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お知らせ
超スーパー気功療法師の旦那ちゃんがFacebook始めました。
遠隔気功のライブ配信などやってますよ~。ご覧くださいね
Facebookで「橘奎志」と検索すれば見つかります。
(名前の読みは たちばなけいし です。)
こんにちは。
今日も旦那ちゃんのお話です。
父が亡くなってしばらくして、旦那ちゃんと2人の姉が暮らしていた児童施設に、突然「叔父さん」が訪ねてきました。
初めて会うその「根来のおっちゃん」は、父のすぐ下の弟です。親戚の根来家に跡継ぎがなかったので養子に行き、根来姓になっていました。11人兄弟の中で、いちばん父に似ていて、父との仲も一番よかったそうです。
旦那ちゃん達があずけられていた児童施設は、15歳になると退所となり、退所後は姉弟といえども居場所を教えない、という決まりがありました。旦那ちゃんの上の姉にその退所時期が迫っている事を知った根来のおっちゃんは、残された姉弟までも離散するのが「兄に申し訳ない」と、3人まとめて引き取る為に迎えに来てくれました。そうして根来のおっちゃんと2人の姉、旦那ちゃんの4人暮らしが始まりました。
根来のおっちゃんの家は、大阪にありました。小さな小さな掘っ立て小屋で、どう考えても4人で暮らすには窮屈すぎ。床は波打ち、すきま風も遠慮なく通りすぎます。戦争で財産も焼失、経済的におっちゃん1人で暮らすのもやっとの状態でした。新しい環境は部屋長からの暴力に怯えなくても済みましたが、本当にここで暮らしていけるのか?と別の不安がありました。
生活のため、9歳の旦那ちゃんは働きました。
夜中に起き、学校前に牛乳配達と新聞配達をこなしました。学校から帰ると、働きに出ている家族の代わりに、家事をこなしました。そんな生活リズムなので、授業時間は睡眠時間となり、途端に勉強について行けなくなりました。家族も、朝早くから夜遅くまで必死に働きました。それでも暮らしは楽にはならず、わずかな食事を4人で分け合ってしのいでいました。
近所では、大人も子どもも「施設から来たクサい子、親のない子、施設から来たから勉強できないダメな子」などと、いわれのない差別を公然と隠しませんでした。「おい貧乏人、近寄るな!」と怒鳴りつける大人もいました。大人達がそうだから、子ども達も隠す事なく、言葉でも行動でも傷つけるのをためらいませんでした。
施設でも、ここ大阪でも…。どこへ行っても守られる安心感のない環境に、旦那ちゃんはだんだん「世の中は敵だ、こちらから攻撃しなければやられるんだ」という心の鎧をまとっていきました。
しかし、全ての大人が敵ではありませんでした。
この大阪で、2人の素晴らしい大人との、運命の出会いが待っていました。「魂の父と母」とも呼ぶべきこの2人は、旦那ちゃんの支えとなり、その後の人生を大きく決定づける存在となりました。
読んでくださってありがとうございました。
明日もハッピーな一日になぁれ