風太朗日記 -8ページ目

風太朗日記

小雨の平城京を撮影。たまたま、撮った写真を帰宅して見れば、傘を持った女性らしき姿がありました(◎-◎;)!!

 

民家の棟が直線で結ばれ、ここには景観を遮る建物も無く、新緑を遮る派手な色使いもありません。

耳成山が楽しめる、この佇まいの歴史は、家族の歴史と共に永遠に引き継がれることと存じます。

 

何一つ親孝行もできず、苦労を重ねた母は早くに亡くなりました。

今は、朝にお仏壇にお線香をお供えし、母が天国で幸せに暮らせる感謝と、

私及び家族の今日一日の無事をお礼・お祈りを申し上げます。

 

父がアルコール中毒になる少し前、

想像もしなかった母の悩み、気丈な母の叫びを初めて聞きました。

 

入退院も繰り返し、いろんなエピソードもありました。

当時、母に離婚の気持ちがあったのか、今となっては知る由もありません。

私と弟には、もちろん父を見放す気持などありません。

 

一番の出来事は、最初の入院を決めるきっかけになりました。

電車でですが、突然、酩酊状態で新潟の親戚に逃避行しました。

弟と私は、父の車で、当時はナビもありませんし、高速道路が通じていたのも知りません。

冬に雪山を、確か京都の入口のカーショップでタイヤチェーンを購入しました。

そして、雪山を上る際、チェーンを装着しましたが、初めての経験ですし、

途中で外れて無くなる、道に迷いまくる、スリップしまくりとても危険で怖い思いをしました。

そしてどうにか連れて帰り、それも嫌がる父を強引に入院させた状況でした。

 

退院しますと本人と家族は、断酒会という会に入会し、再度飲酒しないための勉強をします。

会長か副会長さんだったと思います。元スーパーゼネコンの所長さんで、

ダムの工事を担当しておられたらしく、飯場といいますが宿舎で暮らしておられ、

セメントや鉄筋等を売ったお金でお酒を買い、毎日ほぼ一日飲んでいたという、

豪快な話もお聞きしたり、

最初に教えられた中に、アルコール中毒は本人だけでなく、家族の病気です。

しばらく疑問でしたが、会への参加を繰り返すにつれ、

ある家族さんは、飲酒をすると詰問したり、仕事の苦労や寂しさも打ち明けられない等、

つい、お酒に逃げてしまうそうで、なるほどと納得した次第です。

 

これは、浮気癖や博打癖がある人にも通じるかも知れませんよね。

 

このような状況もあり、母の苦労や話ができる余裕は、悲しいかな私にはありませんでした。

余命直前に自宅に帰った母を家族全員で迎えました。

「皆が来てくれて嬉しい」という母の言葉は忘れられません。