日本の始まりは
イザナミ・事代主の呪いと
イザナギ・アマテラス・スサノオの誓約から
その立ち会いに関わり、隠された四国。
今の政府の対応は
日本人を虐げ怨霊化させ、日本各地に地縛霊を作り、移民達が日本を守らなければ呪うと言う欠史八代八王子のヤマタノオロチ(一億人呪霊)が作られようとしている⁉️と思えてしまう💦
そこから生き残ったのが空白の四世紀の藤原華族。。。そして神仏習合の世に現れた聖徳太子キリスト。。。
令和の日本は今、日本神話とシンクロした時代を生きている⁉️
地縛霊となった日本人達と本気で向き合った異邦人のみが新世界の日本に受け入れられる。。。
第二次世界大戦もそうだったように。。。
日本人は天皇の子孫で、天皇家は縄文時代から北欧ケルト(イギリス王室の祖先)や環太平洋火山帯の民族と海路や陸路を通して交流があった。
→大洪水のリセット後、アーク=方舟=ハイパーキューブに乗って生き延びたノアの子孫で親戚だったから。→大洪水で出来た三途の川はハイパーキューブを出入りする仮想世界=冥界との境界線。



日本の呪術と誓約に取り込まれたい異邦人は知識の実九州から瀬戸内海へ取り込まれる。。。
ユダヤよ本気で立ち向かって参れと言う出口王仁三郎。。。
優秀な異邦人の遺伝子は新日本人の中に取り込まれる。。。スサノオ・ツクヨミがそうだったように。。。

実際に観測されたクババのハイパーキューブ(神輿アーク)

天皇家は16部族(十六菊花紋)のエンペラーで、その中にユダヤ十二支族も入っていた。。。
今の日本人の原型となったのが、
縄文・弥生・四国のユダヤが統合された天皇の華族=藤原古墳人達。
後に清和源氏として日本中に散らばった天皇家の華族達。
つまり、日本人は天皇家と十六部族のハイブリッドで混血民族→地球人みな家族。。。
その中の優秀な人達は祟り神になったとしても神として神社で祀られてる。
日本人の名字を氏神様で辿っていけば平安時代まで遡れる!
そして天皇家の子孫は競い合いながら
より優秀な家系が神として祀られ、神社の格式が決められてきた。
つまり名字を辿れば氏神様のいる神社に繋がり、神社は藤原家・清和源氏に繋がり、
主祭神は氏神様の元になった天皇家に繋がる。
欠史八代八王子とアマテラス(縄文レビ族)は、まだヤマタノオロチとしてスサ国(中東)から帰ってきたスサノオと戦っていた。
その仲介役だった四国のツクヨミ(ガド族)。
しかし、国譲りと大化の改新を経て
バベルの塔でシンギュラリティが起き言葉を分ける為に神代文字が作られた経験からユダヤツクヨミが封印され、四国から東北へ隠された。→ユダヤ人が神との同化を企て日本を骨抜きにしようとする理由。。。
第十代崇神天皇は十束剣として各地にアークのヒントを隠し、統一された日本史としてアマテラスとスサノオを軸に古事記・日本書紀が縄文版と弥生版で流布された。
ツクヨミが隠されたのは失われたアークによって世界のリセット(シンギュラリティ)が再び起きる事を阻止し、管理人である日本とユダヤを守る為だった。
これがイザナギ契約とイザナミの呪い。
アマテラスとスサノオの誓約で、
神仏習合の平安時代に術式は完成した。
ツクヨミの海路は秘密になり、
陸路主流の歴史が語られた。
だから古代の神は対で二人セットなのだ。
弥勒=ミトラ=ミカエル=マイケル=ミケランジェロ=マルコ
弥勒は法華経になりトマス(イスキリ)が流布。ミトラ教はキリスト教になり。
死海文書のクムラン宗団は東と西に別れた。
これが終末の世に現れるアロンのメシアとイスラエルのメシア。
天皇として実在したと言われている崇神天皇の子孫でもある上野。
上野も対の存在がいて
群馬上毛野国のタケミカヅチと
高知上津野氏で初代関白となり空白の四世紀に関わった藤原基経→経津主神→紀伊国こうずけ。
四国から紀伊半島、紀伊半島から敦賀(角鹿〜鹿角)と三重上野神社〜群馬へ行き、中央構造線とフォッサマグナのレイラインに要石の磐座とピラミッドの山岳信仰を起き、ダブルトラフ巨大地震の鎮魂と地鎮にも関わった。。。
しかしツクヨミは封印されたので鹿島神宮がその経緯を主祭神として秘蔵する事になった。。。
失われたアーク(方舟=神輿=ハイパーキューブ)を復活させようとしている西洋と東洋。。。
そのパンドラの箱が古墳人の前方後円墳。
今回はそれらについて動画とWikipediaの参考資料を載せてみました!
