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久しぶりの雨~
ちょっと肌寒いけど、雨おんなの私はちょっとルンルン子どもの頃、屋根からの雨だれをジーッと見つめるのが好きだったな。
今日は久しぶりに旦那ちゃんの昔のお話。
大好きなM先生に見送られて小学校を卒業し、旦那ちゃんは皆と同じ中学校へ入学しました。相変わらずバイトや内職、家事全般に時間を費やしていたので、勉強など全くできない環境は変わりませんでした。学校の定期テストはいつも白紙、名前も書きません。たまに気が向いて名前を書くと、テストを返す時に先生が「おい、これ誰のテストや?もらってない奴おるか?」と困ってしまいました。
中学1年の終りに、根来のおっちゃんと別れました。
(根来のおっちゃん。これは引き取ってもらってすぐの頃)
根来のおっちゃんは父のすぐ下の弟で、施設から姉弟3人を一緒に引き取ってくれました。親戚の根来家に跡継ぎがいなかったので養子に行き、根来姓を名乗っていました。
根来のおっちゃんは戦争で全財産を焼失してしまい、結婚しませんでした。なのでおっちゃんにも跡取りがいません。時々「姉弟3人のうち、誰か根来に入ってくれへんか?」と話していました。
ある日、また根来のおっちゃんが養子の話を始めました。
すると、姉が以前から溜めていた想いを我慢できずに切り出しました。「おっちゃん、なんでウチらを施設からまとめて引き取ったん?はじめから養子にするつもりやったん?ウチらを利用するつもりやったんなら、もう一緒に住まれへんで!」
そして旦那ちゃんが中学2年になると同時に、姉弟3人だけで家を借り、出て行きました。その家もボロボロの掘っ立て小屋です。収入は、就職したばかりの姉2人の収入と旦那ちゃんの必死のバイト代のみです。お米を買うのもやっとの過酷な生活で、引っ越しても旦那ちゃんを取り巻く環境は生きる事にあまりに過酷、勉強する時間などは与えてはくれませんでした。
引っ越した先では、M先生やMのおばちゃんのように、そんな事情を理解してくれる大人は誰もいませんでした。全く勉強できないし、勉強する気配すらない旦那ちゃんを見て、生活指導の先生は旦那ちゃんを頭ごなしに怒鳴りつけ小突き回しました。
元々過酷な環境で心に鎧をまとっていた旦那ちゃんは、引っ越してきてすぐのこの事件で戦闘モードのスイッチオン!ちょうど運良く(悪く?)学校の目の前が墓場だったので、生活指導の先生を待ち伏せして襲撃!墓石に先生を縛り付けて、そのまま帰ってしまいました。
翌朝登校すると、墓場からすすり泣く声が聞こえます。他の生徒は気味悪がってザワザワするばかりで、誰も確かめに行きません。前日の事をすっかり忘れていた旦那ちゃんは、「僕が調べたる!」とズカズカ墓場に入り、縛られて泣いてる先生を発見。
「あっ、忘れてた」
慌てて縄をほどき、先生を解放しました。先生はそれからずいぶん長い期間、絶対に旦那ちゃんに近づきませんでした。
かなり後になって、墓場の夜の様子をその先生から聞きました。「誰もおらんのに声だけはずっとザワザワ聞こえんねん。死ぬほど怖いんやぞ。」
同じその中学2年の夏、旦那ちゃんは空を飛びました。
1961年(昭和36年)9月、第2室戸台風が大阪を襲いました。その台風の威力はすさまじく、大阪はもちろん関西一円に甚大な被害を与えました。
旦那ちゃんと姉2人はその時、家で食事をしていました。雨と風は
どんどん強くなります。元々がボロボロの家なので、風が吹く度に家が揺れました。姉2人は「逃げよう」と言ったのですが、意地になった旦那ちゃんは、「逃げたって死ぬかも分からんやんけ。逃げるならこの飯食ってからや!」そう言ってドッシリ座ってご飯を食べ続けました。
「バンッ!!」
凄まじい音と共に、天井が、屋根ごと吹っ飛んでいき、大量の雨が叩きつけました。姉2人は慌てて逃げる準備を始めました。それでも旦那ちゃんはお茶碗を手放さず食べ続けてると…いきなりフワッと浮き、姉の叫び声が聞こえました。
何や?
旦那ちゃんが座っていた畳が、台風の強い風で、座った旦那ちゃんを乗せたまま空中を飛びました。
おおっ、魔法のじゅうたん!ちゃう、畳や
感動したのも一瞬、すぐバランスを崩して落ちました。こらアカン!ようやく逃げることにして、何とか避難できました。
中学3年の時、上の姉が結婚しました。
Mのおばちゃんが母代わりになって結婚までずっと面倒を見てくれました。結婚相手のミノルさんはとても優しい人で、「姉弟一緒に暮らそう」と言って、新居にもう1人の姉と旦那ちゃんも、揃って引き取ってくれました。
(中学3年の時、姉の子どもと一緒に公園で。)
旦那ちゃんにようやく静かな日々が訪れました。しかし今となっては勉強も追いつきません。この時はまだ勉強をしない代償に気づいていなかったので、たいして気にもせず、束の間の子どもらしい時間を楽しみました。
中学卒業が迫ったある日、M先生に呼ばれた旦那ちゃんは、M先生とその後の進路を話し合いました。そして卒業と同時に、小さな建設会社へタイル職人として「でっち奉公」することが決まりました。
そのタイル職人の道が、後に運命を大きく揺さぶる事になる、あの落下事故へと繋がっていることに、この時はまだ旦那ちゃんも気づいていませんでした。
全ての方に支えられて、私たちがあります。
これからも愛と魂を込めて、気功療法を送り続けますね
ありがとうございます。
明日も爽快な一日になぁれ