけていたんだと思います。
一人になりたくなかった。
考えたくなかった。
そして
先生とお約束しました。
生産期まで産まないこと。
なるべく赤ちゃんを大きくすること。
私は
よっしゃーがんばる
動かへん
力いれへん
ここから入院生活が始まりました
24時間体制のICUに移動し
看護婦さんとずっとしゃべってました
お風呂も入れてくださり
手厚い看護してもらい
私はしんどくないんだけどなー
でも、楽チンすぎてラッキーなんて
あまーい考えでいました
この子(機械)が
赤ちゃんをまもってくれたんだなーって
今更ながらに思う
当時は蹴ったりしてごめんね