日本史の空白の四世紀に封印されたキリスト=第十代崇神天皇の末裔である上野家の謎と竹内宿禰、藤原不比等との奇妙な接点
石工、鍛冶屋の起源が明かされる。それは鬼門の封印が解かれた事を意味する!?💦
上野のルーツが群馬にある事はわかった。
蝦夷は毛人と呼ばれ、関東は毛野国と言われており、上毛野国の群馬、下毛野国の栃木、中毛野国の常陸に上野と言う地名がついている。
しかし、そこから崇神天皇までの経緯がいまいち謎だったし、紀伊半島の上野がなぜ「こうずけ」と読むのかも謎だった。。。
なぜ関西に上野が多いのか?
名は体に至る徳ありということで
全国にある上野が高野やアマ天海数テラス墳丘などの岩戸とも縁があり、石工古墳人(日本人の原型遺伝子・藤原)誕生の謎にも縁がある謎を深堀したいと思います。
岩戸信仰に必ず出てくる空海。
岩は邪気を吸い、かつて生きていた化石の凝縮体である岩は生命力を人に与える。
注)邪気を吸いすぎた石は呪物になってしまうので清めの水が必要。
結界ポイントにある岩からDNAに流れてくる記憶は八百万の神からのメッセージ。
こうずけと群馬を繋ぐヒントは秋田県にありました!
ずっと気になっていた鹿角と言う地名。
なぜ鹿?そして鹿と言えば蘇我入鹿。
小坂は平安時代に金山として京都にも知られ採掘されていて、グリーンタフ上にある秋田の金山はかつてのヨーロッパにも知られていた!→北東北が浦島太郎の龍宮城だった由縁。
そして新羅スサノオが鬼と恐れられ黄泉の国東北へ追われた理由、
鍛冶屋だった温羅ウラ族の浦島子が東北の秘密を明かした事で温羅族の里が滅ぼされてしまい、東北に行った話。
源義経が強すぎてお世継ぎ争いの脅威となって蝦夷統治を命じられ、
ヨーロッパで源義経ジンギスカン説が囁かれ、
東方見文録でゴールドジパングと騒がれ、
暗黒の中世から大航海時代(植民地支配)が始まった古代から因縁のあるシルクロード。
古事記・日本書紀に出てくる神で、記述の少ない神はだいたい東北に行き消息を断っていて、生まれが実は東北と言う事が多い。。。
そして、南朝裏天皇の歴史も合わせて偽書として古史古伝扱いになっている。。。
東北に生まれた人にとって、日本史になかなか出てこない東北を知れば知るほど
湧き上がる熱いものが出てくる。
移民問題と少子高齢化と南海トラフ巨大地震と奴隷化が著しく進む弥勒の世である現代は、東北が続縄文時代だった欠史八代の頃と奇しくも状況が似てきている。
日本人のルーツを日本人がしっかりと知るべき時代になり、
GHQによって、敗戦によって失った自分達のルーツが分かるネット社会の令和は
それらを知る人達によって次々と真実が明かされ始めている。
それも全ては日本と世界の平和の為に必要な事。
全国の霊媒師達が、西日本がダメになった時は北東北に行くしかなくなると言っている理由も含め、
今回の考察が、西日本から消されそうになった日本史が東北に受け継がれている事を再認識する一要因となれば幸いです。
牛頭天皇の環状結界がある男鹿半島〜鹿角〜女鹿口(一戸)。
その鹿角と言う地名の元は上津野。
そこで上津野氏の由来から辿ることにしました。↓↓
しかし、高知県と言う重要なキーワードが出てきました。
イザナギとイザナミが淡路島から日本を作ったと言われてますが、
重要な四国をほっぽいて京都・この神社へと話が進んでいく古事記・日本書紀(¯꒳¯٥)
