いじめで殺されてしまった川崎の上村君。
イスラム国に人質にされ、殺害された後藤さん。
一方的に奪われてしまった尊い命。
どんなに痛かっただろう。
どんなに苦しかっただろう。
どんなに悶え、喘いだだろう。
殺さないで、と懇願しただろうか。
世の中の人々は、彼らの死に心を痛めているだろう。
その酷さに納得出来ない人もいるだろう。
私にとってはそれと同じこと。
肉を食え、なぜ食わないんだと怒られても、
殺される事を悟ってジタバタする牛の恐怖。
涙目で命乞いする豚。
逃げ惑う鶏の大群。
一方的に、人々の都合で尊い命が殺害される。
そんな情景が頭に浮かぶのです。
言葉は通じなくても、
家畜は死にたくない、嫌だ、痛い!と
必死にアピールしています。
殺される家畜たちが、夢にまで出てきて
頭から離れません。
人間と家畜は違うと言われても、
私にとっては違うと思えないだけなのです。
それがそんなにいけないことですか。
肉を食わないと健康を害するとか
早く死ぬとか、いろいろ脅されても、
殺人を犯してまで自分が生き延びたいと
思いますか。
菜食のせいでタンパク質が足りなくて、
もしかしたら私は早死にするかも知れません。
でも、私は自分の健康のためにやっているの
ではありません。
人を殺してまで長生きしたところで、
私の命ってそんなに価値がありますか。
それは、家畜に対しても同様と思うだけなのです。
今はまだ、自分が健康だからそんな事が
言えるのかも知れません。
でも、もし不健康になったとしても、
そう思い続けられる自分でありたいです。
私は多数派の肉を食べる人たちに、
小言を言ったり説得したりしていません。
それと同じように、私の菜食の事も
そうゆう考えなのだと
そっと見守っておいてほしいのです。
あなたのことを、家畜のことを祈っています。