だいぶお休みしました![]()
のあは、変わらず元気にしてます。
毎日暑くて、だら~んとしながら
やり過ごしてます。
ようやく、色んな事がひと段落できたので
ボチボチ再開しようかと。
そもそも、のあブログなので
私的な事は、ほとんど書いていませんでしたが
今回は、私情なことを記録として残します。
(文字多めでなのでスルーしてくれて構いません)
昨年から父の病状が少しずつ悪くなり、
毎週数回の実家通いが始まりました。
と言っても、大半を母がこなしていたので
私が係っていたのは一部にすぎません。
介護って100人いれば100通りで介護資格をもっていたにも関わらず頭で理解していた以上に現実は心身共にバランスを両立することがどれだけ大変で厳しい事かを実感しました。
ましてや家族ともなれば金銭的にも肉体的にも過酷で
いわゆる老々介護を余儀なくされました。
施設に入りたくないと言った父でしたが
母の心労が気がかりで、特養への申請も相談しましたが
そのハードルは高く入所できるのは運良ければ半年後・・。
そして、その金額たるや![]()
ピンキリとはいえ年金暮らしの両親には
簡単に払える額ではなくそこでも辛い現実を痛感しました。
足りない分は、我が家で補うと言っても
母は、娘家族に迷惑をかけられないと頑なに断られ
結局、諦めるしかない。
娘としては迷惑だと思われること自体
母が一人で抱え込んでいる証拠でもあり
頑張ろうとする母に時に苛立ちを覚えたこともありました。
今年に入ってからは完全寝たきりとなり
口からの食事は一切取れなくなりました。
元々栄養点滴を24時間していましたが
食べる事が大好きだった父から、唯一の食も奪うなんて
心底病気を恨みました。
それでも家族みんなで父が生きる気力を失わないように努めてきたつもりですが、結局病気が良くなるわけでもなく
何も出来ない無力な自分達に呆然とする日々でした。
そんな日々でも救われたのは毎日来ていた訪問看護師さん。
多い時で週1回は、医師も来てくれたので医療への不安はそこで解消されていたのかもしれません。
(医療費もそれなりでしたが)
患者だけでなく、家族にも心から寄り添ってくれたことに
感謝するとともに、つくづく尊いお仕事だと思いました。
最後のその時まで、父に母に寄り添い
命と向き合ってくれた医師や看護師の姿は忘れません。
闘病から3年の月日がたち、桜の開花🌸とともに父は霊山へと旅立ち🌈ました。
もっともっと生きてて欲しいと思う一方で
もう頑張らなくて良いよって思う自分もいたりですが
母はそれ以上に多くの思いを抱えて見送ったんだろうなぁ~![]()
介護で一番感じたのは、一人ボッチにならない、させてはいけないという事でした。
なので、母とは常に色んな話をしました。
外出できるのは1時間程度でしたが
車を出して少し遠くのお店に買い物に出たり
日常生活でリフレッシュできるように努めていました。
娘ながらに献身的に介護をする母の姿は立派でした。
亡くなる3日前、父は久しぶりに体を起こし
母と二人きりで、楽しかった旅行の思い出話をした後
父が「そろそろかな・・」って、つぶやいたそうです。
父は最後の願いをかなえるかのように
自宅で、たわいもない娘と母の会話を聞きながら
眠るように息を引き取りました。
お別れの時はたくさんの方が自宅に葬儀にと弔問に訪れてくれ
みな口々に、父にはとても良くしてもらったと・・。
誰人にも分け隔てなく優しかった父の存在を最後に見せてもらいました。
コロナ渦で思うように治療も診療も入院もできませんでした。
悔しい事、辛い事・・多くの事を学び
大切な家族を失う悲しみも知りました。
これからは、残された家族が父を想い懸命に今を生きていくことを託されたんだと思いながら
ここに、記録を残します。
ありがとう、大好きなお父さん。
あなたの子供で本当に良かった![]()
そして、
介護を支えてくれた、旦那さん
お留守番をた~くさんしてくれた、のあちゃん
ありがとう![]()
追記:
辛いことは続くもので、旦那さんの母も同じころ亡くなりました。
悲しみに暮れる間もなく現実にやらなきゃならない事が沢山ありすぎてあっという間に夏がきました![]()
重い話になりましたが
最後まで読んで頂きありがとうございます。
次回からは、のあのブログに戻ります![]()