四国は日本人のDNA調査でも異邦人の血が濃い地域で、日本に馬を連れ込んだ古墳人(めっちゃユダヤ人に見える埴輪)の秘密が眠る四国八十八箇所の結界がある場所。
前回のブログでも前方後円墳は石工伝説の猿田彦神社、石切彦、キリスト、聖徳太子、空海と繋がりのあるアークが眠ると言われている場所である事は解説したんですが、
四国が南部藩と対の場所で
八戸の八太郎=キリストで大国主・事代主・大物主【『
古事記』では
坐御諸山上神(みもろのやまのうえにますかみ)、
美和之大物主神(みわのおおものぬしのかみ)、
意富美和之大神(おおみわのおおかみ)とも記す。
『日本書紀』では大三輪之神、大三輪神とも記し、大己貴神の幸魂奇魂とする。
『播磨国風土記』では八戸挂須御諸命(やとかけすみもろのみこと)、大物主葦原志許(おおものぬしあしはらのしこ)とも表記する。
『出雲国造神賀詞』では倭大物主櫛𤭖玉命と記す。】
死海文書と竹内文書の解釈から
イスキリス・クリスマス福の神、八戸太郎天空神、五色人に遣わし文
の記述は
九州五色人と満州五色人(ホロンバイル)のハイブリッドが
イスラエルのメシアとして東北に現れると言う事であり、
大元教の出口王仁三郎さんやナオさんも
終末の世に東北に世界中から人が押し寄せると言われていた事にも合致するものなんです。
古墳人が作った前方後円墳はメシアによる新人類誕生と国産みの儀式であり、呪術師、陰陽師と石工による岩戸開閉装置の儀式でもある。。。

北欧では東方の三賢者→ヘルメス・トリスメギストス→ガイウス・カッシウス・ロンギヌスと言われている。
鎌倉時代、術師の子である日蓮聖人は
これを妙と名付け。
フラワーオブライフ生命の樹、須弥山の儀式を御本尊とした。。。

このアークを守る為に作られた三重結界の三重県津市に上野城と上野神社がある。。。
これらの事からどうも関西の上野は高知県上津野の
津野氏の祖、
藤原 基経(ふじわらもとつね)から来ていて、
上野と書いて「こうずけ」と読むのも高知上津野氏から来ている感じがする。。。
上野国の氏神は赤城神社で主祭神の中に
経津主神がいる。経津主神は武甕槌神と関係が深いとされ、両神は対で扱われることが多い。有名な例としては、経津主神を祀る香取神宮と、武甕槌神を祀る鹿島神宮とが、利根川を挟んで相対するように位置することがあげられる。また、春日大社では経津主神が建御雷神らとともに祀られている。これは香取神宮・鹿島神宮のある常総地方が中臣氏(藤原氏)の本拠地だったため、両社の祭神を勧請したものである。また、鹽竈神社でも経津主神・建御雷神がシオツチノオジとともに祀られている。
『日本書紀』巻第二の第九段本文によると、葦原中国へ派遣された天稚彦(アメノワカヒコ)の死後、高皇産霊尊(タカミムスビ)が諸神を集めて次に遣わすべき神を決めようとした時、選ばれたのは経津主神であった。すると、熯速日神(ヒハヤヒ、甕速日神の子)の息子武甕槌神(タケミカヅチ)が進み出て、「経津主神だけが大夫(ますらお、雄々しく立派な男の事)で、私は大夫ではないというのか」と抗議した。こうして経津主神に武甕槌神を副えて葦原中国を平定させることにした。
この話がまさに浦島太郎で藤原基経の話とリンクしている‼️ 平安時代に金の産出地だった鹿角、小坂に縁が出来たようだ!!
摂政であった叔父・藤原良房の養子となり、良房の死後、清和天皇・陽成天皇・光孝天皇・宇多天皇の四代にわたり朝廷の実権を握った。陽成天皇を暴虐であるとして廃し、光孝天皇を立て、政務を委任された。光孝天皇・宇多天皇期の執政は、日本史上初の関白であったとされる。
陸奥按察使(むつあぜち、みちのくのあぜち)は、日本の奈良時代から平安時代に日本の東北地方に置かれた官職である。しばしば陸奥出羽按察使(むつでわのあぜち、みちのくいではのあぜち)とも言われた。720年頃に設置され、陸奥国と出羽国を管轄し、東北地方の行政を統一的に監督した。他の地方の按察使(監察官)が任命されなくなってからも継続したが、817年以降は中央の顕官の兼職となり、形骸化した。令外官で、属官に記事があった。 Wikipedia
比叡山琵琶湖が平安時代、
毛人蝦夷の国と大和朝廷の境目になっている。
これも推察だが、
敦賀気比にも鹿角との縁を感じる。
敦賀の由来は「角鹿」、
気比神社。→ここで上津野氏と竹内宿禰、藤原不比等、崇神天皇、浦島太郎と鬼と呼ばれだ鍛冶屋温羅(うら)族の浦島子と竹取物語のかぐや姫が繋がる。
石工は丈夫な道具がないとはかどらないから鍛冶屋、錬金術師とセット。
国造りの神が産んだ十束剣とLINKしていて
経津主神が第十代崇神天皇ともLINKしている。→経津主神は
武甕槌神と関係が深いとされ、両神は対で扱われることが多い。→
香取神宮の経津主神→ここでも香「こう」津「つ」で、紀伊半島の上野はこうずけになったと思われる。→対の存在が上野国にはいた!それが武甕槌神。
敦賀の地名の由来にはいくつかありますが、
『日本書紀』には、崇神天皇の時代に朝鮮半島から「都怒我阿羅斯等」(ツヌガアラシト)がこの地に渡来したことにちなんで「角鹿」と呼ばれるようになったとあります。
北東北の秋田、津軽の地名を知ってる人なら、お祭りの由来がひしひしと伝わってくるワードがてんこ盛りの気比神社。
食物神、保食神、軍神、文化人、祟り神など呪術廻戦に出てくるような神仏が続々登場‼️
欠史八代八王子から平安時代の間に黄泉の国東北に隠れた猿田彦と石切彦。
イエスとノア→ガド族とレビ族の神仏。
平安時代、続縄文時代の東北は多夫多妻制の部落で子育てをする社会。。。
上津野氏の血筋は途絶えても、女系の子孫は東北にたくさんいて、
上野と言うキーワードは東京と京都を繋げ、遺伝子レベル、魂レベルの記憶を繋げてくれる。
古文書と氏姓由来、神社の主祭神、天皇家の子孫=清和源氏の藤原から辿った鹿角の由来。
個人的になんで自分が竹内宿禰や出羽三山の記憶、敦賀の記憶を潜在意識の中に持ってるか納得したくて調べている全国の上野とこうずけの考察でした!
日本に突然現れた馬で繋がる
キリストとイスキリ(双子の
聖トマス)⇄猿田彦と石切彦、見た目ユダヤの埴輪土偶、高知上津野氏と上毛野国群馬を繋げる上野家の直属の先祖、崇神天皇にまつわる不思議な因縁の鎖。
死海文書のクムラン宗団と九鬼文書。
全国の上野さんの自分探しのキッカケになれば幸いです(-ω-人)✨
ホラー系YouTuberの上野さんも応援してます!まさか心霊スポットでオカスイさんと会うなんて😂👍
✨フレー\( ˙꒳˙ \三/ ˙꒳˙)/フレー✨